第二十話 陸軍航空隊の活躍

 フィリピン攻略作戦は、海軍航空隊による米陸軍航空隊の航空撃滅戦に始まり、陸海軍による一歩一歩攻略を進めて、地盤を固めて、リンガエン上陸によってマニラに進撃する作戦をとり、順調にコマをすすめていった。

 その順調な作戦遂行には、やはり陸軍航空隊により支援作戦があったことは否めない。

 フィリピン北部ビガン、ラオアグ、アパリ、ツゲガラオの各飛行場に進出した第五飛行集団の第二十四戦隊、第五十戦隊、第八戦隊、第十六戦隊は十五日以降、陸軍のリンガエン湾上陸支援のために、マニラ周辺の飛行場を襲撃した。


 十五日、第二十四戦隊は戦闘機延二十三機、十四戦隊は重爆延十八機を出撃させ、デルカルメン飛行場を攻撃し小型機一〇機を撃破、施設を爆撃した。

 第十六戦隊は十一機、第五十戦隊は延十八機と共にデルカルメン及びクラーク飛行場を攻撃し、デルカルメンでは小型四、中型一、クラークでは三機を撃破した。

 この日の攻撃に参加した飛行第五十戦隊の穴吹智伍長の著述がある。穴吹智伍長は、後にビルマで一式戦隼でエースとなる人物である。


 アパリ飛行場は、水田を埋立て造成した飛行場で、雨季を迎えると泥沼と化し、離着陸時に泥濘に脚をとられて転覆する懼があったが、滑走路はT字型に二本あり、主滑走路は長さ九百メートル、幅百メートルあった。

 アパリ北飛行場は、アパリー駐屯の米比軍の練兵場と兼用の飛行場で、砂地に芝の生い茂った地盤であり、長さ五百メートル、幅二百メートル程であった。

 穴吹伍長の第三中隊は十四日、この飛行場に移動してきた。


『十五日、わが第三中隊は役山中隊長以下九機をもって、十六戦隊の九七式単軽爆撃機六機を護衛して、クラーク飛行場を攻撃した。中隊の攻撃編組は、固有編組で行うこととなり、私もようやく第二編隊二番機として、初の進攻作戦に参加を命じられた。(中略)

 出発前、役山中隊長が私を呼んだ。

「いいか、穴吹伍長!帰るまで、絶対に編隊長機から離れてはいかんぞっ!」

 きびしくそう申し渡されて、私はひかがみをのばした。

「はいっ、わかりました!」 (中略)

 銀蛇のように曲がりくねったカガヤンの大河を右に見ながら、南下していく、ツゲガラオ上空で変針し、セントラル山脈寄りの峨々としてそびえるアルチアン山系を右に見ながら進み、バテレ峠を眼下に、ウミガン上空よりマニラ平原上空に進出した。

 前方、はるかに右にカブシリアン山、左にマニラ富士と呼ばれるアラヤット山があり、そのちょうど中間付近をクラークフィールドに向かってまっしぐらに突進していく。

 ギンバを過ぎたあたりから、私は二・〇のこの眼で、クラーク上空をしっかり見張るが、敵らしいものは全くみとめられない。

 高度をしだいに下げて、タルラックの東側を通過するころには、さらに低くわずか五百メートルとなり、マニラ街道の上空を一路南下していく。

 はるか南の方に、クラークフィールドらしきものが見えはじめた。

 中隊九機は、バンバン付近からいよいよ超低空飛行だ。南方はるかに東西に長く露出した白い砂地の地盤と、数棟の黒い格納庫が見える。クラークフィールドである。

 九機は超低空でグングン近迫していく。

 午後一時三十分ころ、いよいよ敵基地上空に進入した。最前方を突進していく中隊長編隊の三機の後ろを、わが第二編隊の三機がつづく。

 九機は戦闘体形をさらに横広にとりながら、アルチアン山から東に向けてゆるく裾をひく横層地形を這うように、波状飛行をもって、在地の敵を求めて接敵していった。

 (中略)

 まもなく編隊長機が撃ち出した。しかし、私には目標が見えない。いや、懸命

に探すが、わからない。とにかく、撃てっ!と自分に命じ、スロットルレバーの引き金をギュッと引く。すると、前方の機関銃から、ババババッ・・・と勢いよく、白煙をひいて、真っ赤な火の玉と入りまじって吹っとんでいく。硝煙のにおいがプーンと鼻をつき、胸がわくわくして、若い血潮がたぎり立つ思いがする。

 ちょうどそのときわが機は、林を越えて、サーッと、開豁した敵飛行場地区に進入した。

 六〜七棟の格納庫が、二重にかさなって建っているのが見え、その右の端の方に、敵戦闘機らしい小型機が二〜三機ほどいるのが確認された。

 ダダダダ・・・と連射しながら、私は機首を右に振り、曳光弾、焼夷弾の弾道で方向を修正しながら、小便流しに、ダダダ・・・とさらに、三、四連射、つづけざまにぶっ放しながら、白い砂地の露出したような滑走路上を、三〜五メートルの超低空で一気に突き抜け、飛行場の南側へ離脱していき、さらに、そのまま三〜四キロほど遠ざかってから、ゆっくりと機首を上げ、左旋回を行ない、ふたたび高度をとって、敵飛行場内の状況を確認した』

            (穴吹智著「蒼空の河」光人社NF文庫)


 穴吹伍長はもう一度飛行場に進入した際、対空砲火の反撃を浴びる。その中で、滑走路の右外れに大型機の尾翼を発見し、銃撃を加えている。其後、飛行場を離れて上昇し、爆撃隊の到着をタルラック上空三千メートルで待った。

 時間より遅れて上空に現れた第十六戦隊の九七単軽爆撃機六機を発見し、掩護の態勢をとった。


『われわれ戦闘機隊は、この爆撃隊を掩護すべく高度三千メートルで、クラーク飛行場を中心として、その外周を旋回していた。

 やがて爆撃隊は、三機ずつ単縦陣隊形とな李、高度千五百メートル付近から、つぎつぎと急降下爆撃に突進していった。これに対して、敵の対空砲火の反撃は熾烈をきわめ、飛行場周辺の敵の対空陣地は、撃ち出す硝煙のためにみるみる真っ白くなり、曳光弾、焼夷弾の炸裂による白雲がたちまち上空にたなびきはじめた。

 しかし、爆撃隊はいさいかまわず、その中をかいくぐるように、四十五度から

六十度の深い突進角をもってダイビングしていく。勇壮というか、果敢というか、まさに陸軍航空隊の花形にふさわしい。

 私は、はじめてその勇猛ぶりにすっかり目をうばわれて、しばし見とれていた。

 爆撃隊は一度ならず二度、三度と、各機が反復突進して、それぞれ五十キロ爆弾を数発ずつ敵陣地に叩き込んでいく。そのたびに九七単軽の機体から放たれた黒い鉄の塊が、飛行場の付属施設その他に吸い込まれるように消え、変わって、土煙と爆煙がもり上がるように大地から空中へ、湧き上がってくる。全弾命中である。滑走路中央部の南側の森林の二カ所からも黒煙が立ち上がっている。

(中略)

 この爆撃隊をねらって、敵の戦闘機がどこかにひそんでいるはずなのである。

 空は抜けるように青い。この青さの中に敵戦闘機がひそんでいるやもしれず、よほど警戒を厳にしていないと、思わぬ奇襲を受けるやもしれぬ。

 私は二・〇の自慢の目で、青い空を隅から隅まで、じっと見回した。この青空の中で、たとえ針の先ほどのものが動いても、私はそれを見つけ出す自信を持っていた。

 時計の針は、やがて午後三時を回ろうとしていた。そのときである。南のポーラック方向やや低高度の位置から、しのびよるように接近してくる二つの点を発見した。いわずと知れた敵機である。

 一瞬、どうするのかな?と思いつつ、中隊長編隊を見ると、早くもパッパッと翼を振りながら機動を開始し、一目散にその敵にたいして突進していった。

 わが第二編隊もこれにつれて行動を起こした。いち早く増速し、前進して、中隊長編隊の抜けた穴埋めをすませ、がっちりと直掩態勢を固めた。

 敵機は機首のとがった真っ黒いPー40戦闘機二機である。中隊長編隊の三機が、この二機のPー40めがけて、上空からかぶさるようにして突進していく。

 ところが、敵機はいち早く機先を制されて戦意をにぶらせたのか、爆撃機に近よることもできないままに攻撃を断念してしまったらしく、さっさと反転してマニラ湾方向に逃走していった』 (前掲書)


 この回想記録を見ると、戦闘機隊がまず飛行場制圧に先行し、その後爆撃隊を待って合流掩護態勢をとり、爆撃中は上空にて見張りを実施し、爆撃後、爆撃隊と合流して帰途につくという連携をとっているのがわかる。飛行第五十戦隊は後に一式戦「隼」に改変されるが、この時はまだ九七式戦闘機である。


 十八日、第十六戦隊はニコルス、サブラン飛行場を攻撃して大型機四、其の他四の撃破を報告。第八戦隊はサブラン飛行場を攻撃して大型機四、小型機三を撃破し、他の六機はタルラックの兵舎を爆撃した。

 十九日には第八、第十六、第五十戦隊の戦爆連合六十六機で午後クラーク飛行場を攻撃し、数機の炎上を確認、施設の破壊を報じた。

 二十日には、第十六戦隊十九機、第五十戦隊一〇機で一三〇〇イバ、カバナツアン、デルカルメン、クラークの各飛行場を攻撃、第八戦隊十二機、第二十四戦

隊六機でニコルス飛行場を攻撃した。在地機は少なく、ニコルス飛行場で大型四、小型一を撃破し、それ以外は施設を爆撃した。


 二十一日、飛行第八戦隊は、ニコルス、カバナツアン飛行場を攻撃し、また、リンガエン湾の上陸点を欺くために西岸スビク湾口、グランデ島要塞を爆撃し、飛行第十六戦隊の一部は東岸バレル湾の軍事施設を爆撃した。

 二十一日夜半、リンガエン湾に進入した輸送船団と護衛艦隊は、二十二日払暁上陸したが、日中は飛行第二十四戦隊と第五十戦隊が船団上空を哨戒掩護した。


 二十二日の午前中は、台風の余波で天候が悪く、上陸部隊の揚陸も困難を極めたが、上空哨戒を担当する戦闘機隊も視界が悪く困難な状況での出撃であり、五十戦隊では第一中隊長坂口藤雄大尉が離陸時の事故で機体を大破、自身は無事であった。


 船団の哨戒掩護の任務では、来襲したPー40二機の撃墜を報告したが、ベテランの伊黒義久中尉と和田泰光中尉の二人の未帰還を出したことは大きな痛手であった。

 穴吹伍長はこの時の出撃の模様をこう記している。


『午前四時五十分ころ、各機がつぎつぎにエンジンを始動させはじめた。それぞれ入念なチェックが行われている。わが愛機のエンジンはまったく快調である。

 (中略)

 午前五時を少しすぎたと思われるころ、戦隊のトップを切って、第一中隊長坂口藤雄大尉機と思われる機が、土煙を上げながら離陸していった。ところが、どうしたことか、機が浮揚する少し前に、坂口機は、突然、グーッと右の方へはずれていき、闇の中に消えていった。いや、そんな気がしたのだ。

 (中略)

 わが第三中隊も中隊長以下十二機が全機異常なく離陸を完了し、ビガンを後にリンガエン湾に向かって発進した。

 私は離陸後、高度五百メートルまで、グングン上昇していった。ところが、突然、スパッと雲中に突っ込んでしまった。あっと思ったが、すでにおそく、周囲には何も見えない。排気ガスが雲に反射して、やけに明るく光っているだけである。

ー「こりゃ、いかん、雲に突っ込んだぞ!」

 私は大あわてにあわてて、機首を押さえながら雲下に出ていった。

 どっちを向いても真っ暗闇である。さっきまで前方を進んでいた橋本編隊長機も、とうとう見失ってしまった。

 落ちついて、落ちついて・・・と自分にいい聞かせながら、じいーっと闇のかなたを見つめていると、やや前方に、はっきりとそれとわかる尾燈が一つ見えて来た。

 私は思わず嬉しくなって来た。地獄で仏に逢うとはこういうことであろう。

ー「これだ、これだっ!」

 私はその尾燈をたよりに、機動を静かに静かに操作しながら、少しずつ接近していった。

ー「もう離さんぞっ!」

 私はやがて二番機の位置につくと、そのまま必死にくいついていく』

 穴吹伍長は、その後の視界の悪い中、僚機の尾燈を頼りに、必死に飛んだが、またしても全く見えない状況に置かれてしまう。そして、ようやく夜明けを迎え、空が徐々に明るくなってきて、いつの間にか船団上空に達していた。だが、編隊長と思っていた機は橋本編隊長ではなく、いつの間にか役山中隊長機に変わっていた。全ては悪天候による仕業であった。が、よく衝突を起こさなかったことは幸いなるかなである。

 そして、上空を哨戒している中での出来事である。

『中隊長機は、そのときまっすぐに飛んでいた。もちろん、その後につづく私も、まっすぐに飛んでいる。

ー「もう払暁もすぎただろうに、なかなか明るくならんわい」

 そんなことを漠然と思っているときであった。突如、中隊長機の左翼をかすめるようにして、ツツツツー・・・と数条の真っ赤な火の玉が霰のように飛び抜けていった。

 中隊長機は、ふいをつかれながらも、とっさに飛燕のごとく右に急旋回をうって、この敵の射弾を回避した。

 ところが、右に急旋回したために、中隊長機の機体が、もろに私の機のまん前へ、突然、とび出してくる結果となった。

ー「あっ、危ないっ!」

 中隊長機に行く手をさえぎられて、私は一瞬、肝を冷やしながらも間髪も入れず、かろうじて機首を左にひねり込みながら下方に突っ込んだ。

「運の穴吹」の本領躍如といってもいいほどの危機一髪の衝突回避であったのだ。

ー「ああ、危なかった!」

 衝突を回避して、内心、ホッとしたとたんである。またしても「運の穴吹」の「強運」がめぐって来た。衝突を回避し終えて、ひょいと眼前を見ると、そこに、たったいま中隊長機をねらって射弾を送って来た頭の長い、真っ黒なPー40の機体が、撃ってくれ、といわんばかりに、ぬうっと現れたのだ。

 私は間髪を入れず、ダダダダッ・・・と射弾を浴びせた。わが機関銃が勢いよく火をふき、真っ赤な火の玉が敵機の周囲をつつみこんだ。

 敵機は私の奇襲におどろいたのであろう。あわててサッと急反転をうちつつ射弾回避をはかろうとする。

 しかし、私はそうはさせじと、ますます闘志をたぎらせてこちらも敵機と同様に、サッと反転し、ダダダダッ・・・と機関銃を撃ちっ放しながら、追跡し、ピッタリと食い下がって突っ込んでいった』 (前掲書より)


 穴吹伍長は、地上スレスレで機首引き上げたが、敵機の姿はもうなかった。

 この時の様子が上陸した地上部隊が見ていて、その報告によりPー40は砂浜に突っ込んだことが判明した。

 穴吹伍長の初撃墜であったわけだが、そのことはこの時点では穴吹伍長は知るよしもなかった。


 第十六戦隊の爆撃隊は、上陸以後は地上部隊の支援攻撃に参加し、米比軍の戦車、車輌部隊の殲滅に貢献した。対空射撃による被害も十九機に及んだが、撃墜された機はなかった。

 第八戦隊の双軽十四機は、二十二日もニコルス飛行場爆撃に参加し、地上にて大型五機、中型二機、小型五機撃破を報じた。戦隊の他の十五機は、午後にキャンプ・マーフィ及びリマイ飛行場を爆撃し十一機撃破を報じた。


 二十三日には、泊地哨戒任務についた第五十戦隊と第二十四戦隊は米軍にB17爆撃機を発見追跡したが、捕捉攻撃はできなかった。これは九七式戦闘機の能力不足によるもので、速度で全く追跡することができなかったからである。

 第八戦隊は主に残存する米軍機の撃滅を図り、第十六戦隊は陸軍部隊に協力して米比軍部隊を爆撃し、その戦力削減に貢献したことは、大きな収穫であった。

 二十五日には、十六戦隊は貨車百両の破壊を報じ、第八戦隊は自動車五十両の破壊を報じている。

 その後も攻撃を続行し、残存する敵機の掃蕩を図ると共に、地上部隊の攻撃をし、特にマニラ放棄以後の米比軍のバターン移動で、かなりの車輌を爆撃して破壊しているが、遅きに失したものとなった。

 マニラ攻略によって、作戦に従事した第五飛行集団は、次期作戦に備えタイ方面に向け、一部を除いて移動する準備を始めた。


 一月七日までの第五飛行師団の損害は、第八戦隊が九九双軽八機、司偵一機。第十六戦隊が九七軽爆一機。第十四戦隊が九七重爆三機。第五十戦隊が九七戦十二機。第二十四戦隊が九七戦四機。独飛第五十二中隊が九九軍偵五。独飛第七十四中隊が九八直協四機。合計三十八機を喪失した。人的には戦死四十五名、行方不明六名、負傷者四十名を出したのである。


 こちらも舞台はバターン半島、コレヒドール島へと移すのである。

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