第三四話 第五師団・近衛師団の上陸戦闘
第五師団は軍命令に従い、六日一八三〇松井師団長は師団命令を下した。
第五師団命令
二月六日一八三〇
ニュースクダイエステート
一、敵情逐次配布せし情報記録の如し
軍はX日夜「ジョホール」水道を渡り速かに新嘉坡の攻略を企図す
第十八師団は「ペルパ」河以南の地区より水道を渡り当面の敵を突破して勉
めて神速に「テンガー」飛行場西南側地区に進出す
近衛師団はXー一日夜一部を以て「ウピン」島に奇襲上陸して敵を牽制抑留
し主力はX+一日夜以降陸橋方面より水道を渡り当面の敵を突破し先づ「マ
ンダイ」南側地区に進出し軍主力の作戦を容易ならしむ
第五、近衛師団間の作戦地境をX+一日以降「スクダイ」河」「クラム」河
口哩標12を連ぬる線に変更せらる
線上は近衛師団に属す
軍砲兵隊はX日朝よりX+一日一五〇〇迄主力を以て第五師団(一部を以て
第十八師団正面に対する敵砲兵は制圧しX+一日一五〇〇以降主力を以て近
衛師団の戦斗に協力す
軍渡河作業隊はX+一日以降軍直部隊の渡河を担任し所要応じ近衛師団の渡
河を援助す
軍直部隊は第三戦車団長の指揮を以てX+一日夜主として第五師団正面より
水道を渡り第五師団の後方に集結す
二、師団は一部を以てXー一日夜陸橋付近に於て陽動を実施し主力を以てX日Y
時「マラユ」河河口両側地区より水道を渡り当面の敵を突破し勉めて神速に
「テンガー」飛行場西側地区に進出し次で「ブキテマ」東北側方向に向い敵
を攻撃せんとす
三、杉浦及河村両部隊はX日Y時水道を渡り各々当面の敵を突破し勉めて神速に
先づ「テンガー」飛行場南側地区に進出すべし
杉浦部隊長は在「ジョホール」佐々木大隊をして陽動実施間予の直轄たらし
むべし
四、砲兵隊は既に指示せる所に基きX日一五〇〇以降適宜射撃を開始し一部を以
て河村部隊主力を以て杉浦部隊の戦斗に密に協力すべし
五、渡河作業隊はX日Y時より師団主力の水道渡河作業を開始し成るべく速かに
渡河を完了するに勉むべし
(詳細省略)
六、工兵隊は上陸後に於ける渡河戦斗の為折畳舟約三〇隻(操舟機共)及成るべ
く多くの浮嚢舟を携行本道に沿う地区を師団主力に追及すべし
七、佐々木大隊はXー一日夜陸橋付近に於て陽動を実施し敵を該方面に牽制する
に勉むべし
X日月出時より企図を秘匿しつつ転進を開始し成るべく速やかに「マラユ」
河右岸水道北岸に到り杉浦部隊長の指揮下に復帰すべし
八、(以後省略)
河越参謀長が入手した敵情報は次のようであった。
一、砲兵隊観測所の偵察に依れば師団主力方面上陸点付近には水際に鉄条網を見
ず
二、陸橋南側と「マンダイ」422高地北側を東西に通ずる道路以北の地区に於
ける敵砲兵は我が軍砲兵及Ⅱ/5Aの有効射程外に陣地を変換せり
三、師団に協力する憲兵隊の住民等より得たる情報左の如し
イ、「サリンブン」島西南一粁標高100米高地付近に砲約十門兵約三〇〇
〇、自動貨車多数を認めたり
日本軍の「ギシヤンク」進駐以来毎日頻繁に付近を見廻りたる「モーターボ
ート」は二月三日以後船影を認めず
四、「チョアチユカンビレイジ」(「テンガー」飛行場西約二粁)付近には飛行
場及高射砲あり
五、「ヂュロングビレイヂ」(「テンガ」飛行場南四粁)付近には野砲陣地を構
築しあり
六、新嘉坡市南側「ブラウブラカンマティー」島要塞は三二糎の火砲無数に島の
周囲に配置せられ砲手は最優秀なる印度人「パクラン」を使用しあり
左翼隊河村部隊の第一回上陸部隊である歩兵第十一連隊第三大隊は八日夕刻にはスクダイ河中流哩標五付近で七隻の小発に分乗して待機していたが、予定時刻になったためスクダイ河を下航していった。ところが、干潮時の為に舟艇が浅瀬にとられ、その離脱に時間を費やすとともに、隊列は乱れたまま、上陸突進待機地点に達した時には、砲兵の突撃支援射撃が始まっていた。
市川大隊長は、隊列を整理するまもなく、上陸突進を命じ、自らも先頭に立って上陸地点目指したが、対岸まじかに座礁してしまい前進が遅れた。また、他の舟艇の一隻は対岸からの射撃により発火し火炎が夜空に立ち昇った。後続する舟艇はこの火を目標にして前進したが、敵からも火災により姿を露わにしたため、射撃が集中され各艇では死傷者が続出した。
なんとか各艇は対岸に到着したが、岸辺はマングローブに覆われた海岸であった。死傷者は五十から六十名に達した。
市川大隊長は上陸が遅れたため、当初大隊の指揮がとれず、夜明けになってようやく部隊を掌握整理することができた。
第二大隊も同じように敵銃砲火に晒されていた。第七中隊の戦闘詳報を見るとその戦況が鮮明である。
「我が行動を察知され敵は対岸より猛烈なる銃砲火を浴せ我が前進を阻止せんと頑強に抵抗す。
水際には鉄条網を数線に張囲らし付近一帯に掩蓋座を且後方陣地には迫撃砲及野砲数門を位置せしめ敵砲火は最も熾烈を極めたり。第一線部隊は敵銃砲火の中を潜行し零時三十分肉弾血闘を以て上陸成功す。
時に同じくして我が中隊の舟艇群も達着成功し第一線陣地に突入占領す。時に零時三十五分なり。
此の時第一第二番艇は敵重火器の正面に達着せしが敵重火器の猛烈なる射撃により舟艇は延焼上陸困難の状況に至る。各分隊長百方手段を尽し上陸せんと奮闘せるも身に数弾を受け護国の英霊と化せるもの或は重傷を受け部下殆ど死傷するに至れり。
敵第一線を突破せる中隊は死力を尽して該地を確保し後続部隊の上陸掩護に任ず。
右戦闘により藤本兵長以下四名が名誉の戦死。中本伍長以下四名負傷す」
(筆者・藤本兵長、小林上等兵、西橋一等兵、池上一等兵が戦死した)
第二次上陸部隊の第一大隊はダンガ河右岸から発進し、こちらはほとんど抵抗もなく上陸に成功した。
右翼隊を担う杉浦部隊は、歩兵第四十二連隊を第一線、歩兵第二十一連隊を第二線として配置した。
安藤連隊長の第四十二連隊は、第三大隊を右第一線とし、第二大隊を左第一線、第一大隊を予備隊として配備し、両大隊の対岸上陸地戦闘区域は標高五〇から一三〇メートルであった。
第一回上陸部隊の安藤連隊は、無難に上陸を完了し前進を開始した。安藤連隊の上陸により、河村部隊の前面の敵は側面に脅威を感じたために退却行動に移ったため、河村部隊の前進は容易となったのである。
上陸時の戦闘によって部隊の掌握が遅れた市川大隊は夜が明けると状況把握も完了し、残敵の掃蕩にあたりながら、テンガ飛行場東北側を目指して前進した。
市川大隊は午後一三〇〇頃に哩標18付近に陣を張っている英軍部隊と交戦したが、一六〇〇頃には此の敵を撃退して前進。一五五高地、五五高地をへて一一〇高地からテンガ河を渡河してテンガ飛行場への進出を試みようとしたが、前進路一帯は湿地帯で前進不可能なため、迂回行動をとり、八五高地九〇高地をへて進出していた。
第二回目の上陸部隊である大本大隊は上陸後、一哩標19付近まで進出していたが、一三三〇頃には部隊を発して、市川大隊の左翼方面に進出すべく急進した。
杉浦部隊の本部は上陸後六〇高地に到着したが、安藤部隊と連絡が取れずにいた所、花輪大隊が敵と交戦中なることが判明し、六〇高地付近にあった歩兵第二十一連隊の一個大隊(原田大隊)を現場の敵の左側背部に向けて前進させた。
安藤連隊のうち、第三大隊である小林大隊は敵の間隙を縫って突破に成功した。
安藤大佐は連隊本部と護衛小隊とともに南下前進して一三〇高地山麓に達し、同地で小林大隊との連絡に成功する。
安藤連隊長は、後続する丸谷大隊の到着を待つと同時に、小林大隊に対し、テンガ飛行場南端への進出を命じた。
夜明けとともに、敵の所在が各所で明らかとなったが、一三〇高地に進出した丸谷大隊を掌握した安藤連隊長は、付近の戦況から丸谷大隊を左第一線としてテンガ飛行場東側に向けて前進させ、花輪大隊は到着すれば予備隊とすることに決めた。
小林、丸谷両大隊は、順調に南下して残敵の掃蕩をすすめながら、日没頃にはテンガ飛行場東南の線に達した。
花輪大隊は敵を撃破して南下し、同夜には両大隊の後方に集結していた。
安藤連隊の損害は、第八中隊長古谷中尉、第二機関銃中隊の佐々木中尉が戦死、連隊副官の宮川少尉も戦死した。死傷者の合計は百五十名に達していた。
一方、近衛師団の動きである。
八日夕刻、近衛歩兵団長小林少将は、歩兵団命令を出した。
近衛歩兵団命令 二月八日一八〇〇
カンブリーン
一、(省略)
二、歩兵団はX日日没迄に「ジョホール」西側地区に於て渡河を準備し、Z時其
第一線部隊を以て陸橋西側地区に上陸し、当面の敵を突破し、概ね南北送水
菅に沿う地区を一挙「マンダイ」422高地東西に地区に進出せんとす
之が為、重点を「マンダイ」河孟方面より「マンダイ」山に指向す
三、各部隊は別紙近衛歩兵団渡河攻撃計画に基き行動すべし
四、戦闘地境左の如し
(以下略)
近衛師団の軍隊区分は第三二で記載した通りである。
近衛歩兵団の作戦骨子は、歩兵第三連隊第三大隊基幹の中島突進隊がマンダイ河右岸河口に上陸し、後河畔を突進進撃してマンダイ山を攻撃占領し、左右攻撃隊を以てマンダイ河とマンダイケチル河との間に上陸し、所在の敵部隊を攻撃撃破する。左攻撃隊の第四連隊第一大隊基幹の岡部隊を以て、224高地及230高地の線に進出する。
右攻撃隊の第四連隊主力を以てマンダイテコン東西の線に進出させる計画であった。
部隊の渡河開始は九日二三〇〇を予定していたが、やはり予期しないことが出来した。
近衛師団の渡河に関しては、舟艇の不足から、第五師団、第十八師団の渡航に使用した舟艇を回すというものであった。当初の計画では七十五隻の舟艇を回せるはずという算段であったが、実際渡航予定時間に間に合った舟艇は三分の一の二十五隻に過ぎなかった。渡航計画の大幅見直しである。しかし、それは満潮時に近くなり、そうなると陸岸に達せず、手前のマングローブ地帯へ舟艇から飛び込むことになり、上陸作業に困難を極めるものであり、実際そうなった。プラス上陸地点には英軍からの大砲弾、迫撃砲弾が着弾して、動きが自由に取れない歩兵は混乱し、指揮系統は乱れたのである。さらに追いうちを欠けたのは、漏れた重油が海面を漂い、一部では火災が発生したのである。
これを見ていた近衛師団司令部は慌てふためいた。前方に見える海面が火の海に覆われているのを目の当たりにし、上陸部隊はこれにより大きな損害を蒙るのではないかという不安であった。
近衛師団の解良参謀は、軍戦闘司令所に駆けつけて、師団の窮状を説明したが、実際現地では、大した損害もなく部隊を上陸して前進をしていたのだった。
近衛第四連隊の戦闘詳報を見るとその事情がよくわかる。
『右攻撃隊は歩兵団および右攻撃隊渡河計画に基き「ジョホールバール」西側地区に於て乗船し「ジョホール」水道を渡河し「マンダイ」山東西の線に進出すべきを命ず。然しながら第十八師団より回送せらるべき舟艇の到着遅延し渡河作業は予定の如く実施し得ず、止むなく計画を変更し渡河を開始す。
吉田中佐の指揮する第三大隊は友軍砲兵の密接なる協力の下に九日夜「ジョホールバール」西方地区より第一回渡河を敢行し二三〇〇頃陸橋西方「クランディ」付近の奇襲上陸に成功し直に該地付近に在りし敵を撃破し十日未明「クランディ」を占領す。
対岸に在りて状況偵察中の連隊長は第三大隊長より上陸成功の報に接し直に「タンバタン」より第二回以降の渡河を続行し十日〇三〇〇頃連隊主力を以て「マンダイ」河右岸地区に上陸す。
然るに敵は我の陸橋西側地区に奇襲上陸するや俄然機関銃を以てする側防竝に野砲、迫撃砲を以てする猛烈なる阻止射撃をなす。加うるに満潮となり「マングローブ」地帯満水し舟艇は陸岸に達せず指揮掌握頗る困難なる状態となりたるに第一線部隊の果敢なる上陸点付近の突破は敵をして遂に抵抗を断念し退却せしむるに至る。退却に方り敵は予め「マングローブ」林内に放流せる重油に火を放ちたるにより火勢猛烈なり、炎炎たる焔は天に沖し水面に映じ敵砲火益々熾烈を極め凄壮たり』
近衛師団は対岸より見る状況よりは、兵士の死傷者は格段に少なかった。これはまた、初動の上陸に当たった第五師団や第十八師団が直接の被害を蒙ったことで、以外に少なくですんだのだ。ただし、満潮時に重なり、プラス海面の火災により、上陸時の苦心は大きかったのである。
部隊はいずれにしても、当初予想したよりは、大きな損害も少なく上陸成功に及んだのである。シンガポール占領は早期に実現できる可能性も見えたが、翌日から始まる激闘は、そう簡単には終止符を告げないものと思わざるを得なかっった。
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