第三章 比島攻略作戦

第一話 陸軍作戦計画

 政府、大本営は十六年九月六日、「日本は自存自衛を完うするため、対米、英、蘭戦争を辞せざる決意のもとに、概ね十月下旬を目途に戦争準備を完遂する」という方針を決定し、陸、海軍は本腰を入れて作戦準備を進めることになった。


 比島は南北東西に広がり、南北は北緯五度から二十度まで約千七百キロ、東西は東経百十七度から百二十七度まで約千百キロに及ぶ。全体としては三角形をなしているが、比島は大小約七千百からなる島からなり、総面積は三〇万平方キロ。最大の島はルソン島で、南部のミンダナオ島が二番目である。

 ルソン島は台湾とは約三七〇キロ隔てるルソン海峡がある。この海峡にも多数の小島が南北に散在している。北端のアミ島から台湾南端まではおよそ一一〇キロである。

 比島の全人口は昭和十四年の国勢調査で約千六百万人、うち外国人が十六・七万人、そのうち日本人は約二・九万人との統計がある。


 十一月五日御前会議により対米英蘭戦争が裁可され、その中でフィリピン作戦も陸海軍協同作戦のもと計画された。

 比島攻略の担当は第一四軍とし、その充当兵力は約二個師団と飛行集団一個。攻略のための所要日数は約四十五日とされた。


 十一月十日にまとめられた軍の比島攻略作戦要項は、次のようであった。

  第十四軍作戦計画概要

第一  作戦目的  

一 軍の作戦目的は比島における敵を撃破し、その主要なる根拠を覆滅するに

 あり

第二  作戦方針

二 軍は海軍と協同して、主力を以てルソン島に上陸し、敵を撃破して、速かに

 マニラを攻略する。爾後、引続き比島内の要地を占領す。

    第三  作戦指導要領

三 作戦は比島に対する空襲を以てこれを開始す。

四 開戦初頭、軍は一部を先遣し、速かに航空基地を占領すると共に、第五飛行

 集団を以てルソンに於ける航空勢力を空襲しこれを撃滅し、ついで主力はルソ

 ン島に上陸し、速かにマニラを攻略し引続き比島内の要地を占領す。

五 軍主力についで第六十五旅団をルソン島に進め、概ね作戦目的を達成せば第

 四十八師団の転用を準備す。

六 作戦準備の間、敵の先制攻撃を受けた場合の作戦は、所在の部隊を以て機宜

 之を邀撃す。

  又、作戦開始の命令発令後に於ては、適時進攻作戦を開始す。

七 上陸作戦は敵陸海空軍の攻撃を排除して行う敵前上陸を本則とす。

八 軍司令部は、当初台北、ついで高雄に位置し、開戦後主力と共にルソン島に

 上陸す。

    第四  集 中

九 軍は開戦と共に比島に先遣すべき各一部を、馬公及びパラオ島に、爾後の軍

 主力を台湾及び南西諸島に集合せしむ。

 集中及び作戦準備に方りては、あらゆる手段を尽して企図の秘匿に勉む。

    第五  兵団部署

十 軍隊区分及び任務の大要

  1  第五飛行集団は海軍と協同しルソン島に於ける敵航空勢力を急撃しこ

    れを撃滅する

  2  A[田中]支隊、B[菅野]支隊、C[同]支隊(各支隊の兵力合計

    第四十八師団の歩兵三大隊、山砲兵一大隊及び所要の航空部隊基幹)

    は、アパリ、ラオアグ(アパリ西方約一一〇粁)及びビガン付近の航空

    基地を占領整備す

     D[木村]支隊(第十六師団の歩兵二大隊、野砲兵一中隊基幹)は、

    レガスピ―付近の航空基地を占領確保す

     E[三浦]支隊(第十六師団の歩兵一大隊基幹)は、第十六軍の坂口

    支隊の指揮下にダバオを占領し、同地付近の航空基地を占領確保す。

  3  第四十八師団(歩兵三大隊、山砲兵一大隊基幹欠、所要の軍直部隊

    属)はリンガエン湾に上陸し、中部ルソンの敵を撃破してマニラを攻撃

    す。(上陸後、ABC各支隊の主力又は全部をその指揮下に入る)

     第十六師団(歩兵六大隊、野砲一大隊基幹欠、所要の軍直部隊属)

    は、ラモン湾に上陸し、軍主力に策応し、南部ルソンの敵を撃破してマ

    ニラを攻略す。(上陸後、D支隊をその指揮下に入る)

  4  その他の部隊(第十六師団の歩兵三大隊、野砲兵約一大隊、その他軍

    直部隊の残余)は当初軍直轄とす。

    第六  作戦要領

十一 第五飛行集団は台湾に展開し、台湾及びパラオ島等に展開せる海軍航空部

  隊と協同し、比島方面敵航空勢力を空襲す。又開戦初頭、海軍の急襲するバ

  タン島(アパリ北方二二〇粁)に飛行場を整備す。

十二 ABC各支隊は、航空第一撃開始前日夕以降、その集合点を出航し、BC

  支隊はビガンに上陸し、ついでC支隊はラオアグに、又A支隊はアパリに上

  陸、敵を撃破して速かに上陸地付近の航空基地を占領整備す。

一三 D及びE支隊は、航空第一撃開始前日夕以降、適時その集合点を出航し、

  D支隊はレガスピー付近に、E支隊は第十六軍坂口支隊指揮の下に、ダバオ

  付近に上陸し敵を撃破して速やかに上陸点付近の航空基地を占領確保、海軍

  の右基地整備に協力す。(第十六軍坂口支隊は、ダバオ攻略後ホロ島を攻略

  す)

十四 第五飛行集団は、ABC各支隊の航行ならびに上陸にあたりては、主力を

  以て之に協力す。又海軍航空部隊は、D及びE支隊の上陸ならびに爾後の作

  戦に協力す。

   第五飛行集団は、北部ルソンに於ける航空基地の整備に伴い、台湾より速

  やかに之に躍進し、航空作戦を続行す。

十五 軍は、海軍と協同し、航空作戦の成果に伴い、遅くとも作戦第十五日頃ま

  でに主力(第四十八師団基幹)を以て、リンガエン湾に、一部(第十六師団

  基幹)を以てラモン湾に上陸する。又リンガエン湾付近に速やかに上陸根拠

  地を設定す。

  第五飛行集団及び海軍航空部隊は、右上陸作戦に蜜に協力す。

十六 リンガエン湾に上陸した部隊は、主力を以て上陸点=ダモルテス=ロザリ

  オ=カバナツアン(タルラック東方約四〇粁)=マニラ通、一部を以て上陸

  点=タルラック=サンフェルナンド=マニラ通方面より、又、ラモン湾に上

  陸した部隊は主力を以てラグナ湖南方地区より各当面の敵を撃破して、速や

  かにマニラに向い作戦す。特にこれらの部隊は、上陸後主力の集結を待つこ

  となく、一挙にタヤバス山脈を突破するに勉む。

  この間、ABC支隊の主力又は全力を速やかに軍主力方面に転用す。

  第五飛行集団は作戦の進捗に伴い、逐次前方に基地を獲得しつつ、これに協

  力す。

十七 軍は、主力を以て南北より速やかにマニラを攻略し、引続き比島内要地を

  占領す。

十八 軍は、概ねその作戦目的を達成したならば、第四十八師団を基幹とする部

  隊をマニラ付近に集結し、蘭印印度方面の対する転進を準備す。


 ついで、第十四軍が創設され、司令官以下の陣容が決定した。

 

 第十四軍 司令官  中将  本間 雅晴

      参謀長  少将  前田 正美

            (十一月六日に中将に進級)

      参謀副長 少将  林 義秀

      第一課高級参謀 大佐 中山 源夫

      第二課高級参謀 大佐 高津 利光

      作戦主任参謀  中佐 牧 達夫

      情報主任参謀  中佐 中島 義雄

      航空主任参謀  中佐 秋山 紋次郎

      情報参謀    少佐 羽場 光

      作戦参謀    少佐 佐藤 徳太郎

      軍政参謀    少佐 和田 盛哉

      通信参謀    少佐 北山 三十雄

      後方参謀    少佐 稲垣 正次

      船舶参謀    大尉 富田 三男

   第十六師団   

      師団長 中将  森岡 皐

      参謀長 大佐  渡辺 三郎      

     歩兵第九連隊

      連隊長 大佐  上島 良雄

     歩兵第二十連隊

      連隊長 大佐  吉岡 頼勝

     歩兵第三三連隊

      連隊長 大佐  鈴木 辰之助

   第四八師団  

      師団長 中将  土橋 勇逸

      参謀長 大佐  川越 守二

     台湾歩兵第一連隊

      連隊長 大佐  今井一二三

     台湾歩兵第二連隊

      連隊長 大佐  田中 透

     歩兵第四七連隊

      連隊長 大佐  柳 勇

   第六十五旅団

      旅団長 中将  奈良 晃

     歩兵第百二十二連隊

      連隊長 大佐  渡辺 祐之介

     歩兵第百四十一連隊

      連隊長 大佐  今井 武夫

     歩兵第百四十二連隊

      連隊長 大佐  吉沢 正太郎

   独立速射砲第三中隊

   独立速射砲第八中隊

   独立速射砲第九中隊

   独立速射砲第十中隊

   戦車第四連隊

   戦車第七連隊

   野戦重砲兵第一連隊

   野戦重砲兵第八連隊

   独立臼砲第十五大隊

   独立重砲兵第九大隊

  野戦高射砲第四十七大隊(一中隊欠)

  野戦高射砲第四十八大隊

  独立野戦高射砲第三十、第三十一中隊

  独立工兵第三連隊

  独立工兵第二十一連隊

  独立工兵第三中隊

  第十四軍鉄道隊

  第十四軍通信隊

  架橋材料第二十六中隊

  架橋材料第二十八中隊

  渡河材料第十三中隊

  渡河材料第十四中隊

  第一野戦憲兵隊

  第十四軍直属兵站部隊


 本間雅晴中将は(陸大十九期、新潟県出身)、英国駐在、陸軍省新聞班長、歩一連隊長、参本第二部長、第二十七師団長、台湾軍司令官等を歴任している。本間将軍は英語に堪能で国際感覚に優れ、歌道に通ずるなど、文人的素養の豊かな人物であった。

 参謀長の前田少将(陸士二十五期)は、参謀本部作戦課に所属し、大正十四年から昭和三年の約五年間、電気器具商に変身して比島に潜入し、この地の兵要地誌その他作戦資料の収集にあたり、比島事情に通じた数少ない一人であった。


 十月陸軍大学校で行われた兵棋演習に際し、前田参謀長は次のことを質疑した。

「大本営の比島作戦目標は、マニラ市の占領にあるか、あるいは敵野戦軍主力の撃滅にあるか。もし後者にありとすれば、決戦はマニラ周辺に予期すること困難にして、主戦場はむしろバターン半島に予想さるべく、したがって両者を一挙にとげることは困難である。バターン半島が主戦場となれば、第十四軍の兵力量は不足であり、すくなくともマレー軍や蘭印軍と同等を必要とするであろう」

そして、

「米西戦争の例に見ても、米比軍がバターンに退避する公算があるが、その場合の作戦については、いかに考えておられるか」

とくいさがったが、南方軍総参謀副長青木重誠少将は

「もし、作戦経過中、米比軍がバターンに退避すれば、それはマニラ攻略後の戡定作戦として、ゆっくり処理してもらいたい。とにかく、マニラは政戦略上、速やかに攻略する必要があり、海軍もこれを熱望している」

 前田少将の提言は通らなかった。しかし、前田少将が予測したように、米比軍はバターン半島に立て籠もり、予想以上の長期に渡って日本軍を苦しめることになるのである。

 

 第十六師団は、司令部を京都市伏見区に置き、歩兵第九連隊は、本部と二個大隊とを京都に、一個大隊は大津においた。歩兵第二十連隊は、京都府福知山に本部を置き、歩兵第三十三連隊は三重県久居に本部を置いた。

 第十六師団の通称は「垣」といった。由来は明らかでないが、京都御所禁裏(御垣内)を守護する部隊ということから、「垣」と称したのではと言われている。

 さて、十一月中旬に策定された師団作戦計画は次のようであった。


    第十六師団作戦計画

   第一

 師団は第三艦隊と協同し「ラモン」湾沿岸に上陸し当面の敵を駆逐して速かに「タヤバス」山系を越え爾後当面に予期する敵の攻勢移転撃破と上陸部隊の集結整理とを図りつつ先づ主力を以て「カンデラリア」付近平地に進出し以て「タガイタイ」山稜(「タアル」湖北方山地)の予期する敵の抵抗を撃破して一挙に「キャビテ」及「マニラ」を攻略す

   第二 指導要領 

一、師団奇襲上陸を行うことに万般の勢力を為すも海岸に於ける敵部隊の抵抗を

 強行撃破して上陸することあるを予期す

二、タヤバス山系の超越及狭隘なる海岸に於ける混雑を防止する為一時兵力分散

 の余儀なき不利を忍び数道路に縦隊を進め又同山系を越ゆる迄上陸の完結に大

 なる顧慮を払うことなく前進す

 此の際上陸部隊の一部と雖も速かにタヤバス山系を越えしめて同山系の道路を

 確保するに務む

三、上陸点は一部を以てマウバン付近、主力を以てアチモナン、シャイン(アチ

 モナン東南東約十二粁)付近と予定するも該方面に於て敵が特に機雷の敷設、

 海岸障碍物を設置して除去困難なるを発見し東北新風の影響大ならざる場合に

 は之を一部を以てランボン湾(マウバン北方約四十粁)主力を以てマウバン付

 近に変更することあり

 予定上陸案を「甲」変更上陸案を「乙」と呼称す

四、歩兵一大隊を基幹とする縦隊を以てマウバン付近に上陸し速かにルイシアナ

 (マウバン西方約二十四粁)付近に進出しラグナ湖南岸平地への前進を準備し

 同湖東北方を警戒す、ルグバン(ルイシアナ東南方約八粁)付近進出後必要に

 依り師団主力のタヤバス方面進出を容易ならしむる為南方の戦闘に策応せしむ

 ることあるを顧慮す

 右部隊の爾後に於ける主作戦路はルイシアナーカランバーマニラ道に沿う地区

 と予定するも状況に依り一部をラグナ湖北岸に転進せしむることあるを予期す

五、主力を以てアチモナン付近を上陸し速かにバグビラオ(ルセナ東北東約八

 粁)付近及其の西方地区に進出しルセナ平地の作戦を準備す

 此の際機動部隊をタヤバス付近及遠くマラキングイログ川河畔の要点に推進し

 敵の前進を扼守せしむ

六、歩兵約半大隊強を基幹とする部隊を以てシャイン付近に上陸し同地付近に集

 結グマカ(シャイン東約八粁)方向に対し師団の左側を掩護し又師団予備たら

 しめ其の一中隊((機関銃一小隊及無線を付す)を師団直轄として鉄道線路に

 沿う地区をマリクボイ(アチモナン西方約十四粁)に前進師団主力の該地方面

 進出を容易ならしむ

七、ルセナ平地進出後の主作戦路はルセナーチアオング(ルセナ西方約三十二

 粁)ーサンバブロ(チアオング北方約十粁)ーサントーマス(サンバブロ西方

 西約十八粁)ーキャビデ道と予定し支作戦をラグナ湖岸及タール湖南方に予想

 す

八、キャビテ及マニラに向う前進間邁進する敵及陣地の攻撃に方りては此等を局

 地的に包囲撃破するに勉め機動性大なる部隊の運用に依り迅速に戦果を挙げて

 終局の短期化を図る

九、マウバン方面上陸部隊に対する補給路は部隊の前進に伴いバグビラオールイ

 シアナ道、サンバブローカラウアン(サンバブロ北方約八粁)道に転換を図る

十、ラグナ湖を利用する為携行舟筏及現地船舟の使用を期す


 第四十八師団は海南島にあった台湾混成旅団を基幹として昭和十五年に臨時編成を行なわれ、大分の歩兵第四七連隊が編合された。主力は台湾にあったが、一部は海南島にあった。部隊は改変に伴い、自動車両編成の機械化部隊となった。完全機械化部隊はマレー戦線の第五師団と比島戦線の第四十八師団の二個師団のみであった。

 第四十八師団は十二月一日作戦計画を立案した。


   第一  方針

一、師団はリンガエン湾東海岸に上陸したる後速かにマビラオ及ボボナン付近の

 隘路を超越して中部呂宋地に進出す

二、上陸開始にZ日未明と予定す

三、上陸開始天明以後となる場合に於ては強行上陸を敢行す

四、第一、第二、第三護衛艦隊、第十一航空艦隊及第五飛行集団は師団の作戦に

 協力す

   第二  要領

五、上陸点次の如く上陸直前の偵察は実施せず

    右翼隊   アゴー正面(A上陸点)

    左翼隊   カバ正面(C上陸点)

    上島及左側支隊(何れも軍直) 

          バウアン正面(B上陸点)

    其の他の部隊第一線部隊に引続きアリンガイ河口

               及びB上陸点付近

六、Zrー五集合点及馬公、高雄、基隆を出発し海軍護衛の下にZ日〇一〇〇ー

 〇四〇〇間に各上陸点正面の泊地に進入す

七、上陸開始及陸軍達着自国で次の如く予定す

   A Z日  〇五〇〇  〇五四〇

   C Z日  〇五三〇  〇五五〇

   B Z日  〇七〇〇  〇七三〇

八、上陸後所在の敵を撃破して上陸点直接掩護の地歩を確保したる後有力なる一

 部を以てマビラオ及ボボナン付近に進出し兵団主力の上陸及兵力集結を掩護せ

 しむ。此の際上陸点直接掩護の為一部を残置し又バギオ方向の敵に対し側背掩

 護の為一部を以てロザリオ東北隘路を扼守せしむ

九、其の他の部隊は主力を以てアリンガイ付近、一部を以てB上陸点に於て第一

 線部隊に引続き上陸し各部隊毎に逐次ダモルテスーロザリオ間の地区に兵力を

 集結す

十、自動貨車追及せば直ちに先追隊を派遣しZ日夜に入るもカルメン及タユグ両

 渡河点を占領す

 師団主力は成るべく速かにビナロナン、サンマネル(ビナロナン東方約八粁)

 アミンガン(サンマネル南方約五粁)ウルダネタ(ビナロナン南方約八粁)間

 の地区に進出し爾後の前進を準備す

十一、主力のビナロナン付近進出と共に速かに同地付近に直協飛行隊の為着陸場

 を設備す

   (以後省略)


 第六十五旅団は、昭和十六年十月に中国・四国地方にて第六十五独立歩兵団を基幹として臨時編成された部隊で、部隊装備は占領地の警備守備が目的のため、内容は充実しておらず、応招兵が多かった。

 従って、部隊の基地出発も年末になってからであった。

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