十二章 2


 数分歩くと、葵の家が見えてきた。

 葵の家は蒼嵐の実家のななめむかいだ。すぐそばなので、実家を外からながめることができた。ふつうに明かりがついている。とくにあわただしいようすもなく、いつもの日常がくりかえされているようだ。


 その明かりを見たとき、蒼嵐の胸はきしんだ。

 蒼嵐がこんなに苦しんでいるのに、家族は蒼嵐がいなくなったことなど、なんの痛手とも思わず、ふだんどおりの暮らしを続けている。


 最初から居場所などなかったのだ。


 なぜ自分は最後の最後に、親友の往人ではなく、この家族を選んでしまったのだろう?


 わかっていたはずだ。家族が……両親が、蒼嵐のことなど、なんとも思っていないと。愛情のかけらも有していないのだと。


 蒼嵐が選ぶべきは、往人のほうだった。

 たとえ往人が替え子だとしても、蒼嵐に見せた友情だけは本物だ。往人の真心を信じるべきだったのだ。


 この手で往人を殺してから、まだものの三十分もたっていないのに、すでに蒼嵐には後悔の思いしかなかった。


 葵に背中を押されて、家のなかに入った。

 家内は暗い。家のなかに誰もいないように静かだ。


 あれ、おじさんやおばさんはどうしたんだろうと考えて、蒼嵐は思いだした。


 葵の家はひとつきほど前、連続殺人犯に襲われて、葵以外の全員を殺されている。葵はたまたま職場の同僚と飲んで帰りが遅くなり、凶行をまぬがれた。


「うちに隠れていれば、よその人に見つかることはないよ。そのかわり、うちからは出られないけどね。さ、風呂に入って、あったまればいい。そのあいだに、飯、作るから」


 葵は蒼嵐を玄関に入れると、すぐに内からカギをかけた。

 葵の自宅は比較的モダンな建物で、玄関も重い鉄の扉だ。このあたりに多い日本家屋より防音性も高いだろう。たしかに、一度なかへ入ってしまえば、外から見つかる可能性は低い。


 風呂場につれていかれて、一人にされると、この前、往人と二人で入浴したときのことを思いだす。何もかもが往人の思い出につながって、ツラい。シャワーを浴びると、水滴にまじって熱いものが頬を伝いおちた。


 浴室を出ると着替えが用意してあった。葵が少年のころに着ていたもののようだ。

 それを着てキッチンへ行くと、ハンバーグが作られていた。形がいびつで、見ためはおいしそうではなかったが、食べるとうまかった。


「悪いね。料理は最近しだしたから、ぜんぜんヘタなんだ。そのうち、もっと上手になるから」


 もっとさきのことなんて、蒼嵐には関係ないことのように思えた。このさき、どうしていいのかなんて、まったくわからない。しかし、それでも少しは思考力がもどってきた。


「あの……葵さんは、なんで、おれに親切にしてくれるの? 生贄は見つけたら、すぐに殺さなきゃいけないんでしょ?」


 葵は大学を卒業したあと、黒縄手町の役場に勤めている。あの緊急警報を放送した役場だ。葵が生贄や祭りについて知らないわけがない。


 葵は自分も少し焦げめのついたハンバーグをおかずにして白飯をかきこみながら言う。


「君たちの会話を聞いてたんだ。替え子は往人くんだったんだろ? なら、君を殺す必要はないじゃないか。

 でも、町の人は念のため、生贄を全員、殺そうとするだろうな。替え子が死んだかどうかは時間が経過して、町から異空様の影響がなくなったと判断できてからでないと、確信が持てないからな。

 まあ、二、三ヶ月もたてばわかるよ。替え子がいなくなれば、町から幸運が逃げていく。レア鉱石の鉱山が枯渇こかつしたり、温泉が止まったり、会社が倒産したり、そんなことが続く。それまで、君はこのうちに隠れていればいい」

「ありがとう……ございます」


「他人行儀だなぁ。昔はいっしょにサッカーしたじゃないか。前みたいに、葵にいちゃんって呼べばいいよ」

「うん」


 やっと、すべて終わったのだ。

 つらかったけど、替え子もいなくなったし、数ヶ月後には、いつもどおりの生活にもどれる——


 蒼嵐はそう信じていた。

 葵の親切に心から感謝した。

 しかし、そんなに世の中は甘くないのだと、まもなく思い知ることになる。


 蒼嵐は以前、葵の両親が寝室にしていたという部屋に布団を敷かれて眠った。疲労のせいで熟睡していた。


 真夜中、寝苦しさと鈍い痛みで目がさめた。

 まぶたをあけると、真っ暗な部屋のなかで、黒いものが自分におおいかぶさっている。体が重い。


 最初は霊的なものかと思った。

 これまで、さんざん怪異に出会ってきたから、そう思うのは、とうぜんだろう。

 だが、霊的なものにしては腹部の痛みがしだいに増してくる。眠りの感覚がさめていくと、するどい痛みに体が引き裂かれそうな気がした。


 蒼嵐が重いものを押しのけようとしてあばれると、それは言った。


「かくまってやってるんだから、これくらい、いいだろ」——と。


 ようやく、蒼嵐は悟った。

 いかに自分が甘ちゃんで、往人を頼っていたのかを。


「いい子にしてれば、可愛がってやるよ」


 苦痛と汚辱の夜を、蒼嵐はただ耐えるしかなかった。

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