十二章
十二章 1
「どうしたんだよ? そら。早く行こう。夜のうちに遠くの町まで行かないと」
血をあびた顔で、往人は蒼嵐の手をひっぱる。片手には血のしたたる包丁をにぎったままだ。
なんだか、往人は楽しそうにさえ見えた。
自分の両親を殺してきたばっかりには見えない。
蒼嵐はとつぜん、あの感覚を思いおこした。
顔は往人だけど、そのなかみは蒼嵐の知らない別の誰かにすりかわってしまったかのような、あの感覚。
「……どうして? 往人は平気なの? 人を殺すこと、なんとも思わないの?」
往人の顔がこわばった。
とたんに不機嫌になる。
「なんで、今、そんなこと言うんだよ?」
「だって……なんか、怖いよ。往人が往人じゃなくなったみたいで」
往人は唇をかんで、蒼嵐を見る。
あたりは急速に闇が深まる。
公園のすみにある街灯が、往人の姿をななめうしろから照らし、濃い陰影をつけていた。
「おれは、おれだよ。言ったろ? おれがおまえを守ってやるんだって」
「でも……」
あるいは家族を殺すことに迷いがあったから、蒼嵐はそんなことを言ってしまったのかもしれない。
ほんとうはわかっていた。
往人が自分の感情を殺して、非情になってくれていることは。
往人の犠牲は蒼嵐のためだと。
つらくないわけがないのだと。
なぜ、言ってしまったのだろうか?
「だって……往人、楽しんでるみたいだよ?」
往人は答えなかった。
しばらく、両手をにぎりしめ、ぶるぶると、こぶしをふるわせていた。怒らせたと、蒼嵐は思った。
すると、往人は急に蒼嵐に背をむけ、走りだそうとした。
蒼嵐はあせった。往人に見すてられたら、どうしていいかわからない。
「待ってよ。往人。どこ行くんだよ?」
「おまえの家族を殺してくるんだ」
蒼嵐はあわてて、往人の腕をつかむ。
「待って。往人! 往人が替え子なんじゃないの? ねえ、そうなんだろ?」
往人は驚愕の表情で、蒼嵐をかえりみる。
ひきつって、青ざめた顔。
図星だったのだと、蒼嵐は思った。
「……おまえ、なに言ってるんだよ?」と、往人はごまかそうとする。
「だって、おかしいよ。もう残ってる生贄は、おれと往人だけだ。二人のうち、どっちかが替え子なんだ。おれじゃないなら、往人しかいないじゃないか!」
往人は悲しそうな顔で、蒼嵐を見た。
「おまえ、本気で、それ言ってんの?」
「おれだって信じたくない。けど、そうとしか……考えられない。ほかに説明のしようがない」
往人の顔から、すべての表情が消えた。
なんだか透きとおるような目をして、蒼嵐を見つめる。
「おまえが、それでいいんなら、いいよ」
「え?」
往人はにぎりしめていた包丁をひとふりした。
単に血をぬぐって、ベルトにさそうとしたのかもしれない。
ただ、そのとき、蒼嵐は恐怖を感じた。殺されると思った。
やっぱり、往人が替え子だったんだ。おれのことも殺すんだ——と。
無意識に数歩、あとずさった。尻もちをついて、ころんだとき、ポケットから飛びだしナイフが落ちた。
往人の手の包丁とナイフを見くらべているうちに、蒼嵐はそれをひろいあげていた。
往人はさけようとすれば、さけられたはずだと、のちになって思う。でもこのときは夢中だった。じっと立ちつくす往人の胸に、ナイフがすべりこむ。
まるで、往人はそれを待っているかのようだった。
往人の胸にとびこんだ蒼嵐を、ぎゅっと抱きしめてきた。
「……バカだなぁ。これじゃ、もう……守れないだろ? おまえのこと……」
往人はそう言ってほほえんだ。
泣き笑いのような笑みだった。
*
動かなくなった往人をぼうぜんと見おろしていた。
往人はなぜ、あっさりと蒼嵐に殺されたのだろうか?
もともと剣道もしていたし、蒼嵐はためらっていた。往人が本気なら、いくらでもよけられたはずなのに。
ぼんやりしていると、背後から肩をたたかれた。
ビクリとして、ふりかえる。
「やあ、ひさしぶり」
そこに立っていたのは、
「こんなところ、誰かに見つかったらヤバイよ。うちにおいで。かくまってあげるから」
蒼嵐は言われるままについていった。
往人がいなくなったことへの喪失感は大きかった。思考が完全に停止してしまって、何も考えられない。
往人の遺体をそこに残して、蒼嵐はとぼとぼ歩いていく。
暗い街路。
ひとけのない街。
あ、雪だと蒼嵐は思った。
最初の夜に降ったあと、雪はたいして積もりもせずにやんでしまったけど、今夜はまた冷えてきた。ひらりと、ひとひら舞ったと思うと、みるみる降りだした。
雪の葬礼。
往人の死化粧だ。
朝までには白く染めあげる。
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