第二話 真珠湾攻撃の発想
話は
戦史叢書「ハワイ作戦」には、山本長官の苦悩を表す島田海軍大臣宛の手紙と翌年の海軍大臣及川古志郎大将への書簡にその用兵構想が見られるとしているが、及川大将宛の意見書を引用しよう。
軍備ニ関スル意見
国際関係ノ確タル見
依テ茲ニ小官ノ
一 戦備
戦備ニ関シテハ既ニ聯合艦隊ノ意嚮ヲ中央ニ移シ中央ニ於テハ全力を挙ゲテ之ガ整備ニ努力セラレツツアルモノト信ズ サレド前述ノ申入レハ一般重要ノ事項ニシテイザ開戦トナリ敵ト撃チ合ウゾトナレバ尚ホ種々ノ細カキ新要求モ出ヅベシ
二 訓練
従来訓練トシテ計画実行シツツアル大部分ハ正常基本ノ事項即チ邀撃決戦ノ場合ヲ対象トスル各隊ノ任務ニ関スルモノナリ 勿論之ヲ充分ニ演練スルコトニ依リ幾多多様ノ実戦場面ニ応用善処セントスルモノナレバ十全ノ努力ヲ傾注シテ之
ガ練熟ヲ期セザルベカラズ
併シナガラ実際問題トシテ日米英開戦ノ場合ヲ考察スルニ全艦隊ヲ以テスル接敵、展開、砲魚雷戦、全軍突撃等ノ華々シキ場面ハ戦争ノ全期ヲ通ジ遂ニ実現ノ機会ヲ見ザル場合ヲモ生ズベク而モ他ニ大ニ演練スベクシテ平素
尚ホ前述正常ノ基本的訓練ヲ行ウニ方リテモ徒ニ大ザッパナル綜合的戦術運動ノミニ熱中スルコトナク演習ノ推移ニ応ジ自己ノ率ユル艦隊、戦隊、或ハ一艦一隊ガ常ニ各場面ニ於テ其ノ戦闘力ヲ極度ニ発揮シツツアリヤ否ヤニ関シ不断ノ検討ヲ要ス(之ガ為偏弾射撃或ハ一部魚雷ノ実射ヲ演習及応用教練毎ニ必ズ織込ミ随時其艦隊ヲ指命シテ実射セシムル等ハ有効ナルベシ)
昨年英伊両艦隊ガ地中海ニ於テ遭遇セル場合其ノ何レカガ平素ヨリ見敵必戦ノ攻撃精神旺盛ニシテ且
三 作戦方針
作戦方針ニ関スル従来ノ研究ハ
而シテ
事前戦否ノ決ヲ採ランガ為ノ資料トシテハイザ知ラズ
日米戦争ニ於テ我ノ第一ニ遂行セザルベカラザル要項ハ開戦劈頭敵主力艦隊ヲ猛撃撃破シテ米国海軍及米国民ヲシテ救フ可カラザル程度ニ其ノ志気ヲ
然ラバ之ガ実行ノ方途如何
四 開戦劈頭ニ於テ採ルベキ作戦計画
我等ハ日露戦争ニ置テ幾多ノ教訓ヲ与ヘラレタリ 其中開戦劈頭ニ於ケル教訓左ノ如シ
(一)開戦劈頭敵主力艦隊急襲ノ好機ヲ得タルコト
(二)開戦劈頭ニ於ケル我水雷部隊ノ士気ハ必ズシモ旺盛ナラズ(例外
ハアリタリ)其技倆ハ不充分ナリシコト
此点遺憾ニシテ大ニ反省ヲ要ス
(三)
我等ハ是等成功並ニ失敗ノ蹟ニ鑑ミ日米開戦ノ劈頭ニ於テハ極度
ニ善処スルコトニ努メザル可カラズ 而シテ勝敗ヲ第一日ニ於テ決
スルノ覚悟アルヲ要ス
作戦実施ノ要領左ノ如シ
(一)敵主力ノ大部真珠港ニ在泊セル場合ニハ飛行機隊ヲ以テ之ヲ
徹底的ニ撃破シ且同港ヲ閉塞ス
(二)敵主力真珠港以外ニ在泊スルトキモ亦之ニ準ズ 之ガ為ニ使
用スべキ兵力及其ノ任務
(イ)第一、第二航空戦隊(已ムヲ得ザレバ第二航空戦隊ノミ)月
明ノ夜又ハ黎明ヲ期シ全航空兵力ヲ以テ全滅ヲ期シ敵ヲ強
(奇)襲ス
(ロ)一個水雷戦隊
敵飛行機隊ノ反撃ヲ免レザルベキ沈没母艦乗員ノ収容ニ任ズ
(ハ)一個潜水戦隊
真珠港(其ノ他ノ碇泊地)ニ近迫敵ノ狼狽出動ヲ邀撃シ為
シ得レバ真珠港口ニ於テ之ヲ敢行シ敵艦ヲ利用シテ港口ヲ閉
塞ス
(ニ)補給部隊
燃料補給ノ為給油艦数隻ヲ以テ之ニ
(三)敵主力若シ早期ニ布哇ヲ出撃来攻スルガ如キ場合ニハ決戦部
隊ヲ挙テ之ヲ邀撃シ一挙ニ之ヲ撃滅ス 右ノ何レノ場合ヲ問ハ
ズ之ガ成功ハ容易ニアラザルベキモ関係将兵上下一体真ニ必死
奉公ノ覚悟堅カラバ
右ハ米主力部隊ヲ対象トセル作戦ニシテ機先ヲ制シテ菲島及新嘉坡方面ノ敵航空兵力ヲ急襲撃滅スルノ方途ハ布哇方面作戦ト概ネ日ヲ同ジクシテ決行セザルベカラズ
然レドモ米主力艦隊ニシテ一旦撃滅セラレンカ菲島以南ノ雑兵力ノ如キハ士気阻喪到底勇戦敢闘ニ堪ヘザルモノト思考ス
万一布哇攻撃ニ於ケル我損害ノ甚大ナルヲ
小官ハ本布哇作戦ノ実施ニ方リテハ航空艦隊司令長官ヲ拝命シテ攻撃部隊ヲ直率セシメラレンコトヲ切望スルモノナリ
爾後堂々ノ大作戦ヲ指導スベキ大聯合艦隊司令長官ニ至リテハ自ラ他ニ其人在リト確信スルハ既ニ
願クハ明断ヲ以テ人事ノ異動ヲ決行セラレ小官ヲシテ専心最後ノ御奉公ニ邁進スルコトヲ得シメラレンコトヲ
(「戦史叢書 ハワイ作戦」 朝雲新聞社 NIDS 戦史史料・
戦史叢書検索サイト内 戦史叢書)
このことを元に同書は、
一、長官は航空兵力を重視し、其増強を熱望している
二、従来の邀撃作戦方針に基づき全艦隊をもってする艦隊戦闘の訓練
に終始していた為、小部隊の戦闘における各級指揮官の訓練が欠け
ていた。
三、長官は今次大戦の主敵は米国特に米海軍とし、長期戦になるもの
と判断
四、長官はこの作戦方針に基づき、其先手をとる第一撃として開戦劈
頭航空部隊によるハワイ奇襲作戦を選んだ。
五、ハワイ奇襲作戦は、長官の作戦方針から見れば今次戦争の勝敗を決
する鍵ともいえるものであった。
と導いている。
真珠湾攻撃という文字を山本長官と大西少将以外が知るのは昭和十六年二月の時であった。当時鹿屋の第十一航空艦隊参謀長の大西少将から当時第一航空戦隊航空参謀の源田実中佐は呼び出されていた。源田は鹿屋基地に着くと、大西少将の所に赴いた。大西は懐から一通の手紙を持ち出した。それは、大西少将に宛てた山本長官からの手紙だった。
「国際情勢の推移如何によっては、あるいは日米開戦の已むなきに至るかもしれない。日米が干戈をとって相戦う場合、我が方としては、何か余程思い切った戦法を足らなければ、勝ちを制することはできない。それには、開戦劈頭、ハワイ方面にある米国艦隊の主力に対し、わが第一、第二航空戦隊飛行機隊の全力を持って、痛撃を与え、当分の間、米国艦隊の西太平洋進攻を不可能ならむるを要す。目標は米国戦艦軍群であり、攻撃は雷撃隊による片道攻撃とする。本作戦は容易ならざることなるも、本職自らこの空襲部隊の指揮官を拝命し、作戦遂行に全力を挙げる決意である。ついては、この作戦を如何なる方法によって実施すればよいか研究してもらいたい」
この様な主旨の手紙だったと源田は記憶している。
又回想録の中でこう記している。
『読み終えた後、大西少将が口を開いた。
「そこでやね、君ひとつこの作戦を研究してみてくれんか。できるかできないか、どうすればやれるか、そんなところが知りたいんだ」
「承知いたしました。ところで、長官はどうして戦艦を主目標とされたのでしょうか。山本長官ほどの人が、未だに戦艦を海上の主力と考えているとは思われない。またたとえ戦艦が主力であるとしても、航空母艦のいない艦隊では、戦艦もその威力を発揮することはできないと思います。それからもうひとつ、長官の案では片道攻撃となっていますが、これにはどうも賛成できませんなあ。母艦だけは遠くの方でへっぴり腰をして、飛行機を出したなら、逃げ帰るようなのは、統帥上大きな問題がある上に、攻撃効果も十分なものを期待することはできないと思います」
「うん、君のいうことも一理あるが、長官の考え方はまた違っていると思われるんだ。まず攻撃目標を戦艦においている点だが、海上戦闘の鍵を飛行機が握っていると思っているのは、おれたちだけなんだ。海軍部隊のほとんど全部が戦艦が一番強いと思っているし、航空関係の中にさえ、そう思っているものが少なくない。部内がそうなんだから国民はもちろん戦艦が主力だと思っているだろう。この考え方はアメリカも同じだろう。矢張り戦艦中心主義だ。長官が考えておられるのは、単なる兵術的利害だけではない。もっと大きな心理的利害を考えておられるのではないだろうか。航空母艦がやられても、戦艦が残っているならば、アメリカ国民は、まだまだ大丈夫だと思うだろう。しかし、戦艦の大部がやられたならば、アメリカ人はガックリくるに違いない。私の想像ではあるが、長官のねらいはどうもそんな所にあるような気がする。片道攻撃も矢張り心理的なものだ。今まで、どこの国も、片道攻撃などということをやったことはない。それを開戦劈頭、何百機という多数の飛行機でやるとなれば、アメリカ人の目には、日本人という奴は無茶苦茶で、常識では考えられない国民だと映るであろう。ねらいはそこにあるのだ。こんな常識はずれな奴を相手に戦争などできないという印象をアメリカ人の頭の中に打ち込むのが長官の考えだと思う」
「なるほど長官はそういう風に考えておられるのですか。しかし、私はやはり航空母艦を第一目標に選ぶべきだと思います」
「雷撃についてはどう思う?長官は、雷撃ができないようならば、この攻撃はやらない、と言っておられるが」
「私は戦闘機乗りなので雷撃の方はわかりかねますが、真珠湾の水深は約十二メートル付近なので、研究すればできないことはないと思います。しかし、雷撃ができなくても致命傷を与えることを考えなければなりません。攻撃目標を航空母艦に絞れば、艦爆だけで、十分の致命傷が与えられます。飛び込むことさえできれば、あとは何とかなるのですが、問題は、どうして母艦群を攻撃可能の距離までもって行くかです」
「そのことだ。こんな作戦は、事前に発見されれば元も子もなくなる。アメリカの軍艦だけではない。第三国の商戦に見つかってもおしまいだ。まあ、潜水艦でも何十カイリか前方に出して、何か見たならば、微勢力送信で知らせる手もあるだろう。攻撃時刻であるが自分は、真昼間がいいと思う。攻撃の成果を確実にあるうことが第一であるからだ。敵に企図を察知せられたるならば、それが黎明であろうが、夜間であろうが、致命的は反撃を受けるに間違いない。要するにだ。作戦を成功させるための第一の要件は、機密保持だ。その点、十分に気をつけて、研究してくれ」』(源田實著「真珠湾作戦回顧録」文春文庫 一九九八年)
源田が聞いた真珠湾攻撃の計画であり、戻った源田は早速に自室で検討をはじめた。自室でやらねければ機密など守れないからだ。一週間後、源田は二つの案を作成して、第十一航空艦隊司令部を訪れ、大西少将に提出した。大西少将はその案をもとに山本長官に攻撃案を提出したようであるが、その詳細は残されていない。
源田が考えていたことは、機密保持をどうするかと、真珠湾に至るまでの道程だった。三つの航路が考えられたが、第一には、南方航路である。
この航路は、当時日本の委託統治領だったマーシャル群島からハワイに向かうもので、その距離は約二〇〇〇カイリであり、航路も短く、海面も穏やかで、航海に関する限り問題はない。視界も良好だが、反面発見される可能性は大である。
第二の航路は北方航路である。
この航路は実際採用された航路であるが、アリューシャン列島の南に沿って東行し、真珠湾のほぼ真北からまっすぐに南下するものである。冬期の北太平洋は、商船もこの海面を避けて、ベーリング海を通るほどの荒海である。従って、被発見の機会は極めて少ないが、無事に航海できるか大きな問題があった。別の問題として作戦行動において海軍の艦船は、西太平洋海面での邀撃作戦を想定して計画設計されており、艦船の航続力はアメリカ海軍艦船より短く、空母などの大型艦でも給油せずに往復できる艦船は少なく、加賀、翔鶴、瑞鶴ぐらいしかない。ということはどうしても洋上補給の必要があり、さらに駆逐艦にいたっては数回の補給が必要であり、荒れた北太平洋上で可能かどうか重要問題であった。
第三の航路は、第一と第二の中間地点を行く航路であり、その損得はそれぞれ半分、
と考えた。
山本長官が聯合艦隊主席参謀である黒島亀人大佐にも真珠湾攻撃の作戦研究を命じたのもこの頃だと思われ、亀島主席参謀は航空参謀である佐々木彰中佐に航空攻撃の研究を検討するよう指示している。
六月頃には骨子案を作成し、軍令部に対し日米開戦ともなれば、真珠湾の奇襲作戦を採用するよう要望しているが、軍令部はあまりにも突拍子すぎる作戦で在り軍令部としては当初積極的ではなかったようである。
それは、八月になり黒島参謀が軍令部に出頭して対米英蘭作戦計画案の内示を求めたところ、真珠湾奇襲作戦の項目がなかっったことから、俄然黒島参謀がその採用を強行的に申し込んだことから、真珠湾攻撃作戦の実現が可能となった。
八月七日、黒島聯合艦隊参謀は有馬参謀を伴い軍令部に出頭し作戦計画についての連絡を行なったが、対米英蘭作戦計画案にはハワイ奇襲作戦は織り込まれていなかった。軍令部側は福留繁第一部長、富岡定俊第一課長、神重徳、三代辰吉、佐薙毅、山本祐二の各参謀であった。ハワイ作戦が入っていないことに対し、黒島参謀はその採用を強硬に申し入れた。軍令部の富岡課長と大激論になったという。
「ハワイ作戦には反対だ」
「理由を言いたまえ」
「黒島参謀、研究をした上で無理と判断した。まず作戦成否の鍵となる企図秘匿について相当の困難が見込まれる。投機的であり、大兵力を使用する関係上準備期間中の機密保持が心配である。又、ハワイまでは二週間に及ぶ航海日数を必要とし、途中敵艦船、航空機そして中立国船舶などに遭遇することも考えなくてはならぬ。敵は事前にわが空襲企図を知らざるとも国交緊迫により、厳重な飛行哨戒を行うなどの警戒措置をとっている公算も高い。従って空襲前に敵に発見され反撃を受け、これに対しこちらは強襲することとなり大きな戦果は期待できず、逆にわが損害が増大することが考えられる」
「まだそんなことを言っているのか。アメリカ相手に正面から立ち向かって勝てると思っているのか」
「わが艦艇は航続力が少ないために遠距離の作戦行動には燃料補給を行う必要がる。企図秘匿上、一般商船が使用しない航路をいくことになれば、冬季の荒れる洋上での補給は難しい。又、敵艦隊は頻繁に出入港し港内に在泊しない公算もありうる。それにもまして空襲当日の天候か不良であれば、奇襲できず、開戦を延期することもできぬ。真珠湾は水深も浅い。雷撃機の使用は困難であろう。水平爆撃もその命中率は低く、雲があれば尚更命中率は低下する。急降下爆撃では爆弾が小さく、戦艦に対し致命傷を与えること困難であろう。新造の空母二隻を追加するにせよ、十分な損害を与えることは難しいと判断せざるを得ないのだ。それより南方資源確保のためには、空母の投入が是非とも必要なのだ」
黒島参謀は引き下がらい。
「まず企図秘匿は重要である。これに万全を期するは当たり前だ。真珠湾をやるというのは投機的であり冒険だという声は認める。しかし、戦争に冒険は付き物だ。それを恐れて戦争などできぬ。聯合艦隊としは、ハワイにある米太平洋艦隊を叩いておかなければ、南方作戦など成功する見込みは薄い。南方作戦に空母が必要というが、基地航空部隊と陸軍航空兵力とで十分に補え得る。南方作戦中に米艦隊がマーシャル諸島や比島方面に来たらば、南方作戦など延期中止もあり得る。それを避けるためにも、開戦劈頭にて母艦部隊にて米艦隊を真珠湾で叩いておかなければならないのだ」
「しかしだ。冒険にも限度があるのだ。下手をすれば、聯合艦隊は開戦早々に大打撃を受けるかも知れぬのだぞ」
「まあまあ、黒島参謀も富岡君もそう熱くならずに、真珠湾の件は一つずつ問題点を潰していけば良いではないか」
と福留部長が割って入りその場を抑えたが、その後軍令部で検討することになった。
ようやく真珠湾攻撃の計画が一歩前進したのである。
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