第十一話 ダバオ・ホロ島攻略
ダバオ及ホロ島の攻略占領は、海軍の航空基地推進をして、敵の退路を遮断し、重要な蘭領インドシナ攻略を進めるためにあった。特にダバオを占領すれば、フィリピン南部の制空を確保できるとともに、米蘭国の補給路を監視できることであった。そのために、こちらも陸海軍が協力して作戦遂行にあたることにあった。
ダバオ上陸予定日は当初十二月十四日であったが、英戦艦二隻の極東配備のために、二十二日に延期された。しかし、英戦艦二隻はマレー沖にて、海軍陸攻隊によって撃沈され、かつ、フィリピンの米比空軍は海軍航空隊による数日の攻撃で組織的活動は不可能となり、そのために上陸日は二十日に変更された。
ダバオ攻略の陸軍部隊は、歩兵第三十三連隊のニコ大隊を使用する予定であったが、レガスピー攻略にそのうち一コ大隊抽出したために兵力不足となり、蘭印攻略に使用する予定のうち第十六軍の坂口支隊を回すことになった。
坂口支隊と歩兵第三十三連隊の第一大隊である三浦大隊の合わせて、約五千の兵力でダバオを占領することに計画された。
陸海軍の参加兵力は次のようである。
陸軍
坂口支隊
指揮官 少将 坂口静夫
歩兵第百四十六連隊
野砲兵
三浦支隊
指揮官 中佐 三浦俊雄
歩兵第三十三連隊第一大隊
工兵第十六連隊
独立工兵第六連隊
輸送船 山月丸 (六、四三九トン)
帝龍丸 (六、五五〇トン)
呉竹丸 (五、一五七トン)
漢口丸 (四、一〇三トン)
ハバナ丸 (五、六五一トン)
海軍
支援隊
第五戦隊
司令官 少将 高木武雄
重巡 妙高 羽黒 那智
第四航空戦隊
司令官 少将 角田覚治
空母 龍驤
駆逐艦 汐風
第十一航空戦隊
司令官 少将 藤田類太郎
水上機母艦 千歳 瑞穂
哨戒艇 第三十八号 第三十九号
第二水雷戦隊
指揮官 少将 田中頼三
軽巡 神通
第十五駆逐隊
駆逐艦 黒潮 親潮 早潮 夏潮
第十六駆逐隊第二小隊
駆逐艦 天津風 初風
敷設艦 白鷹
陸上部隊
第三十二特別根拠地隊 警備担当
第二設営隊 ダバオ飛行場設営
第三設営隊 ホロ飛行場設営
第百三航空廠
第三軍需部
呉一特
輸送船 霧島丸 (八、二六七トン)
台東丸 (四、四六六トン)
衣笠丸 (六、八〇八トン)
第二図南丸 (一九、二六二トン)
天龍丸 (四、八六一トン)
天城山丸 (七、六二三トン)
辰神丸 (七、〇七一トン)
永興丸 (三、五三五トン)
広進丸 (五、四八五トン)
十二月陸軍坂口少将と海軍田中少将との間に陸海軍協定が結ばれた。
出発時刻については、
第一梯団 X+九日 一三〇〇
第二梯団 X+八日 〇七〇〇
第三梯団 X+八日 一六〇〇
と定められた。
第一梯団は輸送船、霧島丸、山月丸、台東丸、天城山丸、
衣笠丸の五隻。
第二梯団は、第二図南丸、帝龍丸、呉竹丸、天龍丸の四隻。
第三梯団は、漢口丸、ハバナ丸、辰神丸、永興丸、広進丸の五隻の割振である。
上陸点は
『第一案 第一及第二梯団「チブンコ」南方海岸
第三梯団「タロモ」湾付近
第二案 情況に依り第三梯団を「チブンコ」南方海岸に上陸
せしメルことなり』
と決めた。上陸戦闘、上陸掩護に関しては
一、上陸は奇襲を本則とするも状況已むを得ざる場合は強襲上陸を敢行す
其の転移は坂口支隊長の命に依る
二、坂口支隊は右翼隊及後拠部隊を以て「チブンコ」南方海上に上陸し「ササ」
飛行場を急襲したる後続いて「ダバオ」市街を占領す
左翼隊は「タロモ」湾岸に上陸し該地付近を占領すると共に一部(一中隊)を
「サマル」島に上陸せしめ右翼隊と相呼応して「ダバオ」河右岸地区に於て敗
敵を捕捉撃滅す
「ダバオ」占領後一部を以て「マララグ」を戡定す
三、此の間「ホロ」支隊は海軍特に其の航空作戦の状況之を許す限り勉めて速に
「ダバオ」を出港せしむ其の出港は概ねX+15日と予定す
四、上陸掩護射撃は坂口支隊長の要求に依り之を実施す
と決められた。
ホロ島攻略に関しても、海軍田中少将と陸軍松本中佐との間にて陸海軍協定が締結された。
ダバオ湾出発は
第一梯団が、X+十五日一二〇〇
第二梯団が、X+十四日一九〇〇
上陸点については
第一案 「カウヤナン」西方海岸地区
第二案 「ダインカピック」岬より「マンガリス」岬に至る
海岸地区
輸送船は
第一梯団 山月丸
第二梯団 永興丸 広進丸
上陸戦闘・上陸掩護に関しては
一、上陸は奇襲上陸を本旨とし上陸後速に飛行場及無線電信所を夜襲したる後
「ホロ」市街を攻略す
二、海軍艦艇の上陸掩護射撃は上陸部隊長の要求に依り実施す
となっている。
十二月六日、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将は、出撃前にあたり、戦隊命令を令した。
第二水雷戦隊命令
一、当隊十二月六日午後出撃左の作戦を実施したる後概ね十二月十五日頃再び当
地帰投の予定
㋑「ダバオ」空襲作戦
㋺機雷戦支援
㋩第四急襲隊作戦支援(情況に依る)
二、本行動中の作戦要領左の通定む
㋑「パラオ」出撃
⑴出撃時刻
駆逐艦 一三三〇
神通 一五三〇
⑵対潜掃蕩
1N司令所定に依り西水道外予定航路(4sf命令に依る)付近を掃蕩し神通
及4sf西水道を出撃せば所定警戒航行序列に占位する如く行動す
㋺「ダバオ」空襲作戦
⑴1Nは特令に依り解列X日〇七三〇頃「ダバオ」湾口付近に到達し敵逃避艦艇
の撃滅に任じ情況に依り湾内進入敵敗残艦艇の掃蕩及不時着機人員の収容に従
事す
⑵神通及天津風、初風は特令に依り飛行機帰投線を構成し帰還飛行機の収容に任
ず
⑶飛行機通過終らば神通及二駆逐艦は情況により1Nの収容に任じ之と合同し4
sf司令官所定に依り同隊に合す
(以降省略)
六日一三〇〇二水戦の第十五駆逐隊と第十六駆逐隊の駆逐艦六隻が出港し西水道を敵潜を警戒しながら湾外に向、一五三〇旗艦神通が出港、湾外にて第四航空戦隊と合同し、第二警戒序列にて針路三百十度十六ノットにて進んだ。
今回の任務はダバオの制空権の確保のために、第四航空戦隊の空母「龍驤」による敵基地飛行機の制圧にある。
二〇〇〇には針路〇度、〇〇〇〇には針路を二七〇度とし、七日〇五三〇に針路を三百度とした。
一五一五時に第十五駆逐隊はダバオ湾港外の邀撃として分離していった。
八日〇四四五、神通と第十六駆逐隊の駆逐艦二隻は四航戦の攻撃機部隊の帰投線に配備につくべく針路を二七五度とした。
〇五四〇「龍驤」より相生高秀大尉率いる九七式艦攻十三機と九六式艦戦九機が発進した。角田少将は母艦をできるだけダバオに接近させて搭載機を発進させた。それは、搭乗員の練度が南雲機動部隊に比べれば未熟であり、航法の精度の心配からも神通などに帰投する目標としての艦を配置させたのであった。
艦攻隊の搭載は六十㌔爆弾である。飛行場爆撃により敵機を地上で破壊することだが、いざ飛行場上空にきて見ると、地上に敵機の姿はなく、港に水上機母艦ブレストンが碇泊しており、飛行艇二機が繋留されていた。
艦攻隊は飛行場の格納庫を爆撃破壊したほか、ブレストン目掛けて爆弾を投下したが、こちらは命中弾はなかった。艦に命中させる腕前ではなかった。逆に一機が被弾して不時着着水している。この搭乗員は駆逐艦黒潮により救助収容されている。同搭乗員捜索中に駆逐艦夏潮は敵潜水艦一隻を発見し爆雷三個を投下したが、効果は不明であった。戦闘機隊は飛行艇を銃撃して二機を炎上させた。
水上機母艦が在泊していたことを受けて、龍驤は第二次攻撃隊艦攻二機戦闘機三機を発艦させたが、発進したのは一一四五で攻撃から四時間も経過しており、ブレストンはいち早く逃げ出した。天候も悪化しており、攻撃隊はブレストンを発見できず、港内にいた商船と油タンクを銃撃して帰還した。九六戦の一機川西二飛曹機が不時着し機体は焼却したが死亡してしまう。四航戦はダバオ空襲を打ち切り、レガスピー作戦支援のために北上した。
二水戦は、敷設艦による機雷敷設の支援のためにスリガオ海峡に向かう。
十四日〇七〇〇、ダバオ攻略部隊護衛任務のためにパラオに到着し、給油整備などを行った。
一五日、田中少将は坂口支隊長と先に掲げた陸海軍協定を結び、十六日には海軍部隊の打ち合わせなどが行われた。
十七日〇六〇〇駆逐艦天津風が出港し、西水道外側の敵潜索敵に向かった。〇七〇〇白鷹が輸送船第二梯団を率いて出港した。〇七四五に天津風は西水道の入口三四五度方向一万㍍のところで敵潜水艦を探知したため爆雷攻撃を加え、〇八一〇には夏潮が敵潜水艦を探知しこれも爆雷攻撃を加えた。〇八二五には黒潮が哨戒機の誘導により敵潜水艦を捕捉攻撃し、油が湧出ていたために撃沈確実を報じた。
一二〇〇第三梯団が出港。一三〇〇第一梯団が出港した。船団は何度か敵潜らしきものを探知攻撃しながら被害はなくダバオ目指した。
十九日深夜湾内に侵入した輸送船団は、〇一四五第一梯団が予定の泊地に錨泊。〇三二〇第三梯団がタロモ湾泊地に着。〇四〇〇には第一梯団は早くも上陸成功を報じた。
〇四〇〇第二梯団がチブンコ沖合の泊地に到着。
〇五一五には第三梯団が上陸成功。
右翼隊は第三十三連隊の三浦中佐が指揮、左翼隊は第百四十六連隊第二大隊長の金代少佐が指揮、同第三大隊長の松本中佐は予備隊となって右翼隊に後続した。他に海軍陸戦隊一中隊が右翼隊とともに飛行場目指した。
右翼隊の三浦支隊の上陸計画表によれば、
右翼隊三浦支隊に加わった独立自動車第二六〇中隊第二小隊の戦闘詳報が残されている。それによれば、
一、三浦支隊は坂口支隊の右翼隊となりX+十二日未明パナカン河口口より以北
六〇〇米に亘る海岸に奇襲上陸を敢行し全力を集結を待つことなく主力を以て
「ササ」飛行場を奪取し続て「ダバオ」市を攻略し「ダバオ」河の線に於て左
翼隊と相呼応し敗敵を「ダバオ」右岸地区に於て捕捉撃滅せんとす
二、海軍陸戦隊は右翼隊の後尾に続行し上陸を敢行したる後右翼隊と協力し「サ
サ」飛行場周辺の警備を右翼隊と交代し一部を以て「ソコニ」付近に進出す
三、左翼隊は〇五三〇「タロモ」湾付近に上陸し該地付近を占領し右翼隊と相呼
応し敗敵を「ダバオ」河右岸地区に捕捉撃滅す (以下省略)
三浦支隊に加わって参加した独立自動車第二六〇中隊第二小隊の戦闘詳報が残っているので、その記録の中で上陸戦闘の様相を見てみよう。
『敵岸に近接するに従いて枯木椰子の実等の浮遊物多し石花礁と誤認し易きも宜く海上隊は巧に竹竿を操って水深を計りながら進撃を続け先頃より敵岸を見つめし作業隊長海上隊長は艇隊を敵岸七、八百米頃より横隊に配開を命ず。同時に我等は「パナカン」河口に向け真直らに瀑進す。遂に〇三五五敵岸に達着全員舟艇上より速に海上に飛び込み白波を蹴たてて上陸す。陸上隊橋本伍長は直に兵を指揮し上陸点標識燈(赤白燈)の位置を速に選定設置す。同時に暗夜に炸裂する上陸成功の信号弾上る。茲に於て三浦支隊の「ダバオ」攻略部隊をして奇襲上陸に大成功を収むの一重に天佑神助にして周到なる上陸作戦計画の妙と神速果敢なる行動の齎すものにして何物やある我等の記念すべき日と時間なり。井上作業隊長は直に付近海浜の状況偵察をなしつつありしが猶細部にして小倉軍曹をして海岸の状況及道路偵察を命ず。偵察状況前述の如し。爾後潮汐表に示すが如く漲潮と戦い乍ら潮流に依って流れる救命胴衣の蒐集整理に任ず。(中略)
爾後海上隊又野少尉は小発二を伴い戦局の展開に連れて「サンタアナ」埠頭桟橋の揚陸点偵察の為猛烈に炎上し火焔と黒煙に包まれ延焼中の港内に真一路に突き進む。「ダバオ」港には埠頭を中心として小型発動艇及艀舟が相当あり。其の一雙の敵艇に達し占領の隊旗を樹立し付近にありし艀にも次から次へと立てんとせし際陸岸及付近舟蔭に潜伏し各所に分散したる敵約五〇突然我が艇に集中猛射を浴せ来る。海上隊長は少数の乗艇員を指揮し応戦するも敵益々多大を加えたり。我れ少数の艇員のみにして何かとも成し難く一時偵察を中止の罷むなくに至る。其の後海軍艦艇は埠頭一帯に猛砲撃を開始し敵を潰乱沈目せしめたり』
駆逐艦天津風の内火艇が桟橋や交通艇より敵の銃撃を受けたために、内火艇収容のための掩護射撃を陸上の敵や交通艇に向け、敵兵約四十名が乗った交通艇を撃沈した。天津風では堀江一水が戦死した。
右翼隊は飛行場及石油タンク目指して進撃し、飛行場及石油タンク付近で敵と銃撃戦となったが、敵は軍服を捨て民間人を装い監視線を突破しようとしたが、我が監視兵に発見され、二名が射殺されたが、残りは逃走してしまった。
自動車中隊は付近で押収した自動車の一つフォード車を坂口支隊長車として配車した。
飛行場は完全占領されたが、死傷者もあったので、後続して上陸した野戦病院を飛行場に輸送するに押収した自動車を利用して輸送する任務に就いた。
敵部隊はダバオ市内に向け退却中なので、右翼隊左翼隊の前線部隊はダバオに向け敵を急追すべく向かった。
ダバオ市内に突入した装甲車隊は小学校に監禁中であった邦人救出を果たし、市内に残る敵を掃蕩しつつダバオ橋の北端に達した。後続する自転車隊はダバオ市北端の中華人小学校に監禁中の邦人婦女子を救出し、残敵を掃蕩して市内の占領を目指した。
二十日夕刻までには、ダバオ市街地は占領を果たした。
三浦支隊長らは日本領事館に向い領事館を警戒確保した。
二十一日〇一三〇三浦支隊長は命令を下した。
右翼隊命令
一、敵情邦人を虐殺せる敗残兵は本二十一日「ダバオ」河「オヤゴリン」「ラペ
ンダイ」に逃亡中なり
一、各歩兵隊中隊より精鋭なる一小隊を差出し滝上中尉之を指揮しMGより精鋭
なる一小隊は本二十一日〇九〇〇迄に領事館前に集合し角田少佐之を指揮し此
敵を掃蕩すべし成る可く軽装(防毒面)其他弾薬特種弾薬は成るべく多く器工
具昼夕食携行
三、当掃蕩隊輸送の為自動車小隊古川文隊は鹵獲車両二〇を整備士〇九〇〇迄に
領事館前に差出し角田少佐の指揮を受け之が輸送に任ずべし
四、歩兵中隊より各一分隊を本二十一日〇九〇〇迄に差出し宮本中佐の指揮を受
くべし
(以下省略)
ここで気になるのは邦人虐殺のことである。ダバオは日本人が多数いた。それはこの地がマニラ麻の生産地だったからで、日本の企業が四十数社あったという。マニラ麻でもダバオ産はダバオ麻と呼ばれ、品質もよくフィリピンでの麻生産の三分の一を誇っていたという。日本人も約二万人ほど開戦時にはいたといわれ、開戦と同時に小学校などに監禁されたのである。
何人の人が虐殺されたのであろうか。それは帝国議会でも調査されており、衆議院予算委員会の分科会で政友会革新同盟の佐藤洋之助議員が質問し東郷外相が答弁している。その内容は次の通りである。
(質) 佐藤洋之助
「ダヴァオ」の在留邦人が数十人殺傷を受けたることは洵に不祥事で、殊に「アメリカ」の正規兵が為せるに至っては洵に遺憾である、「シンガポール」の在留邦人も千人程「カルカッタ」に移送されたと云うが、彼等の安否も気遣われる、外務省としては能う限り各方面の情報を蒐集し、再び「ダヴァオ」の如き不祥事を繰返さぬよう側面から注意を払われたい。
(答) 東郷外相
敵国に在る日本人の動静は、利益保護国より政府に対し、其の情勢に依り能う限り早く能う限り詳細に報知方を依頼して居るが、併し欧州に於ける中立国の主たる国は「スペイン」「スイス」「スエーデン」等極く少数となり、是等に各国が利益保護を依頼するため、繁忙を極むるものの如く、未だ充分なる報告を集められて居ない、併し大体に於て、北米に於ても南米に於ても、虐待を受けたとの報道に接して居らず割合無事に過して居るのではないかと考えて居る、殊に南米は生活も平常通り何等変化なき状況である、「シンガポール」「ラングーン」の邦人は次第に西方に移送されたが、是は或地点迄は収容する必要もあり、右を以て敵国側の虐待を受けたるものと考える必要はないと思う、「ダヴァオ」の事件は遺憾であり、事件発生と共に調査を命じたが、其に依れば虐殺せる者は「アメリカ」正規兵ではないようであるが、虐殺された者は約十人、射殺された者三十人なること判明せる故、斯る事件が何れにせよ「アメリカ」の統治せる所に発生せることは日本の重大なる関心を持たざるを得ざる所であり、早速「アメリカ」側に抗議すると同時に、今後斯る事件の発生せざるよう厳重に、利益保護を執る「スイス」政府を通じ申入れたが、之に対し「アメリカ」は若し左様な事件があったとすれば能く調査し、然る上適当な措置を講じたいとの返事があり、其後分明せる事情は、「スイス」を通じ「アメリカ」に知らせて居る。
負傷者もおり、四十名が負傷していたようである。
(二水戦戦闘詳報より)
虐殺とはどういうことだったのか、当時の証言からすると、縛られていた上で煮湯をかけられたらしいとあり、射殺は日本軍機の攻撃に腹を立てて日本機に向ける銃口を民間人に向け発射したとからしいが、本来ならば軍法会議で実行者は処罰されて当然である。と、いってもその後日本軍によるフィリピン人虐殺の問題(戦後戦犯となっている)もあり、戦争による悲劇ともいえる。が、この時のアメリカの対応はどうなったのか、知りたいものである。
海軍の各艦船も各地に監禁されてい会社重役や婦女子らを救出している。
二十一日には東港海軍航空隊の飛行艇十二機が進出した。さらに陸上飛行場の整備が完了するや、月末迄には第二十一航空戦隊の戦闘機、爆撃機が展開を完了することになる。
ダバオは次期蘭印作戦において重要な航空基地となる。
ダバオにおける陸軍部隊の戦死傷者は、第二野戦病院の記録によると、二十日から二十二日までで、戦死者なし、負傷者将校二名、下士官兵三十六名となっている。
一方、坂口支隊のうち松本支隊はホロ島攻略に向けて二十二日日没に行動を開始した。ホロ島はミンダナオ島とボルネオ島とのほぼ中間に位置する島で、ここを占領することは、フィリピンとボルネオとの間の海上を監視するに好都合な島であった。翌二十三日輸送船三隻が第五急襲隊に守られて、ホロ島に向かった。出撃後米軍爆撃機一機の爆撃を受けたが、損害ななく二十四日夜半にホロ島の泊地に進入し、二十五日未明上陸を果たして〇六〇〇には飛行場を占領、〇八〇〇にはホロ市街地を占領した。
松本支隊はその後付近の掃蕩を実施し、守備兵約二〇〇名の約半分は戦死した。守備兵は現地原住民のモロ族であり、戦闘意欲は旺盛で、武器は竹槍や猟銃であったが、日本軍を悩ました。松本支隊の損害は、戦死将校二、兵一、重傷兵二、軽傷下士官二、兵五名であった。
二水戦の田中少将は、一二〇一時に
『〇九〇〇陸軍と協力「ホロ」飛行場を確保 残敵相当中』
を報告した。
ダバオ、ホロ攻略での二水戦の被害は、黒潮が船体に若干あったのみで、天津風が戦死一、黒潮が重傷一、軽傷三、夏潮が戦死一であった
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