第三三話 第十八師団の上陸戦闘

 一方、パージバル中将はシンガポールの防衛体勢を次のように定めた。

 それは西地区、北地区、南地区にわけ、西地区は豪州第八師団に独立インド第四十四旅団を配置し、北地区にはインド第三軍を豪州第八師団の右に配置した。第三軍は、英第十八師団とインド第十一師団からなり、第十八師団は第五十三、第五十四、第五十五の三個旅団からなり、一月中旬以降シンガポールに到着した部隊であったが、第十一師団はマレー半島の戦闘で大打撃を蒙り、シンガポールで戦力回復に努めたが、その戦力は弱体化していた。南地区はシンガポール要塞司令官が指揮して、第一マレー旅団、第二マレー旅団、義勇軍などが防衛していた。此の他、第十一師団の第八旅団が予備隊として配置されていたが、戦力の期待は見込めなかった。

 パーシバル中将は日本軍の進攻をセレター地区に指向されていると予想し、防衛の拠点を北地区に重点を置いていた。その予想は、日本軍はウビン島を占領したことにより、確かなものと自信をもったが、実際は日本軍の陽動作戦で在り、日本軍は陸橋から西側を中心に進攻を開始した。


 二月六日、第二十五軍は全軍に攻撃の開始を布告した。

    第二十五軍命令

一、軍は八日夜「ジョホール」水道を渡り速かに新嘉坡島を攻略せんとす

二、第十八師団は八日Y時「ペルパ」河以南の地区より水道を渡り当面の敵を突

 破し勉めて神速に「テンガー」飛行場西南側地区に進出し次で「ブキテマ」西

 南側方向に向い敵を攻撃すべし

 特に一部を以て敵水上艦艇及「ランチャン」方面の敵に対し軍の右側背を掩護

 すべし

 二月七日〇八〇〇独立工兵第二〇連隊(本部及二中隊を)「スクダイ」に於て

 近衛師団長の指揮下に入らしむべし

三、第五師団は一部を以て七日夜陸橋付近に於て陽動を実施し主力は八日Y時

 「マライ」河河口両側地区より水道を渡り当面の敵を突破し勉めて神速に「テ

 ンガ」飛行場南側地区に進出し次で「ブキテマ」東北側方向に向い敵を攻撃す

 べし、成るべく速かに有力なる一部以て「マンダイ」付近の敵を勉めて背後よ

 り攻撃し近衛師団の九日夜以降に於ける「ジョホール」陸橋付近よりする進出

 を容易ならしむべし

 九日一二〇〇独立工兵第二十六連隊の一中隊(小発約二十を含む)を「スク

 ダイ」河水上飛行場付近に於て近衛師団長の指揮下に入らしむべし

四、近衛師団Xー一日夜一部を以て「ウビン」島西北角に奇襲し敵を牽制抑留せ

 しめ主力は八日後半夜以「ジョホールバル」方面に転進し九日夜以降陸橋方面

 より水道を渡り当面の敵を突破し先づ「マンダイ」南側地区に進出し軍主力の

 作戦を有利ならしむべし

 二月七日〇八〇〇独立工兵第二十連隊(本部及二中隊)を「スクダイ」に於て

 又九日一二〇〇独立工兵第二十六連隊の一中隊(小発約二十を含む)を「スク

 ダイ」河水上飛行場付近に於て其の指揮下に入らしむ

五、第五、近衛師団間の作戦地境を九日〇〇〇〇以降「スクダイ」河「クラン

 ジ」河口道標十二哩を連ぬる線に変更す

(六、以降省略)


 此の軍命令を受けて、第十八師団は師団命令を下した。

   第十八師団命令

一、(省略)

二、師団はX日Y時(テービンルント」及「ツアン」付近より「ジョホール」水

 道を強行渡河し、前岸地区の敵を攻撃して勉めて神速に「テンガ」飛行場西南

 地区に進出し、「ブキテマ」付近に対する攻撃を準備せんとす

        (省略)

三、左翼隊(歩兵第百十四連隊基幹)は砲兵射撃に連繫し「テービンルント」付

 近より一五〇高地及一〇五高地の敵を攻撃し神速に穿貫突破してX+一日払暁

 までに「テンガ」飛行場西南地区に進出すべし

四、右翼隊「歩兵第二十三旅団【歩兵第五十六連隊(一大隊欠)欠】基幹」は砲

 兵射撃に連繋し「ランデイングテージ」及「ツアン」付近より三〇高地及二一

 五高地に亘る間の敵を攻撃し、神速に穿貫突破してX+一日払暁までに「テン

 ガ」飛行場西南地区に進出すべし

五、(省略)

六、砲兵隊はX日天明迄に主力を以て「ツリー」(ツアン西方七粁)付近に、一

 部を以て「ポツリティ」付近に陣地を占領し主として左記任務に服すべし

 1 敵陣地の破壊及敵砲兵の制圧    全火力

 2 突撃支援射撃(渡河正面前線付近の陣地設備の破壊)

                    全火力

 3 第一線上陸以後敵後方の射撃(逆襲阻止及交通遮断)

   「セリムブン」付近約二大隊軍砲兵約一大隊はX日早朝よりX+一日一五

   〇〇まで師団正面敵砲兵の制圧に任ず

    (以下略)


 師団砲兵隊は師団命令に基づき、八日一二一五時に十五分遅れになって攻撃準備射撃を開始した。

 第一次の射撃は一五一五時まで続けられた。此の砲撃に対し英軍からも砲撃が始まった。

 此の砲撃により第一大隊の観測所後方の掩体壕に敵砲弾が命中し、軍医以下八名が死傷してしまった。

 次期射撃は一七三〇時の予定であったが、激しいスコールのために視界不良と、各隊間の電話連絡が途絶し、砲撃開始時間は一八二〇頃に変更となった。


 夜間渡河に対する支援射撃は二三〇〇頃予定どおり実施され、第十八師団の渡河部隊は各渡航点から渡航先へと暗夜の海上を進んでいった。

 第一次の渡航部隊は次のような編成であった。

 右翼隊

  右第一線 

    歩兵第五十六連隊第一大隊基幹

  左第一線

    歩兵第五十五連隊第一大隊基幹

 左翼隊

  右第一線 

    歩兵第百十四連隊第二大隊基幹

    工兵第二中隊

   左第一線

    歩兵第百十四連隊第一大隊第一中隊


 渡河隊の舟艇は暗闇の中、手漕ぎでスタートし、直にエンジン音を響かせながらシンガポール島の岸を目指した。

 敵陣地からの砲弾が落下し、岸に取り付くと射撃音が聞こえてきた。将兵は舟艇から泥の海岸に足をとられながら上陸し、師団の上陸成功である赤吊星を打ち上げた。時刻は翌九日の〇〇一〇であった。

 舟艇隊は部隊を下ろすと、すぐさま引き返して第二回、第三回と上陸部隊を運んだ。

 牟田口師団長と佗美支隊長は第三回目に上陸を果たした。

 左翼隊の第百十四連隊は上陸後敵の攻撃を受けたが、これを撃破して前進を開始した。だが、上陸直後の混戦で師団司令部が攻撃を受け、牟田口師団長は胸に破片を受けて負傷、猪野参謀は片足を失い、司令部付将校の一人が死亡、一人が負傷してしまった。

 

 右翼隊は第五十六連隊第一大隊が先陣を請け負った。第五十六連隊は久留米を本拠とする連隊である。

 部隊はムラ岬北側地区に上陸予定であり、第一大隊長的場少佐指揮のもと、上陸を敢行するが水際ジャングル内で敵と激戦状態となり、大隊副官、第一中隊第三小隊長を失い、第一小隊長も重傷を負った。

 それでも第一中隊は英軍部隊を撃退し、ムライ岬東北端の一二五高地を夜襲にて奪取し、第二中隊も一二〇高地の占領に成功する。


 第二回目の上陸部隊である第三中隊、第四中隊、機関銃中隊などが上陸して戦力を増加し、第四中隊は一三五高地を占領した。

 右翼隊の左第一線部隊である第五十五連隊は佐賀を本拠とする連隊である。第五十五連隊の第一大隊が第一回目の上陸部隊であったが、上陸地点では抵抗がほとんどなく、前面の敵は後退していった。第二回目で上陸した木庭連隊長は、第一大隊を掌握して、前進を始めた。

 佗美少将もまもなく連隊本部に到着し、木庭連隊長と夕刻まで行動を共にした。

 渡航成功後、師団の各砲兵部隊は陣地を撤収して渡航を開始した。渡河地点は敵重砲の砲撃に晒されたが、目立った損害は生じなかったのが幸であった。が、渡河作業は遅れ気味となった。


 左翼隊は左第一線が第百十四連隊第二大隊の酒向大隊を前衛とし、連隊本部、第一大隊、第三大隊と続いた。が、夜が明けると前衛部隊の後方に連隊主力が続行していないことが判明し、前衛の前方には第五十六連隊が先行するという混乱も起きていた。

 那須大佐は部隊の位置を掌握すると共に、再度部隊の部署配置を定め、それぞれ前進を開始した。

 正午ごろにはテンガ飛行場西側のゴム園の林縁に進出したが、林大隊(五十六連隊第二大隊)は兵力不明の敵から激しい射撃を受けたため、前進は頓挫した。

 那須大佐は速射砲及び第三大隊の大隊砲を現場に急行させると共に、第三大隊(松岡大隊)を林大隊の右に展開させ、敵を左翼から包囲する形で攻撃をかけた。

 歩兵第百十四連隊の第三大隊(亀本大隊)が戦場に到着したため、亀本大隊に対しゴム林西側の九五高地、一〇〇高地の敵を攻撃するよう命じた。

 林大隊と松岡大隊は敵と対峙したが、形勢は英軍側の方が有利であったが、一六三〇頃になって前面の敵は後退を始めた。

 酒向大隊はテンガ飛行場に突入した。

 前衛に続行して進撃していた連隊本部、第一大隊は結局途中三叉路で方向を誤り、アマケン部落(第五師団の進撃地域)に入り、英軍部隊と交戦したあと、連隊長は進撃路を間違えたことに気付き、一九三高地南側を経由して転進し、夕刻道標一五(テンガ飛行場西方二粁)地点に進出した。

 

 一方、その後方を行く第三大隊(亀本大隊)は、前進する第一大隊の後方を前進しているため、安心して行軍を続けていたが、一四〇高地及一三〇高地に敵部隊が陣取っているのを発見した。

 第百十四連隊の第三大隊の「戦闘詳報」が遺っている。百十四連隊は福岡を本拠とする連隊である。それによると第三大隊の渡河は第三回目であり、渡河開始時間は〇一三〇であり、渡河完了は〇四五〇であった。大隊は連隊主力の後を追って、テンガ西南側へと進んでいった。

 第十中隊が尖兵となって大隊本部の前方百五十米を進んだ。

続いて第九中隊、第十二中隊(一小隊欠)、第三機関銃中隊、第三大隊砲小隊、独立速射砲第十二中隊一小隊、第十二中隊一小隊の順で進んだ。

 連隊命令の如く、第三大隊は後方から追及する形で進撃していった。〇九三〇頃には尖兵隊は上陸点から東南約二キロにある一四〇高地西北部に到着して小休止をしていた。

 ところがである。敵部隊が一四〇高地と一三〇高地に陣取っているのを発見するのである。もう陽が登って明るかったので判明したのである。

 一〇〇〇亀本少佐は大隊命令を下した。


   第三大隊命令

一、第五師団方面に於て圧迫せられたる敵並に我が方面に於ける敗退せる一部の

 敵は逐次一四〇高地既設陣地付近に集結し我を阻止せんとしあるものの如し

二、大隊は直ちに之の敵を攻撃し速に「テンガ」飛行場付近に進出せんとす

三、第十二中隊(第三機関銃一小隊を属す)右第一線第十中隊左第一線直ちに之

 を攻撃所命の線に進出すべし

四、機関銃中隊は中第一線となり両中隊の戦闘に協力すべし

五、大隊砲は一四〇高地両北側台地上に陣地を占領し主として右中隊の戦闘に協

 力すべし

六、速射砲小隊は概ね現在地付近に陣地を占領し主として道路上を射撃し得る如

 く準備すべし

七、第九中隊(一小隊欠)は予備隊となり現在地付近に待機すべし尚一ケ小隊を

 以て第十中隊の後方に位置し道路上の警戒に任ぜしむべし

八、余は第一線両中隊の中央後二〇〇を前進す

              大隊長  亀本少佐


 敵機が飛来する中、英軍部隊は一四〇高地付近に陣地を構えて第三大隊に砲弾が浴びせていた。第十二中隊は一四〇高地西北側高地を右から包囲する形で前進、第十中隊は高地の西北に展開して敵の射撃の死角から前進を続けた。

 藤本小隊は一気に丘上に突入して占領するが、藤本小隊長は一弾を受けて重傷を負った。第三機関銃中隊は両中隊の中間の配置について掩護射撃を行っていたが、水戸小隊は小隊長をはじめ全滅に近い損害を受けた。水戸少尉は無念にも戦死した。

 大隊砲も高地に向けて射撃を続けていたが、戦闘中敵機が飛来して爆弾を投下し、そのうち一発が一門に命中して破壊され、砲手は砲桿を握ったままで爆砕した。

 速射砲小隊は予定どおり行動して陣地を占領して、対戦車に備て準備を完了した。

 大隊本部行李班予備隊は戦闘の進捗に応じて一四〇高地に前進し一一二〇に同高地の占領を完了した。

 頑強な抵抗を続けていた敵は一一一〇頃敗走していった。が一部の敵は大隊の左側背部に脅威を与えていた。

 亀本少佐は第三機関銃中隊と第十中隊の一ケ小隊に対し一三〇高地の占領を命じ、左側背部の掩護を命じた。

 第三機関銃中隊は歩兵一小隊と共に一三〇高地西南側斜面に陣地を占領して敵部隊を制圧し、敵装甲車を擱座させた。九五高地と一〇〇高地の敵は後退していった。

 そして一九三高地に向かうと遥かに「テンガ」飛行場を臨み、連隊主力の我部隊の進撃中なるを目撃した。


 部隊は「テンガ」飛行場に向けて前進中、師団参謀橋本中佐の指示により、九五高地と一〇〇高地の敵掃蕩を命ぜられ、その任につくが、敵は遁走した模様で敵影は見なかった。

 第三大隊が当たった敵は第五師団の攻撃により移動してきた部隊と思われ、兵力はおよそ四百名と予想された。

 戦闘後、確認した遺棄死体は八十二であった。第三大隊の死傷者は戦死将校一名、下士官兵五名、負傷者将校一名、下士官兵十九名に達した。上陸一日目の戦闘は終わった。

 第三大隊はテンガ飛行場西南地区において兵力を集結して明日の攻撃に備えると共に、敵襲に備て掩体壕を掘って警戒を厳重にした。

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