第十八話 第十六師団マニラ南へ

 二十四日カラウアグへ向けて進撃中の歩兵第二十連隊第一大隊(木村大隊・通称村部隊)は自転車と自動車による先頭部隊は一五〇〇に「ロペス」を占領、さらに「カラウアグ」に向けて出発を準備するが、捜索連隊の自動車は返却することとなり、押収自動車を以て進撃。伊藤少尉は将校斥候として押収自動車二両を使用し一五三〇出発。大隊は飲食のために小休止に入った。其後、部隊に野砲兵第二十二連隊第二中隊が追及してきた。


 一六二〇頃、「カラウアグ」方面より数発の砲声が聞こえたtめ、伊藤斥候隊が敵と衝突したと判断し、第二中隊は自動車二両に乗り込み追及し、本隊は出発準備を進めた。

 一七五〇頃第二中隊より砂野曹長が伝令として本隊に達し報告した。


   第二中隊報告

一、伊藤斥候はカラウアグ西方に於て敵と遭遇したるも爾後の状況明かならず

二、中隊正面の敵は砲を有する約二〇〇にしてカラウアグ及其の東方高地に在り

三、中隊は主力を以て本道右より攻撃し伊藤小隊と連絡せんとす

 部隊長木村少佐は直ちに部隊主力を以てこの敵を攻撃することを命令した。


 戦闘詳報によれば、伊藤小隊は自動車二台で前進中一六〇〇頃「カラウアグ」南方二キロ付近で敵の小部隊を発見し直ちに攻撃に移り、敗走する敵を追いかけ「カラウアグ」南方八百メートルの本道隘路出口に達した。その時である。


『本道上を西進し来る敵と遭遇直ちに下車展開攻撃を開始したるも正面の敵はMG二自動砲を有する約二〇〇にして曳火弾射撃により我が自動車忽ち炎上す

且つ「カラウアグ」に休息中と覚しき敵約一〇〇も両側に進出射撃を開始し又此頃軍隊を満載せる客車約八輌の一列車東より「カラウアグ」駅に邁進し来りしが急遽後退し「カラウアグ」東方一五〇〇米付近の陰蔽地にて停車下車せしめたるものの如く続々増加し来り加うるに列車搭載の砲(七㎝程度)を以て砲撃を始む』


 伊藤小隊は三方を敵の囲まれ集中射撃を受け、死傷者が出始めた。一コ小隊と一コ中隊以上の戦闘である。数的に言っても火力的でも全く歯が立たない状況である。

 伊藤少尉は銃弾を受け、砲弾の破片を浴びる重傷を負うが、要地を確保して後続を待った。

 同行した工兵斥候伊藤軍曹以下三名は


『主要なる橋梁ガード五ケ所に敷設し点火を待つばかりになりありし地雷を悉く発見堀開し部隊の突進に絶大の貢献をなしありしが本戦闘に於ても終始率先勇敢に伊藤小隊の一員として奮闘中遂に悉く敵弾に斃る』


 第二中隊長の西岡中尉は手元にある自動車二台に中隊の兵をできるだけ載せて前線に急いだ。一七〇〇頃に現場に到着し、兵を展開させると射撃を受けたため、右方山地より正面の敵を攻撃し伊藤小隊との連絡をとるため迂回させたが、ジャングル地帯のために行動は困難を極めた。一八〇〇頃に伊藤小隊の東南方に中る台地に進出し、約三十名程の敵を敗走させ、やっと伊藤小隊との連絡が取れた。

 

 木村大隊長はポンコツの押収した自動車に同乗して前線に向い、一九〇〇頃に現場に到着、第二中隊の行動を確認すると、展開を完了していた野砲隊に対して、東方の敵陣地と列車砲に対して射撃をするよう命じた。

 千々岩中尉指揮の衛生隊も到着し、負傷者を収容させるとともに、到着したトラックを折り返して後続する歩兵を輸送するよう命じた。敵の一部はモーターボートを利用して湾から北方に逃走しているのを認めたが、依然として敵の抵抗は激しく続いていた。敵の隠蔽陣地は容易にわからず、そのうちに夜となってしまった。

 第二中隊は夜に入っても攻撃の手は緩めず、家原小隊は暗夜を利用してジャングル地帯を進み右方より迂回して三叉路付近にある敵陣地を二一〇〇頃に夜襲をかけた。敵は全く油断していたのか、乱戦になり悲鳴怒号が渦巻き、比軍四人を刺殺した。敵は慌てふためき四散しだした。米兵と思われる者は銃床尾を振り回しながら逃亡した。伊藤(階級不詳)はこの銃床尾鈑に中り顎挫け昏倒した。

 この夜は月夜でなく、冷雨模様であったから、夜襲による戦闘も状況把握に困惑したであろう。

 大隊としての攻撃は払暁を期して開始することを木村大隊長は命じた。

 部隊としてここまでの損害は、戦死者下士官兵五名、負傷者は伊藤少尉、下士官兵十四名に及んでいた。


 二十五日〇九〇〇を期して攻撃は開始された。砲兵隊の砲撃が開始され、敵陣地に炸裂する。しばしの後、「カラウアグ」掃討隊ーといっても第二中隊西岡中尉率いる一小隊、大隊本部伝令、機関銃一小隊のみーが「カラウアグ」の村を掃蕩し一一〇〇頃には村の東端に達した。敵は東方山地から機関銃を浴びせてくるので、部隊は同地を確保し続けた。

 これより少し前の〇九三〇頃に敵情地形捜索のために片山少尉を将校斥候とし七名を率いて潜入していった。また梅垣少尉に対し椰子林中より目標である東南方高地を見渡せる地点を捜索させ、片山少尉の行動と敵の動静を監視させた。

 片山少尉はジャングル地帯を縫って進み、敵陣地を展望できる地点を求め、その敵陣地を偵察し、本道以南の敵陣地の左翼を確かめるため、山谷を越えジャングルの中を進みその左翼端を発見した。が、敵も日本軍を発見した。戦闘詳報に曰く。


「其距離十米、勇敢なる少尉は一瞬の躊躇も無く機先を制し率先斬込み其一を斬る途端更に後方約四十米のMGの集中火を受け少尉竝に続く分隊長市川伍長LG射手小林恷夫殆ど同時戦死す 時正に一二〇〇なり

勇敢なる松田一等兵は直ちにLGを拾い至近距離にて応戦し吉田、岩崎両上等兵、井尻一等兵を報告のため帰還せしむ」


 木村大隊長はこの報告を受けるや家原小隊を準備させたいたが、西岡中隊長が村の掃蕩を終え帰隊したため、西岡中尉は中隊の全力を挙げて敵陣地を奪取すると意見具申したために、大隊長はこれを許可した。

 大隊には自動車部隊が運んできた野砲弾三八〇発と歩兵砲弾二〇八発が届き、大きな力となった。

 西岡中隊長と各中隊長は帰隊した伝令を道案内にして敵陣地を眺め攻撃計画を練ったが、その道中は山あり谷ありのジャングル地帯は砲兵の行動は厳しく、歩兵及機関銃隊のみの前進となり激戦に備え衛生隊も付属させた。

 西岡中隊長と機関銃の公手中隊長は敵の機銃座の位置を確かめんと匍匐前進して至近距離まで達してその位置を確認し、公手中隊長は機関銃と歩兵砲を指揮して二中隊の突入前に際して十分間の支援射撃を加えるが、この砲銃撃の観測を西岡中隊長自ら行うということだった。

 一八二〇砲撃を開始したが、その修正指示は正確で三回目の砲弾は機関銃座一を吹き飛ばした。続いての砲弾も別の機関銃を吹き飛ばした。其後一斉に公手中隊長は背後よりの喚声と共に敵陣地に突入し、およそ八十名の敵に対し手榴弾と銃剣を繰り出した。斃した数は二十四に達した。最後まで踏みとどまった米軍のロミイ中尉は戦死したが、戦闘詳報にも

「ロミイ中尉の戦死は敵ながら天晴の振舞なり」

 と敵ながら称賛している。

 敵兵は高地から全て敗走していた。戦場した後の整理では、敵の兵力は四〇〇から五〇〇名と速射砲隊、四十五連隊と七十二連隊の部隊であることがわかった。

 遺棄された自動車三十台には弾薬、衣服、糧秣が多数放棄された状態で押収された。

 村部隊の損害は、片山少尉が戦死、下士官兵二名が戦死、負傷者は下士官兵が四名。敵の遺棄死体は二十八を数えた。


 村部隊はレガスピーから西進する木村支隊と会合する頃であった。だが、二十七日の木村支隊の位置情報は不明であった。二十八日朝の情報によれば木村支隊の前面に敵がありそのために到着が遅れているようであった。村部隊はそのために敗走してくるであろう敵兵の邀撃警戒に当たった。

 一〇〇〇時にようやく木村支隊の木村中尉が到着、またそのあと一〇四〇に三十三連隊第三大隊長と松永参謀、大隊副官と会合し、ようやく両部隊の連絡はなった。

 二十九日、村部隊は任務を解かれ、連隊の指揮下に戻った。

これからは、反転して一緒にマニラへ進撃するだけであった。 


 進む道は前進する三十三連隊により敵兵の存在はほとんどなく、警戒しつつも進撃を続け、翌年の一月二日には、マニラ近郊の「キャビテ」軍港の軍事施設の占領を命ぜられ、第三中隊の三木中隊長は大隊長と共に、乗用車にてキャビテに向かいい、各隊の自転車隊は下坂もあり四十キロ以上の速度で先行する自動車を追及した。途中道路事情は悪かったが、一四一〇時に渡辺小隊はキャビテを占領した。


 一方マウバンに上陸した第二大隊は、激戦のあと一気に西上し、二十九日にはルクバンールイジアナールセナに達し、この先もっとも激戦が予想される地域ーつまりはラグナ湖とタール湖に挟まれた狭小部ーがマニラ南部の防衛線と考えられており、入手した敵の作戦計画にも示されていた。が、実際偵察を行うと敵部隊は皆無だった。第十六師団の各部隊は、それを知ると一気にマニラへと目指した。ラグナ湖畔からはマニラ方面には黒煙が立ち上っていた。

 三十日夜、先遣捜索隊と行動する太田参謀はサボテ(マニラ市南十キロ)に達しており、日本人が訪ねてきた。総領事の新納氏と領事館員たちであった。


 新納氏は太田参謀に対し

「マニラ市街にあった米比軍は、すでにバターン半島方面に遁走し、市内は無秩序となっている。住民による物資の強奪が行なわれ、火災もところどころに発生して混乱している。この部隊は速やかに進入して、治安の回復にあたられたい」

 と申し入れた。太田参謀は

「軍のマニラ占領作戦計画は、リンガエン湾に上陸して南下する第四十八師団と、ラモン湾に上陸して北上する第十六師団とが相策応して、同時にマニラに進入することになっている。かって支那事変で、都市占領にあたって、入城一番乗りの功名争いをしたことがあったが、このたびのマニラ占領は、そのような醜い争いはしないようにしたいという約束協定が、両師団長のあいだに堅く結ばれている」

 ことを述べ、マニラ北方にある軍主力の状況を尋ねた。総領事は、

「軍主力部隊の先頭は目下、マニラ北方約六〇キロの地点にあって、マニラ市内進入は早急にはむずかしい状況にある。したがって、両師団の約束協定のことはしばらくおいて、いまただちにマニラ進入ができるこの部隊が進入しなければ、日本居留民の生命財産の保全は期せられない」

 と言って、十六師団の即時進入を強く要望した。

     (太田庄次著「第十六師団の比島攻略作戦」

      『丸別冊太平洋戦争証言シリーズ8』より)


 太田参謀は総領事の説得に迷った。師団司令部に連絡しても良い回答は得られない。百聞は一見にしかずと、自分の目で確かめることが先決と、総領事の自動車に乗り込みマニラ市内へと向かった。市内に入ると、自警団らしき者たちが、暴徒の行動を静止しているが、道路は家財道具をもって逃げる人々、商店や倉庫から略奪している者など、目をおおう状況にあることを確認した。その状況を実際見た太田参謀が捜索隊本部に戻ると、第十四軍司令部から、

「マニラ市街を南北に分断するパシグ河を境界として、北は第四十八師団、南は第十六師団が、同時に占領するよう」

 との命令が届いた。が其後訂正され

「マニラ進入の時期は、一月二日十時以降と」

 統制を図るよう延期された。

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