第九話 ビガン上陸
比島の北部、マニラの北およそ四〇〇キロにある都市ビガンは、一六世紀のスペイン統治下には商業、貿易の拠点として栄た所である。一九九九年にはビガン歴史都市としてユネスコのs界文化遺産に登録されている。
陸軍はマニラ攻略に対する前進基地としての飛行場確保のため、ビガン飛行場を早急に占領確保することが急務であった。
作戦に参加する陸軍部隊は、菅野支隊が編成された。
菅野支隊
指揮官 台湾歩兵第二連隊第三大隊長
菅野善吉 少佐
台湾歩兵第二連隊第一大隊(二個中隊欠)、第三大隊
山砲兵第四十八連隊の一コ中隊
野戦高射砲第四十五大隊の一コ中隊
工兵第四十八連隊の二コ小隊
第二飛行場整備部隊(第五飛行集団地上部隊の一部、野戦
高射砲第四十大隊の一コ中隊を含む)
独立工兵第十連隊の一コ中隊
第二船舶砲兵連隊の一部
陸軍を掩護するのは編成された第二急襲隊である。
第二急襲隊
指揮官 第四水雷戦隊司令長官 西村祥治少将
第四水雷戦隊
軽巡 那珂
第二駆逐隊 駆逐艦 村雨、夕立、春雨、五月雨
第九駆逐隊 駆逐艦 朝雲、夏雲、峯雲
第二十一掃海隊 掃海艇 第九、第十、第十二
第三十掃海隊 掃海艇 第十七、第十八
第二十一駆潜隊 第四、第五、第六、
第十六、第十七、第十八
第三十一駆潜隊 第十、第十一、第十二
漁船 五隻
開戦前の十一月二十九日、馬公に進出した海軍の西村少将は、翌三十日、台南の第四十八師団司令部を訪れ、菅野支隊長とビガン作戦に関する陸海軍協定を行った。
海軍第二急襲隊・陸軍菅野支隊 間協定
第二急襲隊指揮官 海軍少将 西村祥治
菅野支隊長 陸軍少佐 菅野善吉
第一 上陸点及其の偵察
イ、泊地 別図第一の通(図に付き省略)
ロ、上陸地点
「アブラ」河北方地区一部「アブラ」河南方地区
ハ、上陸部署
上陸海岸
「アブラ」河北方地区 ニコ大隊
「ビガン」飛行場占領
「サンタ」地区 一コ中隊
「サンタ」「アブラ」河橋梁占領
「サルビック」地区 一コ中隊
「サルバカン」北方の隘路
ニ、上陸点の偵察
上陸前の偵察は企図秘匿上之を行わず
第二 輸送船隊集合知出発日時竝に集合地に於ける行事
一、集合知出発日時
馬公発Xー一日 一八〇〇
二、集合地に於ける行事
(省略)
第三 上陸開始日時及上陸日程
一、上陸開始期日
X+二日
二、輸送船隊投錨時刻
〇二三〇
但し状況に依り漂白の儘第一次上陸部隊を揚陸せしめたる後投錨せし
むることあり
三、上陸開始時刻
〇四三〇
四、上陸日程
概ね四日
第四 輸送船区分及輸送船隊行動竝に指揮官所在
一、輸送船区分
⑴大井川丸(六、四九四トン)
⑵高雄丸(四、二八一トン)
⑶ハワイ丸(九、四六七トン)
⑷春光丸(六、七八〇トン)
⑸三興丸(四、九六〇トン)
⑹ぶりすべん(五、四二五トン)
(総トン数は筆者加筆)
二、輸送船隊
イ、航路別図第二の通(省略)
ロ、航行速力
原速力 十一節
半速力 九節
微速力 六節
三、指揮官所在
⑴第二急襲隊指揮官 那珂
⑵菅野支隊長 春光丸
第五 海上護衛
一、方針
直接護衛兵力を付し護衛す
二、護衛兵力
イ、指揮官 第四水雷戦隊司令官
ロ、兵力 巡洋艦 一隻 駆逐艦 七隻
掃海艇 六隻 駆潜艇 九隻
ハ、協力兵力 航空機
(海軍機 爆撃機九、戦闘機一二、陸軍機若干)
三、警戒航行隊形 (省略)
第六 飛行機の使用 (省略)
第七 泊地及泊地進入時の要領竝に碇泊隊形
(省略)
第八 上陸戦闘、上陸掩護及揚陸作業援助
一、上陸は奇襲上陸を本旨とす
二、上陸掩護
海軍艦船の上陸掩護射撃は上陸部隊長の要求に依り実施す
三、揚陸作業援助
イ、海軍は左の艦艇を派遣し揚陸作業を援助す
⑴「アブラ」河北方地区上陸部隊舟艇の水路嚮導
⑵「サルベック」湾口水路目標艇
ロ、状況に依り駆潜艇及漁船をして揚陸作業を援助せしむ
四、上陸後に於ける協同
海軍艦艇の一部兵力は直接輸送船の対潜対空警戒に任じ爾余の大部
は泊地近海の敵潜水艦の掃蕩に任ず
尚次期作戦準備の為X+二日以降逐次集合地に帰還す
(以下略)
十二月六日、西村少将は麾下部隊に対して、第二急襲隊の戦策を布告した。
第二急襲部隊第四水雷戦隊戦策
一、戦闘方針
昼戦 全軍終結煙幕を利用し先づ我偉大なる魚雷力を以て敵甲巡に一撃を加
え機を見て全軍近迫猛撃敵を撃滅せんとす
夜戦 全軍集結照射砲戦距離外に於て敵巡洋艦に対し雷撃を加え之に呼応し
旗艦先づ照射砲撃を開始し機を見て全軍近迫猛撃敵を撃滅せんとす
奇襲隊(艦)は旗艦の照射砲撃を見ば速に敵巡を奇襲するものとす
(以下省略)
七日の一八〇〇時に第二急襲隊は、陸軍菅野支隊を乗せた輸送船六隻を護衛して馬公を出撃した。海軍部隊は対空対戦警戒を厳にして航行して天候にも恵まれた。九日一二五〇時には敵哨戒飛行艇一機の接触を受けたが、敵機の攻撃はなく十日〇一四五に輸送船隊は「ビガン」泊地に投錨した。陸軍部隊は揚陸作業に入り、〇五三〇時に上陸に成功した。
入泊には困難が予想されていたが、月明かりによって、地形が確認でき容易に可能となった。陸軍部隊は敵の抵抗もほとんどなく、〇七〇〇時には市街地と飛行場を占領した。
菅野支隊は一二二〇西村少将に対し、
『〇七〇〇「ビガン」占領目下付近掃蕩中我が軍損害なし』
『飛行場使用可能なるも工事を要す明日より使用可能』
と報告した。
その後、敵機が輸送船と護衛艦艇を襲ってきた。〇八一五より、B17爆撃機十二機、戦闘機六機が来襲して、爆弾と銃撃を加えてきたが、この際はさしたる損害もなかったが、高雄丸は浅瀬に擱座して荷揚げ作業に支障が起きないよう配慮した。(その後高雄丸は放棄された)
一〇三〇以降、B17二機と戦闘機五機前後が執拗に銃爆撃を加えてきた。第十号掃海艇が敵の銃撃が甲板上の爆雷を誘爆させ、大爆発とともに吹き飛んだ。この爆発で敵の戦闘機一機も爆風を受けて墜落した。第十号掃海隊の死者は七十九名、負傷者は十七名に達した。
駆逐艦村雨も戦闘機三機の銃撃を受けて損傷し、死者五名、負傷者九名を出した。村雨も戦闘機一機撃墜確実を報じた。
旗艦の那珂も、六回にわたり銃爆撃を受けた。那珂は回避につとめながら、対空戦を継続したが、至近弾により死者二名、負傷者七名を出した。
輸送船も銃爆撃に見舞われた、大井川丸が小火災を起こし船長他十五名が負傷した。
陸軍戦闘機も進出したバスコ飛行場を使用してビガン泊地の警戒を実施し、飛行第二十四戦隊の九七戦は、米戦闘機と交戦して船団を掩護した。
十一日、〇八三〇より早くも敵戦闘機と爆撃機が来襲し、船団に爆撃を行ったが、被害はなかった。
その後〇九四〇より夕刻は、味方戦闘機の掩護があったが、敵機の襲来もなかった。
十二日一〇五五より再びB17四機が来襲し、二機が輸送船を二機が那珂を目掛けて爆撃したが、被害はなかった。
一二一五再びB17二機が来襲し、一機が輸送船を爆撃、一弾がハワイ丸の後部高射砲に命中し、負傷者三十名を出した。もう一機は那珂を爆撃したが、被害はなかった。
輸送船団は夕刻までに大井川丸と高雄丸以外は積荷の揚陸作業を終えたため、二一三〇時に出港して高雄に向かった。護衛艦隊も輸送船を護衛しながら馬公に向かった。
十三日〇三二五、村雨は敵潜水艦らしきものを前方約九キロに発見し、那珂とともに爆雷攻撃を実施し、爆雷それぞれ六発ずつ発射した。夜明けには爆雷投下地点付近にて多量の油湧出を認め、撃沈確実として付近海上の制圧を終えた。
目的を達成した海軍部隊は帰還したが、陸軍部隊は損害皆無だったのに対し、掃海艇一隻を失い、那珂をはじめ数隻が損害を受けた。輸送船も一隻が擱座放棄された。
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