第三八話 シンガポール陥落

 十五日の朝、第十八師団牟田口中将は、十時を期して一斉に敵要塞にたいし突撃を敢行することを決意した。


 包囲網は日々狭まっていたが、相変わらず前線では敵の砲弾が雨霰と降り注いでいた。伏せている兵の鉄兜には破片があたり、カチンカチンと音を立てている。炸裂する合間に前方を見ると、土煙と硝煙の煙で十メートルの先が霞んで見えない。これでは突撃することも不可能だった。突撃位置についていても、それ以上は一歩も進む事が出来ない。ほとんど動くことができないまま昼になり、午後三時になり、まもなく十五日も太陽が西に傾いてきた。


 牟田口中将も後方で何の策も立てれないでいた。中将は最前線に出ることを決めた。が、作戦主任参謀がそれを制止した。

「兵団長が自ら第一線に出られると、部下の部隊長は、突撃の時期が延びているので激励督戦に来られたと思って、余計な無理をして強行突撃をやり、不必要な損害を出すかもしれません。今は不適当です。明朝にしてください」

 中将はこれに応えた。

「ありがとう。しかし自分は決して督戦などという考えで一線に出るのではない。また自分の部下には督戦に来たなどという水臭い考えを持つものは誰一人おらぬ。恐らく今夜、部下の部隊は軍旗を先頭に決死の突撃を敢行するだろう。そうすれば、部隊長、隊長をはじめ部隊将兵の多くは戦死するに違いない。部下将兵が戦死する前に一目会って、手を握って、そして立派に戦死させてやりたい。自分の気持ちは皆部下がよく知っていてくれて、よろこんで迎えてくれるだろう」

 作戦主任参謀はこの言葉に感激し、

「兵団長閣下、どうか第一線にでてやってください」

 と応えた。


 第十八師団の第一線部隊は、市街地も近く、敵は堅固な建物に居座り、その前面に砲弾弾幕を張って、日本軍の突撃を阻止していた。

 まさしく日没とともに夜襲をかけるしかないと全兵士は決意していたのだった。日没後にはどうにか右翼隊も左翼隊も三一二高地まで進出していた。

 二〇時ころになり、軍司令部より電話があり、

「敵は降伏せり、師団は直ちに戦闘行動を停止し、現在の態勢を以て夜を徹せよ。厳に敵を警戒すべし」

 歩兵第百十四連隊の戦闘詳報においても、二二三〇時に連隊命令により、敵降伏せりと通達されている。


 第五師団も激しい砲撃に見舞われながら、攻撃を続けいていた。ところが、一四三〇頃杉浦部隊の正面に白旗を掲げた英軍の軍使が現れたのである。

 ブキテマ・ロード北方約四キロのブキ・バラウン高地南方において、白旗を掲げた英国軍参謀シー・エッチ・ディ・ワイルド少佐が兵三名を伴い軍使として停戦を申し出てきた。 

 杉田中佐がワイルド少佐と会談し、

「無条件降伏に同意するならば停戦する。降伏の意思ありや」

 と質すと、

「降伏の意思あり」と伝えた。

          (「マレー従軍記録」による)

 戦史叢書には、

 英軍参謀ニュービギン少将、マレー総督府書記官長、インド第三軍団参謀ワイルド少佐の三名であり、書簡を携行していた。

   日本帝国軍司令官閣下

     一九四二年二月十五日  シンガポールに於て

一、二六〇二年二月十日付の貴翰に対して回答するの光栄を有す。

二、茲に本官は閣下に対し、シンガポール在住非戦闘員の利益のため、我陸海軍

 は本日午後四時(英国時間)をもって戦闘行為の停止を提案することを報告す

 る光栄を有す。

三、シンガポール島内に在る婦女子は、適当な待遇を以て処理せられるよう閣下

 の命令を要請する光栄を有す。

四、必要な打合せを行うため、シンガポール市庁舎内において閣下の定められた

 時刻に会合を催すよう、シンガポール総督より要請あり。打合せ終了までは軍

 隊を移動せしめざるものとす。

              マレー英軍指揮官 パーシバル中将


 第二十五軍は情報主任参謀杉田中佐らを、杉浦部隊本部に派遣し、降伏申入れ受理の条件を伝えさせた。

 

 日本軍司令官は、貴軍の降伏を受理すべきをもって、貴軍最高指揮官は、左の諸条件を処理するとともに、二月十五日十八時(日本時間)までに所要の随員を従えて軍使派遣位置に至り、日本軍司令官と会見すべし。

⑴ 全面即時抗戦を停止し、武装を解除すること。

⑵ 行政並びに経済機構はしばらく現状のままとし、おのおの現業務を継続し、

 わが要求にしたがい逐次日本軍に譲渡すること。

⑶ 艦船、航空機、車両、武器、弾薬、糧食、燃料、資材、その他一さいの軍用

 土地、建物、交通、通信、港湾施設、飛行場、並びに地図、書類を毀傷、破壊

 または湮滅し、日本軍に有害となるべきいかなる行為も絶対になさざること。

⑷ 日本軍との衝突回避に関しては万全を期し、もし局地的戦闘がおこれば直ち

 にこれを中止せしめること。

⑸ アメリカ人、オランダ人、重慶側支那人は直ちに監禁し、日本軍の保護下に

 入れること。

⑹ 監禁した日本人を直ちに日本軍に交付すること。

⑺ 左記委員長及び委員を任命し、日本側の指示要求に即応せしむること。

    左記

  委員長、陸海軍各委員、航空、経済、行政、衛生、俘虜、連絡委員

                 軍司令官  山下奉文


 第五師団も師団命令を二〇〇〇時に於いて、英軍は降伏せり、即時攻撃中止の命令を出している。

 

 近衛師団も南水源池東南地区から包囲網を狭めつつあった。各部隊も激しい敵の砲撃に晒され、進撃は頓挫するに至っていた。師団も夜を待って攻撃再開を企図していたが、その夜間になり、砲撃は全くピタリと止んでしまった。やがて近衛師団にも敵降伏の知らせが入った。

 近衛師団も二〇三〇時に敵降伏と攻撃中止の命令を下している。

 これで、全部隊は敵降伏に伴い、攻撃を中止した。

 

 つい先ほどまでは、激しい砲撃を日本軍に浴びせていた英軍であるが、何故に突然降伏をしたのであろうか。

 マレー軍司令部は十三日の時点で、

「北方よりする日本軍の圧力は南貯水池地区までの撤退を余儀なくさせた。

 なお、日本軍はパヤレバー地区と西方地区の双方から攻撃している。現在シンガポール市街は日本軍野砲の射程内にある。

 マレー軍司令官に対し、すべての人事を尽した後、勇敢にして果断な者は、小舟艇によってスマトラに脱出する機会を与えられることを勧告する」

 と報告した。


 また、チャーチル回顧録には、ウエーヴェル将軍からの電報が、シンガポールの陥落が近いことを知らせていた。

「敵が市に接近し、部隊はこれ以上の反撃が不可能であるという電報をパーシヴァルより受け取りました。必要とあれば市街戦によってでも敵に最大の損害を与つづけるよう、彼に命令を発しました。しかし抵抗はあまり長くつづきそうもないことが懸念されます。」


 この十四日、英軍の各部隊の弾薬や水が不足していた。特に水は二十四時間持つかどうかであった。水が止まれば、軍だけでなく、市民にどんな事態になるか、最悪の事態しか考えられない。英軍の戦力はまだ残ってはいたが、これ以上流血を増やしてまで戦う必要はないと考えた。英国軍人と市民との流血はこれ以上避けるべきであった。十分戦ったのだ。

 パーシバル中将は軍使を派遣することを決めた。


「一六〇〇全部隊は戦闘を停止し現位置に留まるべし。一六〇〇以降日本軍が攻撃し来った場合は、その長たる将校または下士官は白旗を掲げよ。兵器、装備は破壊すべからず。ただし、機密書類、暗号書類は焼却すべし。水および食糧は保存し、金は全部焼却すべし」


 十五日、一八三〇頃、英軍軍使一行がブキテマ三叉路北方のフォード自動車工場に到着した。自動車の前部には、イギリス国旗と白旗が立てられていた。

 メンバーは、英軍司令官エー・イー・パーシバル中将、参謀ケー・エス・トランス少将、同ティ・エー・ニュービギン少将、同シー・エッチ・ディ・ワイルド少佐及び通訳一名であった。

 会見場所は三つ並んだ部屋の最南部、針金で編んだ格子を通して黒煙たなびくシンガポールが見えた。

 五分ほど経って山下軍司令官が幕僚達とともに到着し部屋に入っていった。

 戦史叢書による両司令官の問答は次のように記載されている。


山下中将

「さきに軍使に渡した当方の要求事項をみたか」

パ中将

「見た」

山下中将

「前記の条件をさらに詳しくしたものが別紙である。(手渡ししている書類)それによって実行してもらいたい」

パ中将

「(別紙を見て一読)シンガポール市内は混乱している。非戦闘員もいるので、一〇〇〇名の武装兵を残すことにしてもらいたい」

山下中将

「日本軍が進駐して治安を維持するから心配はいらない」

パ中将

「英軍はシンガポールの事情を知っているから、一〇〇〇名の武装兵を持っていたい」

山下中将

「日本軍がやるから安心されるがよい」

パ中将

「市内では掠奪が起こる。非戦闘員もいることだから」

山下中将

「非戦闘員は武士道精神をもって保護するから大丈夫だ」

パ中将

「空白ができると市内は混乱し、掠奪が行われる。掠奪が行われて混乱が生ずることは、日本軍のためにも英軍のためにも、治安上好ましくない。一〇〇〇名の武装解除は好ましくない」

山下中将

「日本軍は目下攻撃を続けているので、夜に入っても攻撃するようしている」

パ中将

「夜間攻撃は待ってもらいたい」

山下中将

「話がつかない限り攻撃は続ける」

パ中将

「待ってもらいたい」

山下中将

「いま一度言う。攻撃は続ける」

パ中将

「シンガポール市内は混乱するから、一〇〇〇名の武装兵はそのままにしたい」

山下中将  池谷大佐の方を向いて

「夜襲の時刻は?」

池谷

「二十時の予定です」

パ中将

「夜襲は困る」

山下中将

「英軍は降伏するつもりなのかどうか?」

パ中将 しばらくして

「停戦することにしたい」

山下中将

「夜襲の時刻も迫っているが、英軍は降伏するのかどうか。イエスかノーかで返事せよ」

パ中将

「イエス。一〇〇〇名の武装兵は認めてもらいたい」

山下中将

「それはよろしい」

杉田参謀

「武装兵の配置は当分の間と了解されたい。別紙にサイン願いたい」

 この会見には次の問答が省かれている。

山下中将

「シンガポール在住の日本人はどうなっているか」

パ中将

「全員インドに運んでいます。インドのどこかまではわかりません」

 パーシバル中将は降伏申出に対する回答書にサインをして会見は終わった。


 二月十五日二二〇〇をもって停戦が成立し、シンガポール攻略作戦は終了を迎えた。

 両司令官の会見は無条件降伏で終了と後々に伝わっているが、このイエスかノーかの部分だけが一人歩きしているようである。無条件降伏であれば、一千名の治安部隊を残すことはあり得ないのである。文書の中には無条件降伏という文言はないのである。新聞報道でイエスかノーかで迫ったという一人歩きがあったことは否めない。山下軍司令官にとって、一刻も早く停戦したい気持ちがあった。それは、もう砲弾が尽きかけていたからだ。これ以上は、もう白兵突撃しかない状況にあったことは確かで、そうすれば、将兵の死傷者は圧倒的に増加することは避けたかった。


 のちに、山下軍司令官は、後に比島戦の際、バギオの地下司令部で同盟通信の岩本支局長に語ったことが記されている。

「あのイエスかノーのことを、世間ではいろいろ伝えているが、あの時わが三コ師団に対し、英軍はまだ十万を越す兵力を持っていたのです。もちろん弾薬等もわが方の比ではありませんでした。市街戦にでもなれば、勝利を得るために相当の犠牲を払わねばならなかったでしょう。それに味方の弾薬や欠乏の一歩手前にあったのです。

 十一日から飛行機をもって英軍に対する投稿を勧告したのですが、うんともすんともいって来ないのです。十四日に総攻撃の手筈をととのえ、十五日の夜を待って敢行する覚悟をしていたのです。そこへあの突然の降伏の申し出でだったのです。わたしもそうだが、前線の将兵も、何か肩すかしを食ったような感じで、一瞬気ぬけしました。全面降伏の申し出でをうけ、あのフォード工場で会見することになったのですが、その時間には遅れてくる、いざ会談となれば、無条件降伏を明日まで待ってくれという。敵はなんとかして時間を延ばそうという気配なのです。日本軍が英軍兵力の過小評価していたのと反対に、英軍は日本軍の兵力を五コ師団以上と過大視していたらしいのです。だからそんなことで時間をついやし、味方の劣勢を気づかれてはと思うと、あのときは正直なところ、わたしは気が気でなかったのです。

 わたしとしてはどうしてもあの場で、無条件降伏をさせなければならないと思ったのです。英軍側はこちらの通訳に対し、無条件降伏というが、これには逐一条件がついているというようなことをいう始末です。もっともこれはわたしが悪かったのです。報道班員の中に先輩の息子がいて、それが英語がよく出来るというので、その人の名誉にと思って通訳に使ったのです。が、軍隊用語を知らないものですから、これがうまくいかない原因だったのです。

 わたしは確か少し、いらいらしていました。早く結婚にもっていくために、わたしは通訳に他のことは何も聞かなくてもよい、イエスかノーか、それだけ聞けばよいといったのです。少し強い言葉だったのでしょう。通訳もあがっていたようですが、ともかくそのことを英軍側に伝え、英軍側もようやく無条件降伏を認めたのです。その後は参謀の杉田を通訳にしたので、細目協定等も円満にいったのです。わたしのイエスかノーかの言葉を窓の外で聞いた人の中には、山下は勝利に思い上がっていると思った人もいたでしょう。傲慢な態度をとると見た人もいたでしょう。そう見られても仕方がないが、新聞にイエスかノーかと、パーシバル中将に詰め寄ったように書かれ他のには参りました」

 (丸エキストラ版第五二集所収 沖修二著「山下奉文の人間性」 潮書房 より)


 山下軍司令官の心情いかばかりかである。

 十六日、日英の両軍代表は〇九三〇に前日と同じフォードの事務所に於いて、細目協定の取り決めなどを交わした。

 この後、山下軍司令官は声明を発表した。


抑々そもそもシンガポールは英国の印度、豪州等東亜制覇のためつとに連絡的枢軸たるのみならず、また侵略作戦のための牙城にして、古来金城鉄壁と呼称し、難攻不落の要塞として自他ともに信ぜしところなり。

 しかるに軍はマレー攻略、シンガポール覆滅に着手するや、二ヶ月にして全半島を席捲し、七日を出ずして印濠東亜における勢力は一朝にして土崩瓦壊どほうがかいし、要なき扇、柄なき傘と化するにいたれり。

 由来英国は極端なる利己独善の主義を奉じ、傲然として他を蔑視するのみならず、老獪ろうかい欺瞞ぎまん瞞着まんちゃく恫喝どうかつをこととし、不逞不信を敢行してただ自己の利益のみこれつとめ、世界を毒するところ大なりしが軍の作戦経過に徴するも、また彼ら英人のマレー民衆の搾取吸血の跡は経過の事績に照して明瞭なるのみならず、作戦間その退却に際しては一般民衆の金銭、資産、糧秣、資源を徴収強奪、これを後送あるいは破棄し、住屋を焼却するなど、民衆を塗炭の苦しみに投じて顧みず、あるいは印度豪州軍を前線に配置して本国軍はシンガポールに留りて他を頣使しんしするなど、利己主義、不遜不義言語に絶し、真に人道の公敵と称すべきなり。

 帝国が今次決戦の破邪の剣を揮って起つに至りし所以は、帝国累次の声明に明かなるところにして、ここにこれをぜいせずといえども、吾人の希求するところは暴戻不正義なる英国を掃蕩し、万民苦楽をともにし有無相通じ、各民族各個人各々その能に応じてその所を得せしむべきいわゆる八紘一宇の大精神に基き、正義の下新秩序を整え、東亜共栄圏を確立して時運の進歩を促進せしめんと欲するに他ならず。

されば軍は向後さらに、四周近辺に所在する英米残骸の清掃覆滅を期するとともに、永きにわたる英人吸血の轍を掃除し、また今次蒙りたる戦禍を復興し、マレーの永遠発達施策を講ぜんとすマレー民衆は能く帝国の真意を理解し、軍に協力し新秩序と共栄圏の迅速なる確立に協力せんことを望む。

 それもし旧態依然として迷夢を追い、私利私慾に専念し、不信を重ね、あるいは治安を紊り、あるいは軍の指針に服せず軍の行動を妨害するものなどに対しては軍は断固としてこれを排撃膺懲ようちょうすべし。

右シンガポール攻陥に当り民衆に示して希うところを明かにし、過誤なからしめんとす」


 そして、参謀本部は入城式の件をしきりに催促してきたが、山下軍司令官は

「戦いはこれからである。緒戦の勝利に酔っているときではない。軍は一切の慶祝を行わず、今日の勝利を明日からの新たなる作戦の首途とする」

 そして、入城式の代わりに二月二十日、慰霊祭をとり行い、戦死した将兵を弔ったのである。


 シンガポール攻略戦における戦果は第二十五軍がまとめたもので次のようになっている。

 一、兵器鹵獲

  各種野山砲       約三〇〇門

  高射砲(機関砲含む)  約一〇〇門

  要塞砲           五四門

  速射砲          一〇八門

  迫撃砲          一八〇門

  重軽機関銃      二、五〇〇挺以上

  対戦車銃          六三挺

  自動小銃          約八〇〇挺

  拳 銃         約四、〇〇〇挺

  小 銃        約六〇、〇〇〇挺

  小銃弾    約三三、六一〇、〇〇〇発

  機関車貨車       約一、〇〇〇輌

  自動車        約一〇、五〇〇輌

  戦車及装甲車         二〇〇台

  軍用電話機          六〇〇

  飛行機             一〇台

  其の他弾薬燃料被服糧秣等多数

 二、俘虜

  約十万(内白人約五万)

   敵俘虜中主なるもの左の如し

  馬来軍総司令官  エー・イー・パーシバル中将

  印度第三軍団司令官 エル・エム・ヒース中将 

  馬来要塞守備隊長 エフ・キーシモンズ少将

  印度第十一師団長 ビー・ダブリュー・キー少将

  印度第十八師団長 エム・ビー・ベックウイズ・スミス少将

  豪州第八師団長  シー・エー・カラガン少将

一方、我軍の兵の損害は、次の通りである、

  軍直部隊    戦死  二三  戦傷  三六

  近衛師団   戦死  二一一   戦傷   四六八

  第五師団   戦死  五四二   戦傷 一、一六六

  第十八師団  戦死  九三八   戦傷 一、七〇八


 鹵獲した小銃と小銃弾の数量が多いことがわかる。これで弾薬不足とはいえず、やはり水の不足が大きな要因だったのか、これ以上戦う必要はなくなったと思ったかであろう。

 参考までに第五師団が、二月二日から十五日までの損耗数があるが、その中で、小銃弾が一七二、二二五発、機関銃弾四八、二七六発、手榴弾八七二発、四一式山砲一〇〇七発、九四式山砲八、八九七発、九〇野砲榴弾五、九五八発、同尖鋭弾九、二一七発、十五センチカノン砲榴弾二、一四四発等となっているが、第五師団が鹵獲した英軍の弾薬は、小銃弾一〇、五八〇、三三〇発、自動小銃弾八、二〇九、三〇〇発、手榴弾八六、六七二発、迫撃砲弾三八八、五三四発、野(山)砲弾二九五、九九〇発、高射砲弾三一、二一〇発などとなっている。鹵獲した弾薬数を見ると、日本軍所有の比ではないのだ。


 もう戦う意思を失っていたというしかない。欧州人的考え方で、精一杯戦えば、武器弾薬が残っていても、これ以上生命をかけて戦うものではないことを如実に示している。

 よくいえば、人命尊重型の戦闘行為である。日本軍はよく戦った。十二月八日上陸以来、二月十五日占領まで、五十五日間でマレー半島を席捲し、シンガポール上陸後約一週間でシンガポールを陥落させたのである。この戦いで、石油の宝庫ボルネオ、インドネシアを攻略する要を抑えることができたのである。英国軍は、ビルマ、セイロン島に防衛戦を後退するしかなかった。だが、そのビルマも戦禍に見舞われるのである。

 ビルマに日本軍が進攻した理由の一つが、印度、ビルマを経由しての援蒋ルートの遮断にあったからである。


 山下中将のことについては、ほとんど記述に及ばなかったが、詳しく知りたい方は(児嶋襄著「史説山下奉文」文春文庫)を参考にお読みください。

 

 ※ この章を執筆するにあたり、以下の参考文献のお世話になりました。

 児嶋襄著 「史説山下奉文」 文藝春秋 

 沖修二著 「山下奉文の人間性」丸エキストラ版

                No.五二号所収 潮書房

 須藤朔著 「英国東洋艦隊全滅す」丸エキストラ版

                No.五九号所収 潮書房

 巌谷二三男著 「雷撃隊、出動せよ」 文藝春秋

 佐藤暢彦著 「一式陸攻戦史」 潮書房光人新社

 W・S・チャーチル著 「第二次世界大戦3」河出書房新社

 岩下浩介著 「疾風〝島田戦車隊〟暗夜の猛攻」

          丸エキストラ版 No.五六号所収 潮書房

 國武輝人著 「マレー軍司令部第二十五軍かく戦えり           

      丸別冊証言シリーズ8 戦勝の日々」所収 潮書房

 今村一郎著 「南方部隊本隊「愛宕」戦記

       同前掲シリーズ 」所収  潮書房

 寺崎隆治著 「小沢南遣艦隊と南方作戦

       同前掲シリーズ 」所収  潮書房

 数井孝雄著 「コタバルの砂を血に染めて」

      増刊歴史と人物 太平洋戦争ー開戦秘話 所収

                 中央公論社

 越智春海著 「第五師団シンガポールへの進撃」

            同前掲書

 伊藤正徳著 「帝国陸軍の最後1 進攻編」 角川書店      

 歴史群像 太平洋戦争シリーズ2 「大捷マレー沖海戦」

                   学習研究社

 田村尚也著 「マレー進攻作戦」 歴史群像

          No.99所収  学研パブリッシング

 松代守弘著 「マレー電撃戦」 歴史群像

          No.32 学習研究社

 田村尚也著 「マレー沖海戦」 歴史群像

          No.78 学習研究社

 樋口隆晴著 「島田戦車隊 スリム殲滅戦」 歴史群像

          No.112 学研パブリッシング

 梅本弘著 「第二次大戦の隼のエース」

        オスプレイ軍用機シリーズ56 大日本絵画

 檜與平著 「つばさの決戦」  光人社

 防衛庁防衛研究所戦史室著

       「戦史叢書 マレー進攻作戦」 朝雲新聞社

       「戦史叢書 比島・マレー方面海軍進攻作戦」

                      朝雲新聞社

       「戦史叢書 南方進攻陸軍航空作戦」

                      朝雲新聞社

 河出書房編纂 「大東亜戦記 マレー戦線」 河出書房

 山本地栄編 「マレー作戦」 朝日新聞社

 「これだけ読めば戦は勝てる」

           アジア歴史資料センター ref.C14110549100

「昭和一六・一二・八〜一七・一・三一 馬来攻略作戦経過概要 

 第二十五軍司令部」

           アジア歴史資料センター ref.C14110547700

「昭和一七・二・一〜二・一五 馬来作戦 新嘉坡攻略作戦経過概要 

 第二十五軍司令部」

           アジア歴史資料センター ref.C14110760500

「昭和一六・十二・八〜十二・十一 馬来作戦「コタバル」付近戦闘経過概要 

 第二十五軍司令部」

           アジア歴史資料センター ref.C14110755700

「昭和一六・一二・十一〜十二 馬来作戦「ジットラ」付近戦闘経過概要  

 第二十五軍司令部」

           アジア歴史資料センター ref.C14110762400

「昭和一七・一・一七〜一・二二 馬来作戦「バクリ」「パリットスロン」付近

 戦闘経過概要 第二十五軍司令部」

           アジア歴史資料センター ref.C14110759700

「昭和一七、二、一〜一七、六、三十 歩兵第十一中隊第一大隊砲小隊陣中

 日誌」

           アジア歴史資料センター ref.C14110598000

「昭和一七・二・九〜二・十五 新嘉坡攻略作戦戦闘詳報

   歩兵第十一連隊歩兵砲中隊」

           アジア歴史資料センター ref.C 14110607000

「昭和一七・二・一〜二・一五 新嘉坡攻略作戦戦闘詳報 

   歩兵第百十四連隊第三大隊」

           アジア歴史資料センター ref.C14110616200

「昭和一六・十一・五〜十二・八 馬来上陸作戦戦闘詳報 

 第五師団」

           アジア歴史資料センター ref.C14110567900

「昭和一六・十二・九〜十二月二十五 北部馬来攻略作戦

 第五師団」

           アジア歴史資料センター ref.C14110569700

「昭和一六・十二・二十六〜一七・一・十二 中部馬来攻略作戦戦闘詳報 

 第五師団」

           アジア歴史資料センター ref.C14110571200

「昭和十七・一・十三〜二・一 南部馬来攻略作戦戦闘詳報

 第五師団」

           アジア歴史資料センター ref.C14110572800

「昭和十七・二・二〜二・十五 シンガポール攻略作戦戦闘詳報 第五師団」

           アジア歴史資料センター ref.C14110574200

「昭和一六・一二・九〜一七・一・一一 近衛歩兵第四連隊馬来作戦 

 戦闘詳報」

           アジア歴史資料センター ref.C14110558400

「昭和一七・一・一八〜二・二二 近衛歩兵第四連隊馬来作戦 戦闘詳報」

           アジア歴史資料センター ref.C14110560300

「昭和一七・二・一〜二・一六 近衛歩兵第四連隊馬来作戦 戦闘詳報」

           アジア歴史資料センター ref.C14110561800

「昭和一六・一二・一三〜一二・一九 歩兵第十一連隊第一大隊戦闘詳報」

           アジア歴史資料センター ref.C14110578600

「昭和一六・一一・十九〜一二・二十五 北部馬来攻略作戦戦闘詳報

 歩兵第十一連隊第二大隊」

           アジア歴史資料センター ref.C14110579100

「一六・一二・二六〜一七・二・一 歩兵第十一連隊第二大隊戦闘詳報」

           アジア歴史資料センター ref.C14110601300

「昭和一七・一・一〜六・三〇 歩兵第十一連隊第七中隊陣中日誌」

           アジア歴史資料センター ref.C14110590000

「昭和一六・一一・一〜一二・三一 歩兵第十一連隊第三中隊陣中日誌」

           アジア歴史資料センター ref.C14110583400 

「昭和一七・一・一〜五・三一 歩兵第十一連隊第三中隊陣中日誌」

           アジア歴史資料センター ref.C14110584400

「昭和一七・一・一〜一・三一  歩兵第十一連隊第一大隊砲小隊陣中日誌」

           アジア歴史資料センター ref.C14110596600

「昭和一六・一二・八〜二・一五  歩兵第十一連隊歩兵砲中隊

 戦闘行動詳報」

           アジア歴史資料センター ref.C14110606300

「一七・一・五〜一・七 馬来作戦 「スリムリバー」「スリム」付近戦闘

 経過概要」

           アジア歴史資料センター ref.C14110758500

「一六・一一・一八〜一七・三・六 3FD機密作戦日誌」

           アジア歴史資料センター ref.C16120053500

「一六・一二〜一七・二 鹿屋空飛行機隊戦斗行動調書」

           アジア歴史資料センター ref.C08051613000

「一六・一二〜一七・三 美幌空飛行機隊戦斗行動調書」

           アジア歴史資料センター ref.C08051615200

「元山海軍航空隊戦斗詳報(馬来沖海戦)」

           アジア歴史資料センター ref.C13120005900

「一七・三・一五 F機関の馬来工作に関する報告」

           アジア歴史資料センター ref.C14110646100

「一六・一二・一三〜 第七戦隊戦闘詳報、戦時日誌

 第七戦隊司令部」

           アジア歴史資料センター ref.C08030046000

「一六・一二 第三水雷戦隊戦闘詳報」

           アジア歴史資料センター ref.C08030103400

「一七・一 第三水雷戦隊戦闘詳報」

           アジア歴史資料センター ref.C08030104200

「一六・一二 第三水雷戦隊戦時日誌 作戦及一般の部」

           アジア歴史資料センター ref.C08030725500

「一六・一二 馬来部隊護衛隊並に護衛本隊戦時日誌」

           アジア歴史資料センター ref.C08030729500

「船舶機関要員必携」 

           アジア歴史資料センター ref.C14020228700

「25 A15A長3FD長南遣F長22Sf長間合同教程覚書」

           アジア歴史資料センター ref.C14060010300

「一六・一一・一四〜一二・八 第一揚陸隊関係書類綴」

           アジア歴史資料センター ref.C14110553700

「一六・一二・九〜一二・一七 第一揚陸隊関係書類綴」

           アジア歴史資料センター ref.C14110555400

「一一・一六〜一二・一二 第四十九碇泊場司令部戦闘詳報」

           アジア歴史資料センター ref.C1411552400

「一二・七〜一二・十日 開戦劈頭に於ける第十二飛行団及飛行第六十四戦隊 

 戦闘経過の概要」

           アジア歴史資料センター ref.C14060102600

「馬来航空作戦」   アジア歴史資料センター ref.C16120079000

                       以上

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