第一章 真珠湾攻撃

第一話 トラトラトラ

 淵田美津雄中佐率いる第一次攻撃隊百八十三機は真珠湾目指して、堂々たる編隊を組んで進んでいた。世界中で空母からこれほどの大編隊で発進して攻撃に向かうのはまだどの国もなし得ていなかった。機動部隊の名の登場である。それは動く航空基地要塞であった。それも目指す相手は真珠湾に在泊する米太平洋艦隊主力であった。まだ誰もが戦艦第一主義であり、空母から発進する航空機が戦艦群を撃沈撃破することはほぼ不可能と信じていたのである。

 その神話なるものを打ち破ったのは、南雲中将率いる空母六隻からなる機動部隊の航空機であった。


 淵田中佐はのちに手記の中で、攻撃直前の様子を赤裸々に記している。

『午前一時四十五分、旗艦赤城上空からオハフ島に一路機種を向けた。総指揮官の直後には、その直卒する水平爆撃隊四十九機が続いた。その右、五百米ほど離れ、高度差二百米を下げて、村田少佐の指揮する雷撃隊四十機、また総指揮官機の左には同じく五百米の距離をもって、高橋少佐の指揮する五十一機の降下爆撃隊、高度差二百米を上げて随伴する。板谷少佐の指揮する制空隊四十三機は、これらの編隊の上空五百米にあって、四周を警戒しながら、護衛していく。高度二千米あたりは、密雲がたれこめていた。編隊群は次第に高度を上げ僅かな雲の切れ目をぬいつつ雲上にでてその姿を海上から遮蔽した。やがて東の空がほのぼのと明るみ始める。真黒に見えていた脚下の雲が、次第々々に白みをおびてくる。空がコバルト色に光り始めた。太陽が東の空に昇った。もえるような真紅。真白な雲海のまわりは、黄金色にふちどられてゆく。

 時計は午前三時を示していた。発進してから一時間半、もうそろそろオアフ島だが、前方は相かわらず、ばくばくたる雲また雲で、つき出た山影らしいものもない。

 目をこらして、じっと前方をみつめていると、突然、脚下の雲の薄い切れ目から、白く泡立っている一線が目に入った。

 海岸線だ。

「松崎大尉、下を見ろ、海岸線のようだ」

「ハーイ、海岸です」

 私はすばやくオアフ島の航空図を引っ張出して、地形を判定した。間違いなく機はオアフ島の北端、カークポイントの上空に達したのである。

「松崎大尉、今から右に変針して海岸に沿いながら、島の西側を回れ」

「ハーイ、右に変針します」

 総指揮官機は大きくバンクして、グーッと右に変針した。これに続いて後続の編隊群もオアフ島の西側へ迂回し始めた。

「松崎大尉」

 また私は伝声管で操縦者を呼んだ。

「ハーイ」

「左の方オハフ島の上空をよく見張れ。敵の戦闘機が現れるかも知れない」

 海岸線のほかは、まだ地上は見えない。しかし、そろそろ展開下令の時機となっている。

「松崎大尉、偵察機からまだなんともいってこないが、どうやら奇襲でゆけそうだな」

「ハア、奇襲ができそうに思います」

「ヨーシ、では展開を下令するぞ。水平爆撃隊はこのまま西側を回って行けばいいんだ」

「ハーイ」

 私は信号拳銃をとりあげると、機外へ向けて発砲した。合竜が、黒い煙の尾を引いて流れる。時に午前七時四十分(東京時刻の午前三時十分)

 (中略)

 展開の下令を終った私は、全軍の行動を監視していたが、制空戦闘隊が、一向に行動を起しそうにないのに気がついて、制空戦闘隊の方に向けもう一度、号竜を発射した。

 今度は制空戦闘隊もすぐ了解して速度をあげると、オアフ島上空へ進出していった。

 ここで一つの錯誤が起こった。降下爆撃隊指揮官、高橋少佐が、後から放った号竜を見て、さきのと合せて二発と判断し、強襲と誤解してしまったのだ。強襲だとすると、彼の降下爆撃隊はまっさきに突撃せねばならぬ。

(中略)

 雲は次第に薄らぎ、切れ間が多くなってきた。近づくに従って、真珠湾の上空はカラリと晴れている。やがてオアフ島北西の谷を通して真珠湾の全景が見えてきた。

「隊長、真珠湾が見えます」

 松崎大尉のはずんだ声が聞こえてきた。

 私はジッと目をこらした。

いる!いる!

 フォード島をとりまいて、籠マストの戦艦が見える。私は静かに双眼鏡をとって注視した。数えてみた。まさに八隻だ。

「水木兵曹、総飛行機あてに発信だ。全軍突撃せよ」

 双眼鏡を目にしたまま、伝声管に口を当てて強く叫んだ。水木兵曹の指が、電鍵をたたく。簡単な略語〝トトトトト〟を繰り返す。

「隊長、突撃の発信、放送終わりました」

 時に東京時刻午前三時十九分(ホノルル時刻午前七時四十九分)であった。

 (中略)

 私の直卒する水平爆撃隊は、攻撃時隔の間合をとるために、そのままオアフ島の西側を迂回して、西南のバーパース岬にさしかかった。

バーパースのポイント飛行場が左に見える。地上には一機もいない。

 このバーパース岬付近には真珠湾防衛の有力な高射砲陣地があるとの話であった。私は熱心に注意して、その発砲を見まもっていた。しかし、どこからも発砲の閃光はあがらなかった。 

 つづいて私は、真珠湾の上空と地上との模様を注視していた。上空にあるのは日本戦闘機ばかりである。まだどこにも空中戦闘の起っていそうな気配もない。地上には矢張り対空砲火の閃きは見えない。

 湾内の在泊艦は気のせいか静かにまだ眠っているように見える。耳にあててあるレシーバーのホノルル放送も、まだなんの異常も告げていない。

 奇襲は成功である。戦果はこれからだ。しかし、ここまでもってくれば、飛行隊の腕には自信がある。戦果は見とどけんでも、もう先は見えている。よし、報告だ。南雲長官も山本長官も、大本営も、一刻も早くこの報告を待っている。

「水木兵曹、甲種電波で艦隊に宛てて発信。〝我奇襲に成功せり〟いいか、電信機の状態をうんとよくして、東京へも到達するつもりでやれ」

 電鍵はたたかれた。間もなく

「隊長、先の発信、赤城了解」

 と、報告した。

 この時、午前三時二十三分。

 奇襲成功の略語は「トラ」であった。この電報は勿論旗艦赤城で中継放送した。しかし、その中継をまつまでもなく、広島湾の連合艦隊旗艦長門でも、東京の大本営でも、指揮官機の電波を直接キャッチしていた』

(雑誌丸エキストラ版二十八号、淵田美津雄著「われ真珠湾上空にあり」より)


 淵田中佐が、靖国に入ることなく生き残ったことが、この一大壮挙の姿を後世に残したことになる。

 

 真珠湾攻撃の奇襲、長い長い大東亜戦争の始まりであった。発信された「ト」連送や「トラ」連送は暗号ではなく、隠語略符号と呼ばれるものである。「ト」連送は「突撃せよ」を命じるものであり、航空攻撃において再三使用される符号であった。「トラ」連送は真珠湾攻撃以外には利用されたことはなく、それこそ「奇襲に成功」という意味合いである。

 「ト」はトツゲキの頭文字であるが、トラは何から着想されたのか、諸説憶測されたのはあるが、正式な出所は証言史料がないため、不明である。


 淵田中佐が乗っていた飛行機は九七式艦上攻撃機という紀元二五九七年に正式採用された全金属製の単葉艦上攻撃機であって、その前に使用されていた九六式は複葉であったから全く洗練された攻撃機であった。攻撃機という名称は雷撃や爆撃に使用する多目的な攻撃に利用する機であった。

 全幅一五・五一八m、全長一〇・三〇〇m、自重二二〇〇kg、栄一一型発動機、最大出力一〇〇〇馬力、最大速度二〇四ノット(高度三〇〇〇米)、巡航速度一四二ノット(高度三〇〇〇米)、実用上昇限度七六四〇米、航続力一〇二一㎞、兵装爆弾(八〇〇キロ×一もしくは二五〇キロ×二、もしくは六〇キロ×六)魚雷(九一式八〇〇キロ航空魚雷×一)機銃ルイス式七・七ミリ旋回機銃×一、九六式空三号無線機、三人乗(数値は三号型の要目)


 淵田中佐の眼前には米太平洋艦隊の戦艦群の姿があった。それはこの日のために訓練をしてきた目標の姿でもあった。

 ホノルルは午前八時前、まだ眠りから覚めたばかりの日曜日の朝であった。


 この奇襲攻撃は、ワシントン日本大使館の宣戦布告の告知が遅滞により攻撃開始後になってしまったことにより、「騙し打ち」のレッテルを貼られ、逆効果になってしまったことは計算外であったに違いないが、日本全国はその戦果に狂喜し酔いしれたことも事実である。

 戦後の研究では、時間が経つにつれ、ルーズベルト大統領の思惑通りだったのではという史料も発表されてはいるが、ルーズベルトは終戦を見ることもなく病死しているので真実は不明である。

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