第五話 水平爆撃と降下爆撃
猛訓練は雷撃隊のみではなく、水平爆撃隊にも過酷な条件のもと行われた。水平爆撃教導機の集合訓練である。水平爆撃は、洋上で高速回避する大型艦に対し、高々度から九機編隊で、先頭機の照準投下に合わせて他の八機が一斉に投下する。落下した爆弾が構成する逆三角形の面の中に目標が入れば、一弾は必ず命中するという公算爆撃であった。爆撃操縦は、操縦員と偵察員の間の緊密な連携が不可欠である。
技量抜群のペアーを各中隊に配属し、このペアーは中隊長右側の二番機の位置についており、中隊長が爆撃目標を決め、中隊をその方向に向けると、一、二番機が互いに位置を替えて、二番機が先頭機となって爆撃照準を行い、厳密な編隊を組んだまま行動し、先頭機の爆撃に合わせて、中隊全機が爆撃を敢行する。
志布志湾大崎海岸に米戦艦の模型を特設し、爆撃訓練に励んだ。
国立公文書館返還文書の中に「水平爆撃の方法」なる書類がある。(アジア歴史資料センターにて閲覧できる)この爆撃法のテキストは綿密なる理論をもとにその爆撃の難しさを説明している。
「 第一章 通則
一 水平爆撃ハ飛行機ヲ以テスル攻撃ノ重要ナル手段ニシテ其ノ成果ハ戦闘
ノ勝敗ニ影響スル所甚大ナリ故ニ実施者ハ爆撃諸兵器ノ性能ニ精通シ其
ノ用法ニ習熟シ以テ戦況ニ応ジ克ク其ノ効果ヲ最大ニ発揚スルニ努ムル
ヲ要ス
二 水平爆撃ノ効果ハ細心周到ナル準備ト適切ナル実施トニ依リ始メテ之ヲ
発揮シ得ルモノナリ
三 水平爆撃ノ実施ニ当リ操縦員ト偵察員ハ時ニ密接ナル連繋ヲ必要トスル
ヲ以テ常ニ一心同体互ニ機微ヲ洞察シ以テ適切ナル爆撃ヲ実施スルニ努
ムルヲ要ス
四 水平爆撃ノ実施ニ当リテハ敵ノ防禦砲火及戦闘機ノ妨害アルヲ常トス故
ニ搭乗員ハ協同一致常ニ旺盛ナル攻撃精神ヲ以テ克ク幾多ノ艱難ヲ排除
シ冷静沈着ニ其ノ任務ヲ遂行スル覚悟○○ヲ要ス (以下略)」
(○○ は 欠損につき判読不能)
八〇〇粁爆弾の製造に関しては空技廠実験部による研究開発の尽力による所が多い。その実験場は鹿島神宮の南方、北浦と利根川の合流点の東方にあり鹿島実験場と呼ばれていた。
五〇〇粁および八〇〇粁の爆弾をもって高度、爆弾、鋼板の厚さをとりかえて実験を実施すると、既成の爆弾では、六インチの装甲板を貫徹することは困難だった。追求すると、爆弾自体の弾体の強度不足で、命中しても鋼板を貫徹する前に爆弾が破壊されてしまうことが判明したのである。要求されているのは戦艦の甲板の貫徹である。
研究員達が考えたのが、当時日本の戦艦で四〇センチ砲を搭載している。その砲弾の九一式徹甲弾は同クラスの戦艦の装甲を破壊する威力をもっている。
その徹甲弾を改造して利用できないか考え、すぐにその改造作業にかかり、その後部を削って尾翼を取り付け実験を開始した。この爆弾ならば六インチの鋼板を貫通することはできるで在ろうとデータをとると、これでも高度三千メートルから投下すればなんとか破壊できることを確認した。この爆弾の重力は七九六・八キロで炸薬量は二二・八キロであった。
この爆弾が完成し各母艦に配布した所、この八〇〇キロ爆弾の直径は四〇センチだったことである。従来の八〇〇キロ爆弾は四五センチだったことだ。これでは従来の爆弾投下器には取り付けることができず、投下器の改造が必要であり、急遽突貫改造工事を行ったが、全ての工事の完了は単冠湾内に到着するまで続けられたという。
水平爆撃は簡単そうに見えるがそうではない。色々な影響を受ける。自分の機速、飛行体勢、そして、自然による風の強さ、風向、更に狙う目標が動いているのであれば、相手の速度、動く方向など、多種な条件に左右されてそう簡単に命中するものではない。
「戦史叢書 ハワイ作戦」には次のように記載がある。
「飛行中風の影響を受けているので、目標を爆撃しようとすれば、風による左右の方向の流れを適当に修正して目標の直上を通過しなければならない。これを左右照準といった。これには照準者が照準器を覗いて、飛行機の左右の流れ方を見て操縦者に合図し、適当な角度だけ飛行機の針路を修正するのであるが、操縦者が照準者の要求する角度を修正するのには、両者の呼吸がピッタリ合わねばならない。そのため操縦者と照準者は組となって訓練し、転勤も一緒にという特別処置を採っていた。
次に正しい針路が得られたならば、更にその針路上のどこで投下すべきかを決定する必要がある。投下された爆弾は、垂直方向では重力のため加速しながら何秒かのちに目標面に達するが、飛行機の進行方向では投下時は飛行機の速度と同じであるが、空気の抵抗のため逐次減速して飛行機の真下から後方に遅れて行き遂に目標に達する。従ってこの遅れを加味して投下点を決める必要がある。
海軍では昭和の初期、ドイツのゲルツ社からゲルツボイコフ式の遠近二点同調式鏡式爆撃照準器を入手し、これに若干改修を加え国産化して九〇式爆撃照準器として採用していた。
この照準器は弾道上の諸元をあらかじめ照準器に調えておき、目標が照準器の中央に来たとき時計装置を発動し、回転プリズムを自動的に回転させる。すると、目標が一旦視界の中央から前方に離れ、約一〇秒〜二〇秒で再び照準器の中央にもどって来たときに投下するばよい原理のもので、総重量は一四キロであった。
この照準器は気泡式水平器を使っていたのと、左右照準が難しいのが欠点で、その命中精度は照準者、操縦者の技倆に負うことが大きかった。そのためわが海軍では相当経験を積んだ操縦者、照準者を特修科学生、特修科練習生として採用し名人教育を行なっていた。
わが海軍航空の爆撃訓練の主目標は航行中の艦船であって、これに円熟しておれば、停止目標である停泊艦や陸上目標の攻撃は易々たるものであった。そのため標的艦摂津を整備し、また三〇キロの特種演習弾を作り、自由回避する「摂津」に対して高高度水平爆撃訓練を行なった。
洋上では艦船は豆粒のような一点とも見られ、その上自由に回避運動を行なうので、高高度から一発必中爆撃は期待し得ない。そればかりでなく艦船に対する爆弾の威力から見て、小型爆弾を多数搭載するのは不利であり、どうしても大型爆弾による高高度爆撃を行なう必要があった。そのため搭載する爆弾の数は一発、多くても二発であった。研究の結果、通常九機編隊で一番機が照準し、その合図によって全機が投下して、面をもって目標を捕捉、その内一発の命中を期待する編隊公算爆撃の方式が採用されていた。そして、その場合の編隊の隊形は、編隊運動が容易で防禦にも有利なように考えられていた。
なお敵艦の回避に対しては、照準者の感による見越しに頼るほか方法はなかった。
聯合艦隊の練度は、昭和十四年度前期訓練の成績では命中率一一・四%であったが、昭和十六年十月の第一航空艦隊教練爆撃の成績によれば高度三、〇〇〇米で平均命中率一〇%、最高命中率一七%を得ていた」
なお、爆撃照準器については、歴史群像通巻八十六号に野原茂氏の「日本照準器開発史」に詳しく解説している。その中で、九〇式照準器の要領について記している。
「九〇式爆撃照準器による照準要領は、まず爆撃進路に入り、目標が照準パターンの縦軸線に沿って流れるように、操縦員に指示して機体を誘導する(照準器の視野は斜め前方の目標を追う)。目標が気泡の中心に来たとき、「時計発動」と合図して時計のスイッチを入れる。すると気泡の中心に収まった目標
が縦軸線に沿って上方に逆戻りする。その後、機体が直進飛行すると、再び目標が気泡の中心に収まり、その瞬間に爆弾を投下すれば、あらかじめ風向、機速、高度などの諸条件をインプットして割り出したデータ通りの弾道を描いて、目標に命中するというわけである」
まさに操縦者の技術と、照準者の経験や勘により、二人の呼吸が一致してこそ命中する確率が上がる爆撃法であることは確かだ。
次に降下爆撃についてである。
急降下爆撃に使用される機体は九九式艦上爆撃機十一型と呼ばれ、愛知時計が開発した全金属製、低翼単葉、固定脚の飛行機であった。昭和十四年に正式採用されているので、皇紀二五九九年の下二桁をとり九九式となっている。
全長 一〇・一八五m
全幅 一四・三六〇m
全高 三・三四八m
自重 二三九〇㎏
離昇出力 一一〇〇馬力
最高速度 二〇六ノット(高度二三〇〇m)
航続力 一三一二浬(一五〇ノット)
武装 機首 七・七ミリ機関銃二門
後方 七・七ミリ旋回銃一門
爆弾 二五〇㎏ ×一 、六〇㎏ × 四
乗員 二名
急降下爆撃は、降下する角度が深ければ深いほど、着弾する誤差は少なくなる。が、操縦者はかなりの熟練度を要する。一旦狙い定めて降下を開始すれば、やり直しの効かないのも事実で、的確なる動く相手に対する読みが必要となり、それだけでなく、風の方向風速の状況も把握しておかねばならない。
再び「戦史叢書」より
「海軍では急降下爆撃と称したのは、四五度以上の角度で目標に向い急降下し、低高度で爆弾を投下、飛行機を引き起こして避退する爆撃法である。この爆撃法は命中率がきわめて良好なのが特徴であった。この爆撃法は急激に飛行機を引き起こすため、機体の強度が強く要求され、機体を丈夫にするためその重量が大きくなって爆弾搭載量を減じ、その上低空で投下するので命中時の爆弾の衝撃速度が小さく、その貫徹力が不十分で更に地上からの砲火を受けやすい欠点があった。しかし命中率がよく爆弾の威力も貫徹力も航空母艦など水平防禦の弱いものに対しては有効なので、有力な艦船攻撃法であった。なお、使用機が抵抗の少ない高性能機ともなると、急降下中どんどん加速されてゆき、操縦性を損うなどの障害が出るので、降下速度を制限するため空気抵抗を増す装置が必要であった。照準装置としては射撃照準器を兼用するのが常であった。(中略)
高高度による隠密接敵と太陽側からの攻撃法が強調され、接敵までは編隊をとるが突撃は単機順撃で行ない、引き起こし後、被害局限の見地から低高度の
まま高速で離脱するのが普通であった。なお編隊爆撃や四五度以下の緩降下低空爆撃についても研究されたが、使用されるまでに至っていなかった。急降下爆撃の命中率は、昭和十四年度の聯合艦隊戦闘飛行では五三・七%であったが、九九式艦爆となってからは、十六年十月の第一航空艦隊教練爆撃で平均四〇%、最高五五%の成績を収めた」
前掲の歴史群像所収によると
「日本海軍の急降下爆撃法は、高度三千mぐらいから、およそ五〇〜六〇度の角度で降下し、高度五〇〇m前後で爆弾を投下することを基本とした。投下された爆弾は実際に照準点を定めた地点より少し手前に着弾する。この照準点と着弾点の誤差を追従量と称し、操縦員は降下する前に、あらかじめ降下角度(機速)、降下速度、投下高度、爆弾の落下速度、風向、風力、さらに目標が艦船の場合、その進路、速度などの諸要素をもとに適切な追従量を割り出して照準点を定めるのである。照準器のイメージ・パターンは方眼目盛状で、降下角六〇度、高度六〇〇mの投弾ポイントのこち、地上(もしくは海面)一〇mが、その一区画の一辺に相当するように設定されていた」
水平爆撃にしろ降下爆撃にしろ、訓練訓練に明け暮れてこそ、身に付くものであり、いわば職人芸ともいうべき爆撃法であったのである。飛行機は水平で飛ばすこと。戦闘機もそうで、射撃する時は傾いていては、射弾は流れて当たらない。今では爆弾自体に目標認識装置や追尾装置がついているが、当時は試行を繰り返しながら、会得していったのである。
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