第三五話 ブキテマ目指して

二日目の朝を迎えた。

 生憎の雨の日だった。兵隊たちにとっては戦う以前から顔から衣服から黒く染まっていた。燃え続ける油タンクの黒煙が棚引き、それが雨粒に吸収され将兵たちの頭上に降り注ぐのだった。


 第十八師団の牟田口中将は負傷しながらも戦闘司令所で命令を下していた。

   師団命令

一、各隊の奮戦により水道沿岸の敵は略殲滅せられ「ブキテマ」方向に敗退せり

 敵は水道沿岸に於て主抵抗を試み「ブキテマ」付近に於て最後の抵抗を企図す

 るものの如くその一部の敵(約一千名)は「テンガ」飛行場東南方約四粁付近

 にあり

二、師団は敗退を急追し引続き一挙に「ブキテマ」陣地を攻撃し一八六高地(ブ

 キテマ西南一五〇〇米)一八〇高地(一八六高地北方一〇〇〇米)の線に進出

 せんとす

  (以下略)


 右翼隊を命ぜられた第百十四連隊長小久大佐は、第三大隊(亀本大隊)を第一線、第一大隊(猪瀬大隊)を第二線、第二大隊(酒匂大隊)を予備隊として、一八六高地に向かって一二〇〇時に前進を始めた。

 連隊本部は第二線の先頭を前進した。

 亀本大隊は露営地を出発し、一四〇〇頃にはジュロング哩一二道標に進出した。

 斥候偵察の結果

「火砲を有する有力なる部隊は窪地並にゴム林を利用し四五及八五高地の既設陣地に拠れるものの如く更に八六高地東●谷付近には少くも野山砲を有する部隊陣地を占領しありて我が進出を拒止せんとするものの如く」


 判断して攻撃準備についた。

 大隊は標高45及び標高85付近に英軍部隊を発見して、此の敵に対する攻撃を開始した。敵は肉迫するまで周知せず、少しの反撃をしたのみである。亀本大隊長は攻撃命令を下した。

 第三大隊の戦闘詳報によれば、


「各隊相互協同し本道左側の湿地及ゴム林内に逐次展開一意攻撃に努む

湿地並にゴム林内通過に困難を来たせる我が軍を認めたる敵は一斉に重火器を以て掃射し且八六高地と思考せらる方向より砲門を開きたる砲兵は我に集中火を浴せ水煙土煙濛々たる中に各隊一進一●前進を続く

第十二中隊は一気に湿地を通過しゴム林内に潜入するや巧に敵を欺瞞しつつ四五高地南側谷地より一挙白兵を以て無名高地に突入之を奪取す

第九、第十、第十一中隊は相互連繫を保持しつつ敵砲弾下ゴム林内を挺進し各々山脚に到達するや各隊長陣頭に立って部下を激励しつつ怒涛の如く四五高地に殺到す敵は遂に我が攻撃を支え得ず茲に地形並に防禦施設の利を頼みしブキテマ主陣地の一角崩し敵は後退の止むなきに至る攻撃約一時間にして先づ敵第一線を奪取せり

敗退せる敵は更に八五高地既設陣地の敵と合し熾烈なる銃火を我に集中せしが各隊緊密に連繫を保持し敵砲弾下に屈する事なく八五高地に向い攻撃前進の歩を続く

第十二中隊の進出に伴い第九中隊右翼小隊を枢軸として左翼各隊は巧に地形地物を利用旋回し左翼第十一中隊は九〇高地方向に転進し其の包囲隊形全くなり一挙敵主陣地に突入之を奪取す時正に一六〇〇なり」(●は不判文字)


 一六〇〇頃には亀本大隊は敵を撃破して同高地を占領し、引き続き東南方の九五高地を攻撃し一七二五に占領した。

 しかし、新たなる敵の出現により損害も受けた。


「八五高地付近占領前新なる敵の一部は八五高地西南二〇〇米本道右側台上に出没しありしが逐次増加し来り我が右翼を脅威するに至れり

 此処に於て第十二中隊長は高荷小隊並に配属機関銃一小隊を同高地方向に推進せしむるに敵は意外に優勢にして我に抵抗を試みしが該小隊は屈せず攻撃を続行同地を確保せしも小隊長は台上稜線に於て狙撃せられ遂に戦死せり」


 亀本大隊は引続き一八六高地を目指し、一八四〇には同高地西方約一キロの一〇五高地に到達した。周辺は漆黒の闇に包まれていたが、部隊は前後を確認しながら迷うことなく進み、一九二〇には一八六高地の北側の一四五高地に達した。ここからはブキテマの灯りがある街が望見できた。

 一五五高地付近に到着した第九中隊の頭上に敵砲弾が落下し、一弾は中隊長春名中尉の近くで炸裂し、中尉以下数名が散華してしまった。

 銃撃戦よりもこにような不意の砲弾炸裂による損害が部隊にとっては痛かった。

 戦闘後の確認した遺棄死体は二百十八を数えた。亀本大隊の損害は戦死将校三名、下士官兵十名に達し、負傷者は下士官兵二十八名であった。

 師団の橋本参謀は小久連隊長に対し、すぐさまブキテマへの夜襲を進言したが、連隊長は市街戦による味方の損害が大きくなるのを心配してこの進言には首を縦に振らなかった。

 牟田口師団長は、前面の敵状地形を偵察して明日の朝を待つよう命じた。

 

 左翼隊を命ぜられた歩兵第五十六連隊長那須大佐は、第三大隊(松岡大隊)を右第一線に、第二大隊(林大隊)を左第一線とした。第一大隊(的場大隊)は連隊復帰を命ぜられ、連隊本部の位置まで移動を完了した。

 松岡大隊と林大隊は一〇〇〇頃露営地を出発し、標高九〇高地に向かって前進、途中ゴム園内を敵情も不明のまま前進。時々敵と交戦したが、単発的であり、一六〇〇には九〇高地に進出した。敵の多くは投降してきた。


 那須連隊長は夜間になればゴム園内は不利であるから本道上を進むことに決し、日没頃にはバンダンの部落に達していた。依然敵情は不明であり、連隊長は周辺に敵の存在を感じていたので、前進部隊に停止を命じた。

 斥候により偵察すると一八〇高地が英軍による堅固な陣地が構築されていることが判明した。

 那須連隊長は夜間攻撃も視野に入れて前進を命じ、松岡大隊に対し、本道北端一五九高地を占領して第五師団方面の敵に対し掩護させ、林大隊を一八〇高地に向かわせ、的場大隊はその後方を続行した。

 松岡大隊は敵と遭遇することなく一五九高地を占領、林大隊は十一日になり〇二〇〇に出発して、敵の露営地を奇襲した。

 突然激しい両軍の白兵戦が展開された。手榴弾が入り乱れ、ガソリン缶に引火して爆発し、周辺は真昼のように明るく照らされた。林大体の損害は近接戦で、中隊長の二名が戦死した。

 奇襲攻撃により狼狽した敵は、退路を求めて日本軍と交戦し数十名の死体を遺棄して逃走していった。


 一方、九日夕刻テンガ飛行場に進出した第五師団は、新たなる師団命令を下した。

   

一、師団は速に「テンガ」飛行場南側の線に進出し「ブキパンジャン」付近の敵

 陣地に対する攻撃を準備す 攻撃開始の時期は明十日薄暮と予定す

二、杉浦部隊(独立臼砲第十四大隊の主力を属す)は依然努めて迅速にテンガ飛

 行場東南側付近に進出し部隊を整頓すると共に一部を以て成るべく広く「ぺン

 シャン」河左岸の要地を占領し当面の敵情地形を偵察すべし

三、河村部隊(独立臼砲第十四大隊の一小隊を属す)は依然努めて迅速に「テン

 ガ」飛行場東北側「テンガ」河左岸標高三五及び一一〇の線に進出し部隊を整

 頓すると共に一部を以て成るべく広く「ぺンシャン」河左岸の要地を占領し敵

 情地形を偵察すべし

    (以下略)


 杉浦少将は原田連隊(歩兵第二十一連隊)左第一線とし、安藤部隊(歩兵第四十二連隊)右第一線としてペンシャン河左岸の要線を奪取するように部署した。

 原田連隊長は第三大隊(佐々木大隊)を以て本道両側地区に沿い、戦車を伴う敵を撃破前進し、一一三〇哩標識13東方約一キロの高地を占領すると共に、ペンシャン河の橋梁を確保させ、また一部を以て一三〇〇頃に一五六高地を占領させて当面の敵情並び地形を偵察した。

 安藤連隊長も第一大隊(丸谷大隊)を以て一二〇〇頃に一四五高地及びその東南方高地を占領した。杉浦部隊本部はテンガ飛行場北側からブリム東端に進出した。


 河村部隊は歩兵第十一連隊第三大隊(市川大隊)を以て〇九三〇時に六〇高地及びその東方約五〇〇米にある閉鎖曲線高地を占領し、その後正午頃には一五六高地に進出、主力部隊も午後には一一五高地を占領した。

 第二大隊の予備隊であった三柴大隊を以て一五三高地及び一一〇高地を占領させた。

 松井師団長は、前進路での敵の反撃を予想していたが、各部隊の情報から、敵は散々の状態で退却しており、薄暮を待つことなく、敵陣地の突破を考え、進撃地区をブキテマ三叉路に延伸して、軍に対しその許可を申請した。


 第二十五軍命令

一、軍は紀元の佳辰を迎え新嘉坡全島を攻略席捲せんとす

 第十八師団は速かに新嘉坡島西南側地区の残敵を掃蕩し「ブラカンマチ」島を

 占領す

 近衛師団は「ブキパンジャン」付近に進出せば水源地北側地区を経て「セレタ

 ー」軍港付近の残敵を掃蕩し「チャンギー」要塞を占領す

 第二野戦憲兵隊長は各師団より差出すべき補給憲兵を伴せ指揮し新嘉坡市街を

 掃蕩し速かに治安を恢復す

二、第五師団は新嘉坡北側地区を経て同東側地区の残敵を掃蕩し「チャンギー」

 要塞を占領すべし

 歩兵二中隊軽装甲車一中隊を補助憲兵として速かに「ブキテマ」三叉路付近に

 於て第二野戦憲兵隊長の指揮下に入らしむべし

     (以下略)


 軍はこれを認可し、第五師団の進撃路は、三四八高地からブキテマ三叉路に決定し、部隊に命令を下した。


 安藤連隊の丸谷大隊は、一八五高地の敵を撃破して占領し、その後東側に進出して、四三四高地、四三七高地の敵に攻撃を加えた。

 原田連隊の佐々木大隊は、八〇高地を攻撃し、二〇三〇時にはその東方約一キロの十字路線に進出、原田連隊の主力はそれに続いていたが、佐々木大隊を越えて一四五高地とその南側高地の敵と交戦して退け、二二一〇時にこれを占領。二二三〇にはブキパンジャンを占領した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る