十二章 4


 *



 毎日がゆっくりとすぎていく。

 あれから、ひとつきが経過した。

 今のところ、蒼嵐の存在は誰にも知られていない。大人たちは、蒼嵐がとっくに町の外へ逃亡したと考えているようだ。


 葵の家での暮らしは、“あのこと”さえなければ平穏だった。ひんぱんに求められることをガマンすれば、葵は優しい。

 だが、家から出ることは禁じられていたし、禁じられていなかったとしても、蒼嵐にはもう自由な生活はない。この世のどこにも居場所などない。


 なぜ、自分は生きているのだろうと、近ごろ、蒼嵐は考える。

 生きている目的も、希望もない。死ねない、というだけなのかもしれない。自分は死ぬこともできない弱虫なのだと、蒼嵐は思う。


 好きな女の子はわけのわからない化け物を生んで、永遠の眠りについた。親友は蒼嵐自身の手で殺した。美菜子も崇志も死んでしまった。


 大切な人は、みんな死んだ。

 この世に未練なんてないはずだ。

 それなのに自分は、男に弄ばれながら惰性だせいで生きている。


 このところ、退屈なときは、よく薔子の伯父が書いたという著書を読んでヒマをつぶしていた。著作二冊と、もう一冊は手書きの日記だった。字が達筆すぎて全文を読むことはできなかった。著作のほうも古い本なので漢字が多い。


 しかし、時間だけは持てあますほどあった。毎日、ながめているうちに、なんとなく異空様について書かれている内容が理解できた。


 若いころ、薔子の伯父の知之ともゆきは、民俗学の研究のために、アマゾンの奥地へむかった。そこで不思議な少女が発見されたと聞いたからだ。


 その少女は現地の人々が誰も理解できない言語を話し、当時の文化を何も知らず、まるで原始人のような生活を習慣にしていた。


 イゾラドだ。


 ただの一度も文明とまじわったことのない、未開の部族のことを、現地の人々はそう呼んでいる。アマゾンの奥地には、まだそうした部族が多数あると言う。


 だが、それらの部族は少なくとも大勢の仲間とともに暮らしているが、少女はたった一人、森のまんなかで血みどろになってふるえているところを発見された。ひどくおびえていて、誰のことも信用しなかった。


 だが、どういうわけか、薔子の伯父にだけ、少女は心をひらいた。少女の話を根気よく聞き続けたせいかもしれない。


 知之はやがて、研究のために少女を日本につれ帰った。そのころには、少女の言葉のいくばくかは理解できるようになっていた。


 おそらくだが、少女の仲間は部族どうしの戦闘にやぶれ、彼女以外のすべての人が皆殺しにされた。巫女の彼女だけは仲間に守られて、森のなかへ逃がれることができた。その仲間も傷ついて、途中で死亡した。


 問題は彼女たちの部族が信仰していた神だ。知之が仮に異空様と呼ぶことにしたそれは、邪神として周囲の部族に恐れられていたのではないかと推測できる。そのために部族の根絶やしという憂きめにもあった。


 少女の信仰について、知之は古代の宗教によくある自然を神格化したものか、先祖霊のようなものだろうと考えていた。


 それにしても、少女をつれてきてからというもの、黒縄手村のなかで信じられないような僥倖ぎょうこうが続いた。村民は少女の不思議な力のおかげだと喜んだ。


 少女にはふつうの人にはない力があった。未来のことを夢で見たり、夢のなかで過去に干渉することができた。また、故人の霊を呼ぶことができた。ほかにも、たくさんのことができた。失せ物を見つけたり、ウソを見ぬいた。


 村人はしだいに少女に傾倒していった。それだけならいいが、少女の神を自分たちも信仰するようになった。


 知之はそのことについて、何かしら不安をいだいていた。悪いことが起こるような気がしたと記されている。


 そして、ある日、それは起こった。

 少女がみずからの体を依代よりしろにして、彼女の神をこの世に呼びだしたのだ。


 それが、異空様だった。


 村にはさらなる幸運が舞い降りたが、代償も必要になった。

 十五年に一度の祭り。

 少女は自分の神への生贄を求めた。


 生贄をさしだすことで、村は未来永劫、つつがなく栄えるという予言に、村人たちは我を忘れた。我さきに少女とその神のもたらす幸運にありつこうと争っていた村人たちは、いつしか理性を失っていた。


 祭りは行われた。

 たしかに村は栄えた。


 しかし、その十五年後、惨劇はとつぜん起こった。替え子が人間とは思えない姿になって、村人を襲った。どうにか退治することはできたが、替え子が成長する前に殺さなければならないことを、村人は知った。


 知之はこんな恐ろしいものを野放しにすべきではないと主張した。しかし、誰も聞く耳を持たなかった。異空様の霊験あらたかな力に、村人たちはすっかり目がくらんでいた。


 以来、六十年、その悪習は続いているというわけだ。


 その夜、蒼嵐は夢を見た。

 原始の生活をする肌の黒い人々の夢を。

 アマゾンというより、アフリカの風景のように見えた。密林ではなく広大な草原が広がっている。

 天空から、ひとすじの光が落ちてきた。長い尾をひく光が大地に落ちて、そのなかから異形の神は現れた。人々は太古の昔から、連綿とその神を信じ続けた。


 そんな夢を。


 蒼嵐は心配だった。

 いや、考えることが怖かった。

 なぜ、自分は今になっても夢を見るのか。

 それが示唆しさするある事実から、目をそむけていた。


 替え子は、まだ生きているのではないかという事実から……。

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