十二章 3


 *



 朝方に、蒼嵐は夢を見た。

 夢……だったのだろうか?


 蒼嵐は児童公園のなかに立っていた。

 往人を殺した、あの公園だ。

 雪はまだ降っていない。

 蒼嵐が立ち去った直後のようだ。


(ごめんよ。往人。おれが信じればよかったんだね。往人がいれば、こんなことにはならなかった。いつも守ってくれてたから。往人を信じられなかったおれへの、これは罰なんだ)


 見つめていると、往人の死体が起きあがった。両手を地面について、うなだれている。


 蒼嵐は往人に謝りたくて近づいていった。

 往人のかたわらにしゃがみ、のぞきこんで、ギョッとする。


 往人の目が赤い。


「往人……」


 往人の皮膚の下で何かがうごめいている。

 半透明の皮膚から透けるように。

 ジュクジュクと蠢動しゅんどうするイモムシのような何か。


 とつぜん、それが往人の顔をつきやぶって、とびだしてきた。

 皮膚をやぶった瞬間、それはイソギンチャクのようにさきの割れた触手になる。ポコポコと、いくつもとびだしてくる。左目の眼球を押しだすように出てきた触手は、ひときわ赤い。


 蒼嵐は悲鳴をあげて、うしろにすわりこんだ。

 またたくまに、往人の姿は変容していく。それは蝶の羽化にも似ている。ただし、蝶のように美しい変化ではない。おぞましい、正気を保つのが難しいような姿へと変わっていく。


 全身からイソギンチャクのような触手が生えた半透明の人型の何か。その背中から肉の羽が伸びる。メキメキとイヤな音を立て、往人を侵食する。


 異空様だ。

 あの洞窟で、薔子の腹から出てきたもの。


「薔子は巫女だったんだよ」と、往人は言った。

 その声は往人のものだが、話している途中でガラガラと割れて、こわれた楽器のようになっていく。


「前の巫女が薔子と同じ方法で、自分の体から異空様を生んだんだ。でも、前の巫女が死んだときに、異空様の本体はこの世界からいなくなった。

 だから、替え子と異空様のつながりも年々、おとろえていた。このまま百年も経てば、異空様の影響はすっかりこの地から消えていただろう。

 前の巫女の魂が、それを望まなかった。おれたちは、あの場所に呼ばれたんだ。新たな巫女となりうる者を必要としていた。

 薔子が異空様を生んだ。薔子の肉体は仮死状態で眠っている。もう二度と目ざめることはないが、薔子が生き続けるかぎり、異空様はこの世に在り続ける。ただし、存在のしかたが違うんだ。人の世に、人として現れることはできない。本体はあの洞窟の暗闇のなかから出ていくことができないんだ」


 巫女……おそらく、それは祠のなかにおさめられていたアルビノの少女のことだろう。あのミイラには、たしかに服の下から首のつけねまで大きく裂けた傷あとのようなものがあった。


「人間にとっては、そのほうが都合がいい。そこに存在するだけで幸運をもたらすんだから。でも、それじゃフェアじゃないだろ? 異空様だって知的生命体だから、ずっと暗闇のなかに閉じこめられてるだけじゃ退屈なんだ。外に出たいんだよ。そのための肉体として要求されるのが、替え子なんだ。替え子の体内にひそみ、意識を共有することで、生きていることを楽しむんだ」


 往人の姿は、どんどん大きくなる。

 どんどん、どんどん、どこまでも。

 巨大化しながら、ますます化け物じみた姿になり、小山のような高みから蒼嵐を見おろす。


 往人だとわかる箇所は、全身のなかで、もう右目しか残っていなかった。その右目も、見ているうちに、もこりととびだした赤い触手に埋まってしまう。


 蒼嵐はなすすべなく見つめていた。

 逃げようとすら思わない。

 逃げたってムダだという諦観だけがある。


 下アゴだろうか?

 口があったとおぼしい場所が、地面につきそうなほど大きくひらいて、たれさがってくる。

 小さな牙がビッシリ生えた喉。

 真っ赤な喉の奥は、どこか遠い宇宙にでも通じているのだろうか? 遥かな深遠に銀河系のようなキラキラと光る渦巻きが見えた。


(このまま飲みこまれて、宇宙の塵になるのかな?)


 それでもいいと蒼嵐は思った。


「……おれが、ゆるせないんだよね? いいよ。往人になら、食べられても」


 すると、ふいに怪物の膨張が止まった。

 全身をブルブルふるわせていたが、しだいに体の揺れが激しくなる。触手とぶあついゼリーのような皮膚におおわれた頭部から、ゴボッと表面が剥離はくりした。下から往人の顔が半分、現れる。


「……そら」

「往人がおれを恨むのは、とうぜんだよ。往人は、おれを守ろうとしてくれたのに」


 ボタ。ボタ……。

 ゼリーのかたまりが落ちてくる。


「おれは……恨んでなんかないよ。そら」

「往人……」

「だって、おまえは、おれの一番、大好きな人だから」


 とびだしていた触手が体の内部にひっこむ。ゼリーが剥がれおち、なかから往人がぬけだしてきた。眼鏡だけは、どこかへ落としてしまっていたが、以前のままの往人だ。


「そら。おれの心臓を食べてくれよ。おれは、おまえのなかで、おまえを守るから」


 いつのまにか、往人は地面によこたわっていた。眠るように微笑んでいる。しかし、それはもう冷たい死体だ。


 やらないといけない。

 往人の最期の願いだ。


 蒼嵐は往人のそばに落ちた包丁をとりあげた。

 往人の心臓をとりだすために……。


 蒼嵐は往人と一つになった。

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