第八話 ルソン海峡の確保

 台湾南端の鵝鑾鼻ガランピ岬からルソン島まで約二〇〇浬(約三七〇㌔)ほど隔たっている。その間はルソン海峡と大きくは呼ばれているが、細分すると、台湾とバタン諸島の間が、バシー海峡であり、バタン諸島からバブヤン諸島の間がバリンタン海峡、バブヤンからルソン島の間がバブヤン海峡と呼称されている。台湾とルソン島の間のほぼ中央に位置するのが、バタン諸島にあるバタン島で飛行場もあり、重要拠点である。日本軍としてはここを占領して中継地として飛行場を確保利用することが重要であった。陸軍としては航続距離の関係上、ここを確保することは爾後の作戦に影響を与えることであった。ルソン島に近いバブヤン諸島は、山や起伏に富んでおり、飛行場とする適地もなかったのである。

 従って、陸軍の作戦計画にある如く、「台湾基地航空部隊の先制空襲と同時に、まずバタン島、カミギン島、次いで、ビガン、アパリ、レガスピーに航空基地を急襲獲得して、すみやかにルソン島北部及び東部に陸海軍航空部隊を推進する」必要があったのである。


 バタン諸島のバタン島とバブヤン諸島のカミギン島は、海軍の第二根拠地隊がその任務を負っていた。

 比島部隊第三急襲隊として編成され、第二根拠地隊司令官の広瀬末人少将が指揮した。

 旗艦 駆逐艦 山雲

 第二十一水雷隊

   水雷艇 千鳥、初雁、真鶴、友鶴

 第十一掃海隊の一部

   掃海艇 第十三号、第十四号

 第五十二駆潜隊

   駆潜艇 第十五福栄丸、第五拓南丸、第十七昭南丸

 第五十三駆潜隊

   駆潜艇 興嶺丸、第二京丸、第十一京丸

 第五十四駆潜隊

   駆潜艇 長良丸、第一昭南丸、第二昭南丸

 第三砲艦隊

   南浦丸、木曽丸、阿蘇丸

 第一哨戒艇隊の一部

   哨戒艇 第一号、第二号

 第二防備隊

 第二通信隊

 佐連特のニコ小隊

 敷設艇 燕、鴎 

 特設運送船 球磨川丸、漁船五隻

 特設水上機母艦 讃岐丸(零式観測機六機)

 陸軍第二十四飛行場大隊の一部

   (帝雲丸に乗船)


 カラヤン島へは駆逐艦太刀風たちかぜに陸戦隊一コ小隊を載せて向かわせた。


 七日一八〇〇時、広瀬少将は駆逐艦山雲に座乗して、麾下艦隊を率いて枋寮を出港し、陸軍の飛行場大隊を載せた帝雲丸は第五十二、第五十三、第五十四駆潜隊に護衛されて高雄を出港した。


 東港に基地を置く讃岐丸は開戦と同時に行動を開始し、讃岐丸の「戦闘詳報」によると、〇五四〇時に零観二機を発進させ、「バブヤン」「カミギン」「カラヤン」各島の偵察を実施し、〇六〇五時に二機を発進、〇六四三時に二機を発進させ、都合四機は「バタン」島攻略支援で向かった。

「讃岐丸」は日本郵船所有の貨物船で、海軍に徴用され艤装工事を受けて特設水上機母艦として使用された。要目は、

 総トン数  九、二四六トン(一九四一年)

 全長    一四七・一九メートル

 航海速力  一六・〇ノット

 零式観測機 六機

 九五式水上機偵察機 二機

 一五㎝砲 二門

 短八㎝砲 五門 など


 陸海軍が徴用した船舶は膨大な数に上る。海軍の小艦艇などは徴用船が多数を占めた。軍艦の絶対数が少ないものを埋めた。そして、活躍もしたし、被害も膨大であった。その活躍と被害は今後頻繁に登場することになるだろう。


 途中悪天候であったが、その突破に成功し、後者の四機は「バスコ」飛行場に在地していた大型機一機に対して爆撃を敢行してそれを大破し、付近にあった揮発油搭載の貨物車を炎上させ、第三急襲隊の部隊が無事上陸するのを見届けた上で、〇九三五全機帰還した。

 前者二機のうち一番機(高野裕大尉機)は「カミギン」島偵察中に被弾して潤滑油が漏れ〇八二五「カラヤン」島南岸に不時着し、二番機(広村勤一飛曹機)は同島の北西方約五浬にあった味方駆逐艦「太刀風」に対して報告球を投下して救助を依頼して帰還した。

偵察の結果は次の如く通報された。


⑴「カミギン」島飛行機偵察報告

 「カミギン」島「カラヤン」島方面平静にして敵影なく「カミギン」島は水上

 基地に適す、一号機発動機故障「カラヤン」島西岸に不時着無事接岸せるも波

 浪の為機体破損す、三号機報告球に依り付近航行中の駆逐艦に救助を依頼せり

⑵「バタン」島攻略に協力の飛行機は「バスコ」飛行場を銃爆撃して大型機一機

 を破壊し燃料庫を炎上せしめ全機無事帰還(備考)燃料庫とあるは燃料車にし

 て通信の誤りなり

右の飛行機を以て第三急襲隊に対する掩護は充分なりと認め爾後は専ら第一急襲隊の海上掩護に任じ零観二機宛三直を以て其の前路警戒を実施せるも敵を見ず


 第三急襲隊は、八日〇七五〇頃バタン島バルアルト湾に進入し、陸戦隊四百九十名を揚陸して〇九五〇頃にはバスコ飛行場を占領した。守備隊の一部は逃走した様子で、抵抗は全くなかった。その後、駆潜隊に護衛された帝雲丸は一二一五時に入泊して陸軍の第二十四飛行場大隊が上陸し飛行場に進出して飛行場の整備を始めた。

 整備が完了次第、第五飛行師団の独立飛行第五十二中隊、第七十四中隊の軍偵機と直協機が飛行場に着陸して、飛行場の状況を調査したが、飛行場の規模が小さく、偵察機と戦闘機が使用できる程度と確認し、翌日より戦闘機隊の中継基地として使用が開始された。ただし、この飛行場はルソン北部の飛行場占領とともに、使用はされなくなった。


 一方、広瀬司令官は駆逐艦山雲を指揮して、八日バタン島を出撃し、十日〇七三〇カミギン島サン・ピオ・キント港に進入した。

 讃岐丸の基地員、物資を搭載した第三砲艦隊は、八日二二〇〇高雄を出発してカミギン島に向かった。第一哨戒艇隊は讃岐丸の不時着機の捜索収容に向かった。その後、哨戒艇隊はカミギン島に向い、乗艦中の陸戦隊ニコ小隊をマンビット村に上陸させ、住民は確認したが守備兵は認められず、午前中には撤収した。讃岐丸の基地隊は、水上機基地の設営をカタダルアン村付近に決定し、夕刻までに基地物件を揚陸した。

 讃岐丸の零観六機は十日一八三〇には母艦ではなく、カミギン基地に進出した。

 第二号哨戒艇はフガ島の探索を命じられ、フガ島に接近して揚陸地点の探索をしたが、海岸地形が険しく揚陸は断念した。

 カミギン基地に進出した讃岐丸零観隊は、翌日よりアパリ上空、ビガン上空の哨戒任務に当たったが、ビガン飛行場に陸軍機が進出したのを確認した。十二日にはカミギンの基地の波浪が激しく、零観隊は基地の撤収を開始したが、二機が破損し、三機がなんとか離水に成功した。破損した二機は応急修理をした上で離水に成功し、夕刻までには東港に帰還した。


 駆逐艦「太刀風」に乗艦した横須賀第三特別陸戦隊の一コ小隊は、七日高雄を出港し、八日早朝にはカラヤン島に到着して、一一一五陸戦隊を上陸させた。陸戦隊は同島にあった無線電信所を破壊し、草原の中に長さ三〇〇米、幅二〇〇米の不時着場を整備した。

 「太刀風」は〇八三〇観測機が投下した通信筒により、同艦の一機がカラヤン島に不時着した通報を受けて、「太刀風」は陸戦隊を揚陸させて一八一五高野大尉他一名を救助した。

 陸戦隊は不時着機に備てカラヤン島に待機していたが、その他に不時着機は認められず、九日夕刻には陸戦隊を撤収収容し、「太刀風」は高雄に帰港した。

 広瀬少将は、所定の目的を達成したと認め、十一日未明現地を離れ、次期リンガエン湾上陸に備て基隆に向かった。


 アパリ急襲上陸を命ぜられた陸海軍部隊は第一急襲隊と命名された。

 第一急襲隊

  指揮官 第五水雷戦隊司令官 原顕三郎少将

  第五水雷戦隊

   旗艦 軽巡 名取

   第五駆逐隊 駆逐艦 春風、旗風

   第二十二駆逐隊 駆逐艦 皐月、水無月、文月、長月

  第一駆潜隊

   駆潜艇 第一号 第二号 第三号

  第二駆潜隊

   駆潜艇 第十三号  第十四号  第十五号

  第十一掃海隊第二小隊

   掃海艇 第十五号  第十六号

  第十九号掃海艇

  漁船五隻

 第十四軍田中支隊  

  指揮官 台湾歩兵第二連隊長 田中透大佐

  台湾歩兵第二連隊 (第二大隊及び第一大隊ニコ中隊)

  輸送船六隻 ありぞな丸、昭浦丸、雄山丸、松川丸、

        和浦丸、鞍馬丸

  第十一航空艦隊運送船 慶洋丸


 原少将は十一月二十九日馬公に進出し、三十日台南の第四十八師団司令部を訪ねて、田中支隊長との陸海軍協定を行った。

主だった内容は、

 第一 上陸点及其の偵察

 一、上陸点

    第一案  タバル、バタンガン付近

    第二案  ブゲイ西方地区

    第三案  パラヴィグ海岸

    上陸点はX+一日二二〇〇迄に協議決定す

    但しアパリ方面の上陸不能なる場合は更に協議の上ラ

    オアグ河南方地区を上陸点とすることあり

 二、上陸点の偵察

    上陸前の偵察は企図秘匿上之を行わず

 第二 輸送船隊集合地出発日時竝に集合地に於ける行事

 第三 上陸開始日時及上陸日程

 第四 輸送船区分(嚮導艦)及輸送船隊行動竝に指揮官所在

 第五 海上護衛

 第六 牽制陽動

 第七 飛行機の使用

 第八 泊地及泊地進入時の要領及碇泊隊形

 第九 上陸戦闘、上陸掩護及揚陸作業援助

 第十 上陸後に於ける輸送船の行動

 第十一 通信連絡

 第十二 情報交換

 第十三 指揮官の行動

  (第二以降詳細項目省略)

           (「第五水雷戦隊戦闘詳報」より)

 などであった。

 海軍側では別途、護衛要領、対戦掃蕩、泊地警戒要領を通達している。

 十二月一日、第一急襲隊指揮官原少将は、命令第一号を布告した。

『第一急襲隊は陸軍田中支隊を護衛してX+二日未明之を「アパリ」付近に上陸せしめ爾後陸軍輸送船泊地の警戒竝に呂宋海峡南部の敵潜掃蕩を実施せんとす』(前掲「戦闘詳報」より)


 第一急襲隊は十二月七日一六三〇田中支隊を載せた輸送船隊を護衛して馬公を出撃した。

 事前の敵情判断としては

「アパリ方面陸上守備兵力約百五十名にして海上に於ては敵潜水艦一、二隻程度、上陸点付近水中障碍物其の他の防備は大なるものなかるべく只制空権未だ我が有に帰しあらざる為敵機の来襲は相当予期せられ厳重なる対空竝に対潜警戒を要するものと予想せられたり」( 前掲「戦闘詳報」より)

 であった。


 八日午後から波浪が強くなり、視界も五キロ程度となった。夕刻アミ島を発見したが、航程が遅れていることが判明した。そのため予定航路を修正したが、波浪は高いままで視界も悪く艦位が測定できなかった。

 原少将は田中支隊長に対し、

「目下の天候により判断せば上陸点は第一案を有利と認む。第一錨地に入泊することと致度」

 と信号を送り、田中支隊長は同意した。上陸地点は第一案通りと決定した。


 九日二一〇三、ルソン島北東端のエンガノ岬の灯を発見し艦位を確認し、二二二五、原司令官は

「第一錨地に入泊せよ」と命じた。

 輸送船隊は嚮導艦「春風」の先導の元に泊地進入隊形を作った。

 十日〇一〇〇時名取は飛行機らしき二機を発見し緊急通報を発した。

「名取の南西方に怪しき敵飛行機二機見ゆ警戒を厳にせよ」

 〇四〇〇船団は予定通り錨地に入り揚陸作業を開始した。

 〇六〇〇時「上陸成功敵の抵抗なし」

の報告が届けられた。


 掃海艇隊は付近の掃海の任務にあたり西方に動いていた。掃海艇第十九号はカガヤン河口に米国商船らしきものを認め、宮原少将に報告した。宮原少将は第十九号に対し

「カガヤン河口にある敵国商船を拿捕し現状を調査の上なし得れば之を輸送船泊地付近に回航瀬しむべし」

 と命じた。その後十九号は消息を絶った。


 午後一二三〇時に米軍の大型爆撃機一機が来襲し、鞍馬丸付近に爆弾二発が爆発したが、被害はなかった。一時間後の一三三〇時、爆弾一発が旗艦「名取」の左舷中央部付近に至近弾となり、若干の被害を受けた。その被害は

一、搭載機大破、通信装置一部破壊

二、左舷外鈑弾片破口数十ケ所

  後部電信室、機関科事務室、軽質油庫、揮発油庫など大なるは一五〇粍程度

  の破孔

三、後部十二番、十四番重油タンク浸水

四、戦死七名(渡辺少尉他六名)

  重傷 下士官兵六名

  軽傷 准士官以上二名、下士官兵十四名


 名取は修理のために十日一九〇〇馬公に向け出発した。原少将はそのために旗艦を駆逐艦「長月」に変更した。

 米爆撃機は一機が頻繁に来襲した。一六三〇頃にも駆逐艦「春風」に艦尾から三〇メートル付近に爆弾が落下した。被害はなかったが、米B17爆撃機は高高度からの爆撃で、対空砲火の効果はほとんどなかった。


 原少将は十一日〇〇四〇時に第二駆逐隊に対し、音信が途絶えている掃海艇十九号の動向を調査するよう命じた。

 その後一〇五〇時になり、十九号艇長より原少将に対し連絡が入った。

『「カガヤン」河口に於て敵機の爆撃を受け撃沈さる、生存者四〇名内重傷者十二名、軽傷者二十三名』

 その後の調査により、十九号の情況が判明した。

『十日午後米国商船「セッテス」を拿捕し「カガヤン」河口(リナオ灯台の一二四度四〇七〇米)に投錨直後一六一五敵爆弾後部に命中爆雷等の誘爆を起し大破艦橋より前方を水面に残し約三〇度の仰角にて着底せるものなり。

生存者准士官以上艇長軍医長掌機雷長(以上軽傷)機関長計四名、下士官兵三十六名(内重軽傷者十四名)(重軽傷者は一時陸軍野戦病院に収容)

軍医長及下士官兵傷者十三名及重要機密書類を春風旗風にて馬公に輸送

艇長掌機雷長機関長及下士官兵約二十名は引続き残留す

艇体は残留員にて極力重要兵器を取外したる後已むを得ざれば廃棄の外途なきものと認む』

 

 一方上陸部隊の揚陸作業は、十日中に三分の一を終了したが、夕刻から海上は荒れはじめ、十一日朝には揚陸作業が困難となったため、輸送船は一時移動した。

 上陸した田中支隊は敵の抵抗はほとんどなくアパリ飛行場を占領し、十四軍の参謀は同飛行場を調査したところ、飛行場の土質は軟弱で爆撃機の使用には適さないことが判明したため、田中支隊は南方約八〇キロにあるツゲガラオ飛行場を占領するよう命ぜられ、十二日朝には同飛行場を占領した。

 アパリ飛行場の整備は進み、十二日午前中には第五〇戦隊の戦闘機二十四機が進出したが、米戦闘機一機が来襲して銃撃を受け、二機が炎上する損害を受けた。

 作戦目的を達成したと判断した原少将は、十二日一八〇〇、第一、第二駆潜隊に対し、台湾、奄美大島に回航して次期作戦に備るよう命じた。

 他の部隊は揚陸中の輸送船の警戒を続行した。十三日午前、船団は二回にわたり潜水艦の雷撃を受けたが、魚雷は艦底を通過して爆発せず陸岸に乗り上げた。原少将は船団に対し揚陸作業を急ぐよう命じ、船団からは十三日夕刻には完了見込みの報告があっっため、十三日揚陸作業が完了次第、各部隊はアパリから離れ、高雄に向かった。

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