第三七話 激闘つづく

 二月十三日、第十八師団の右翼隊と左翼隊はケッペルハーバーに進出するよう命令を受け、右翼隊の歩兵第五十六連隊第二大隊(林大隊)は一三三〇頃より一二七高地を出発して、一一〇高地に向い前進し、途中さしたる敵の抵抗も受けずに一四〇〇頃には一一〇高地に進出し、大隊の右側を前進中の連隊主力の前進を掩護した。


 歩兵第五十六連隊の主力は、第一大隊、第三大隊をもって、第二大隊の右後方を進撃し、一四三〇頃に第一大隊は二七〇高地の敵陣地前方百五十米まで到達し、砲兵部隊の援護射撃の後、前方陣地に突入した。

 英軍部隊からの砲射撃は稜線上に集中し、南北の斜面に大して十センチ級と思われる砲弾が落下していた。

 連隊長は二七〇高地を奪取するために第三大隊を第一大隊の左に配置した。連隊に配属された山砲第一大隊も射撃を始め、効果的だったのは、独立臼砲第十四大隊の一中隊が配属されていたことにより、三十二センチもの砲弾が敵陣地に破裂し、大地を揺るがす威力を示したことだった。


 左翼隊は歩兵第百十四連隊を基幹とし、第三大隊は十二日夕刻二〇〇高地付近に達し、激しい砲撃の中、二〇〇高地の北側台地を奪取し、約二百の敵を撃破した。時に二〇三〇時であったが、激戦は其の後発生した。大規模な逆襲があった。


 敵陣地はベトン製銃眼、砲眼を備え、鉄条網も数条敷き詰められ、立派な野戦陣地を成ていたが、一六〇〇頃には陣地を捨てて後退していき、二一〇〇時に二〇〇高地は占領した。第十中隊に二〇〇高地陣地の確保を命じて、他の中隊は付近に陣を置いていた。

 闇夜の中敵の熾烈なる砲撃が二〇〇高地を襲った。二一二五頃より敵の逆襲が始まった。


 「戦闘詳報」に曰く。

「同地確保中の第十中隊は直に立って之が撃退に努め彼の手榴弾炸裂する中を我は敢然白兵を振い敵中に突入し或いは抜刀して奮戦す。此の間死傷続出するも厳然として現地を固守せり。

工兵第二中隊も共に寡兵克く奮戦して協力に努め両中隊連繫して遂に敵を撃退す。

彼我攻防の戦闘たけなわにして戦況混沌たる折第十中隊伝令兵弾雨を冒し来りて報告す。

要旨左の如し

    報告        二月十日二一三〇           

              於二〇〇高地

  大隊長宛      第十中隊長

一、当面の敵約三〇〇乃至四〇〇にして逐次増加の傾向あり

二、中隊は是を撃退中なり」


 亀本大隊長は此の報告を以て命令を発し第十中隊の救援を命じた。

    第二大隊命令       

一、有力なる敵は二〇〇高地に逆襲し来り第十中隊及工兵第二中隊は目下敵と交

 戦中なり付近には相当の敵兵力有るものの如し

二、第十二中隊(一小隊欠)は速に二〇〇高地に至り第十中隊と協力同高地を確

 保すべし

三、大隊砲小隊は依然現在地に在り二〇〇高地東側谷地を射撃し得る如く射撃準

 備を完了すべし

  (以下略)


再び戦闘詳報より

「命令下達の将に終らんとする頃二〇〇高地方向に当り銃砲撃益々熾烈化し我の喊声錯然として聞え敵は増援逐次来襲せるを知る。

敵弾至近の距離に炸裂しつつある中を第十二中隊長は指揮班並に一ケ小隊を指揮し急遽二〇〇高地に向い前進す。

此の間敵兵力益々多く第十中隊並に工兵中隊を以てしては衆寡を如何にせん。第十中隊○○隊長傷付き第三小隊長稜線上に斃れ工兵小隊長又傷付く

部下の或いは白兵を振い或いは抜刀敵陣に突入し或いは手榴弾戦を演じつつ奮戦する中一弾第十中隊長の胸部を貫き二〇〇高地に伏し人事不省に陥る

折から敵逆襲部隊を撃退しつつ鋭意二〇〇高地に進出せる第十二中隊長は付近に在りし第十中隊残存兵力を糾合し茲に再び壮烈なる白兵戦を演じつつ一意逆襲阻止に努む

兵は手榴弾を投じ或いは白兵を以て敵を刺突す或いは遠く敵を追いて其の秘かに埋設せる地雷に触れ僅かに一片の肉塊を残して壮烈なる戦死を遂ぐる等彼我攻防の激戦裡に第十二中隊長は身に白兵創を受けながらも敵数人を斬撃せしが惜むべき一弾を頭部に受け遂に壮烈なる戦死を遂ぐ」


 敵兵力五〇〇から六〇〇を相手に、僅か二個中隊に満たない兵力で激戦に及び、ついに退却に追い込んだのである。


「受傷奮戦中の第十中隊宇木中尉及下士伝令並第十二中隊下士伝令相次で来り左記要旨を伝う

    報告要旨       二月十二日二二四五

                第十中隊

                第十二中隊

  大隊長宛

一、来襲せる敵約五〇〇乃至六〇〇

二、彼我白兵戦並に手榴弾を実施し死傷続出しあるも二〇〇高地は依然我が掌中

 に在り

三、第十中隊長は受傷人事不省

  第十二中隊長は戦死せり

  彼我損害不明」


一夜明けて戦場を見渡すと、敵味方の屍が累々と在り、大地は朱地に染まっていたという。

 英軍の遺棄死体は二百十四を数え、第三大隊の損害は、戦死将校二名、下士官兵三十一名に達し、負傷者も将校五名、下士官兵四十三名に達していた。

 二日間の戦闘で、大隊は戦死五十三名、負傷者九十名に達していた。

 二月九日上陸時には将校二十二名、下士官兵六百十五名だった兵力は、将校九名、下士官兵四百五十六名迄に減少していた。損耗率は将校五九%、下士官兵二六%弱に達っしていた。

両方合わせると、二七%であり、三〇%になれば、戦闘可能部隊でなくなるほどの損害であった。


 第三大隊は損害が多いことから後衛とし、第一大隊を尖兵とし、第二大隊を後方から進めさせ、二〇〇高地を出発して前進したが、こちらは少しの抵抗を受けただけで、二〇〇〇頃には予定の線に達していた。


 十四日昨日まで左翼隊だった歩兵第百十四連隊は右翼隊として進撃した。第二大隊(酒向大隊)を右第一線、第一大隊(猪瀬大隊)を左第一線とし、前日に損耗の激しかった第三大隊を予備隊とした。しかし、前進する敵陣に敵兵の姿なく、所定の線まで進出し、そこで翌日の攻撃に備えた。

 

 海岸要塞北側道に沿って前進する歩兵第五十五連隊は、左翼隊となり十四日夕刻までに一五〇高地西側に展開するよう命令を受け行動を開始した。十四日一〇〇〇不正十字路発四八五付近から鉄道線路に沿って南進し、第二大隊(伊藤大隊)には三一二高地、ケッペル兵営の敵陣地を攻撃して三四五高地南方に進出するよう命じた。第一大隊(香川大隊)は戦況に応じて随時第二大隊の左に進出できるよう準備させ、午後には一五〇高地西側からの攻撃準備は完了していた。

 しかし、敵の銃砲火は激しくなり、敵のトーチカからの機関銃射撃と、前進路に対する砲兵弾幕射撃により、攻撃前進に移ることはできず、足止め状態になると共に、砲撃による死傷者もあるために掩体壕を掘って砲撃の止むのを待つしかなく、頼りは味方の砲兵射撃により敵砲兵の制圧であったが、昼間には其の期待は薄かった。

 連隊長は夜襲を命じたが、その成否は不明であった。十四日は過ぎ、十五日の朝を迎えようとしていた。


 第五師団は競馬場付近で頑強な敵の抵抗に遭っていた。歩兵第十一連隊の第一大隊(大本大隊)は十二日二三〇〇一四〇高地を占領した。

 歩兵第四十一連隊の第二大隊(友野大隊)が超越前進を果たしたことにより、三〇〇高地東南側に待機していた歩兵第十一連隊の第三大隊(市川大隊)は夜明けには九五高地に進出した。同連隊の第二大隊(三柴大隊)は市川、大本両大隊を超越して、昼前には一〇五高地を占領し、八五高地まで進出を果たした。


 杉浦部隊は、歩兵第四二連隊第二大隊(花輪大隊)は敵陣突入の上に九五南側高地を占領し、一七〇〇頃には一一五高地北側まで占領した。また第一大隊(丸谷大隊)は八五高地奪取後、敵迫撃砲の集中砲火を浴びたため、敵情を捜索し〇八五〇八五高地東方約五百メートルの断崖高地を占領した。


 十四日、九五高地に進出した三柴大隊であったが、敵の砲撃と頑強に抵抗する英軍部隊のために足止めされていた。

 杉浦部隊も丸谷大隊もその後敵の砲撃が激しくこちらも前進ができずにいた。花輪大隊は英軍を撃破して夕刻に七五高地に進出し、敵部隊と対峙状態に入っていた。

 この状況を鑑み、軍司令部は、軍砲兵隊と近衛師団砲兵隊を以て第五師団の前面の敵砲兵部隊を鎮圧する故に無理な攻撃は控えるよう指示した。

 第五師団は一八〇〇師団命令を下し、各部隊に命じた。


「河村部隊は現第一線の位置に於て攻撃を準備し、砲兵の突撃支援射撃に膚接して歩戦砲一体の実を発揮し、当面の敵陣地に突入、一挙に一三八及一六〇高地の線に進出すべし、九五高地は攻撃前進開始迄に奪取するを要す。

杉浦部隊は河村部隊の攻撃前進に伴い、八〇高地を攻撃し、努めて七五高地の線に進出し、河村部隊の戦闘に協力すべし」


 これに伴い、砲兵隊は部隊の攻撃支援のため、一九五〇より砲撃を加え、敵砲兵陣地近辺は砲煙に覆われた。しかし、英軍の抵抗は続いていた。 河村部隊は九五高地を占領し、敵の第一線陣地は突破に成功したものの、敵の抵抗は激しく前進は頓挫した。こうなっては、夜襲にて戦局を打開するしかない。

 市川大隊は一三〇高地を奪取し、其の勢いで一六〇高地も占領した。大本大隊は北方に転進して一二五高地攻撃に向かった。

 杉浦部隊の花輪大隊は英軍の逆襲を撃退し、丸谷大隊は八〇高地を攻撃したが、頑強な敵の陣地の前に攻撃は停滞した。

 どこの陣地も英軍の踏ん張りにより、状況はなかなか克くならなかった。


 近衛師団のうち、国司支隊は十三日〇八〇〇頃に北水源池北側の二一〇高地を出発、パヤレバーに向い進撃中に昼間に左側を前進中の第三大隊(吉田大隊)は、イエスタンリアリティ南側付近で敵と遭遇したが、これを撃破して前進し、一四〇〇頃にはメンタルホスピタルに進出した。英軍は退却したのか姿を見なかった。

 国司支隊はさらにパヤレバーに進撃するため、敵情偵察をした結果、車両の往復が見られるということで、パヤレバーに突入したが、大した戦闘もなく同地を占領した。

 支隊は新しい命令により、第一大隊(岡大隊)はパヤレバーの守備確保を命じ、第三大隊(吉田大隊)を以て、シンガポール道西側地区に沿ってカンポンポトルパシルの西方にある五五高地の確保を命じ、第二大隊(伊藤大隊)は予備隊として現地点に集結するよう命じた。


 澤村隊は歩兵団主力の追撃隊となり、十三日天明より前進を開始し、パヤバレー方面に向かったが、北水源池東北側三叉路南側の一〇六高地に敵陣地あるのを知り、攻撃への偵察を実施中に、歩兵団長から澤村隊は新たに右追撃隊として、当面の敵を撃破してニースン、シンガポール道に沿う地区を南部水源池東南側に追撃すること、旧山本支隊(近衛五連隊の第一大隊)を現在地で師団長の直轄部隊とする命令を受けた。

 澤村部隊は一〇〇〇頃第二大隊の一部を以て一〇六高地に対する攻撃を開始させるために、主力はその東方一五五高地に転進し、一時間後には両高地を占領した。

 一〇六高地には英軍の糧秣集積地で在り、多量の糧秣が在りそれらを押収した。


 国司支隊は、師団の意図とは別にパヤレバー方面に進出していたため、師団長は国司支隊を南部水源池東南方に転進するよう命じた。

 国司支隊は十四日〇六〇〇にパヤレバーを出発して、南水源池東南に向かった。第一大隊はパヤレバー南側に守備していた英軍と交戦して、英軍は頑強に抵抗した。

 第二大隊も第三大隊も敵の激しい抵抗を受け、前進は全く突破することができず、十四日も夜の帳が降りてきてしまった。


 報道班員の著述を見ると、十三日、十四日の激戦の様子も戦闘日誌と違う様相を見ることができる。それを参考に紹介する。 

 

「シンガポール攻略戦は十三日夜から十四日にかけ、最高潮に達した。我が包囲軍はシンガポール市街を、西北の四地区から半月形に取囲み、市街中央のファーレル公園およびカニング兵営付近に布陣せる重砲陣に熾烈な砲火を浴せ、その執拗な反撃を退け所定の目標に着々進撃を続けており、敵は多数の華僑を含む一般市民の犠牲において抗戦を継続しているが、我が航空部隊の勇敢な爆撃により、港内の船団多数が撃沈破されたので、半ば自棄状態の艦砲射撃を市内にも射ち込み、これがため主要建築物は続々破壊炎上し、宛ら生地獄のごとき惨状を呈している。

 壮絶といおうか凄惨といおうか、シ島要塞殲滅戦は今やその最高潮に達した。我がシ軍攻略部隊は敵最大鎖鑰さやく地点ブキ・テマ高地をはじめ、その他の要衝を占拠して以来その鉄桶の包囲環を益々圧縮、英東亜軍をその中に袋の鼠として叩き込み、昼夜をわかたぬ空陸からする立体的猛砲爆撃を間断なく刊行、またこれに必死となって応戦する敵の重砲陣の咆哮によってシンガポール市街付近一帯の地形はすでに一変し此処彼処のに屍山血河を描き、全く現世とは思えぬ戦慄すべき凄惨な形相を露呈している。この血腥ちなまぐさき戦場の実情は、刻々打電される特派員らの決死的報道によっても推知されるごとく、彼我両軍はシンガポール市街およびその周辺、さらに中央高地にかけ激烈な攻防戦の死闘を展開、すなわち敵は南北貯水池にとりまかれた中にあって各種に重砲、機関銃等をもって、前面の要衝から猛烈果敢に進撃を敢行する我軍に執拗に応戦、このため、ひたむきに突進せんとする我軍は敵の側防機関銃や側防砲兵の熾烈な速射を受けつるあるが、百戦練磨、勇猛無比の我が陸軍精鋭はビクともせず、平素の訓練その儘にこれを処理しつつ、一歩々々前進、ここにすで壮烈極まる殲滅戦を展開しており、さらに我が砲兵隊は敵の猛火を冒して第一線歩兵戦に近く陣地を進めてこれが制圧のため地軸を揺がす猛烈な砲撃を続行しているが、敵もさるもの、正面に於ては櫛比しっぴする煉瓦造りの家をトーチカに改造し、姿を見せずして猛烈に射ちまくっており、さらにまた市内中央のファーレル公園、市政庁やカニング兵営等、市民居住地に隠れて砲兵陣地を構築、市民の生命財産の保護などには一瞥もくれず、懸命の砲撃を続けている。先に我軍は一般民の居住地が戦禍を蒙るのを憂慮し、武士道精神に則った降伏勧告を行ったが、非道の敵はこれをすげなく拒否したので遂に凄絶な戦闘となり、彼我の射ち出す重火砲によって市街周辺は各所に火災を起し、炎々たる火焔は天に沖し、凄惨なる生地獄を展開している。この中にあって我が第一線の歩兵部隊は昼間は熾烈なる敵の鉄火をくぐり、右手に銃を左手に円匙を携え一歩一歩地歩を占めつつ、戦車隊、砲兵隊、工兵隊と緊密一体となって敵が急造したトーチカに対し銃眼射撃をくらわし、敵の火力の小止みとなったわづかの間隙に乗じて肉薄、手榴弾や火焔発射器に依って敵の目を潰し最後の突撃を敢行、一歩一歩戦果を拡大、此処彼処に壮絶極まる死闘を繰りひろげている。敵砲兵もこれを最後とし住民地区に陣地を布き、しかも世界最大を誇る要塞砲をはじめ、大中口径の加農砲を総動員し、我が歩兵線および砲兵陣地に凄烈なる弾幕を作っての阻止射撃に死力を傾けている。特電が伝えるごとく敵の砲撃は最高一分間に四百発と報ぜられる位だから、如何に凄惨な情景が描かれているかが容易に想像されよう。また近代兵器を網羅して急霰の如くふり注ぐ十字砲火下にあって戦線将兵の奮闘は如何ばかりであろうか。すでに非戦闘員たる我が報道戦士らの犠牲さえ見受けられている。さすがに近代化の要塞殲滅戦であり、近代攻城戦の典型的なものだけに、その鎬を削る熱闘死闘は言語に絶するものがあろう。まことに血みどろの戦闘なのだ。かくも死闘の限りを続けている英軍はマレー半島の戦線と異って澖達なる退路がひらけておらず、文字通りの背水の陣を布いているからだ。殲滅か!降伏か!いづれにしても命脈迫ったシ島は、今や名状し難き修羅場と化している。」


 日本軍はシンガポール市街地に迫っていた。陥落は間近のように思われた。だが、まだ英軍は踏んばっていた。

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