十三章

十三章 1



「ただいま」と言って、葵が帰ってくる。

 コンビニのビニール袋を手渡してきながら、キスされる。舌の這う感触がたまらなくイヤだ。


 でも、その感覚にも慣れてきた。

 蒼嵐の心は死んでいく。


「今日は肉じゃがを作ろう。君の好きそうなマンガも買ってきたよ」

「……」


 毎日が憂うつで、ただ時だけが流れていく。

 めったにしゃべらなくなった蒼嵐におかまいなしで、葵は外のことを話した。


「町の人は君の捜索を打ちきるみたいだね。と言っても、外には出られないよ。大勢のマスコミが押しかけてるからね。住人が百名以上も急死したり、行方不明になったんだ。みんな病死や事故死とごまかされてはいるが、マスコミがさわがないわけがないよ」


 それについては、すでにテレビニュースで見たから知っている。だが、葵はマスコミの知らない内情も承知だから、情報源としては便利だ。


「往人くんの四十九日もすんだ。急性心不全ってことになってるみたいだ。おかしいね。遺体に心臓はなかったのに」

「……」


 葵の言葉が蒼嵐を不安にさせる。

 なるべく考えまいと抑えつけていることを思いださせる。


(往人の遺体から、心臓が……)


 葵によると、ナイフで切りさかれたようになっていて、心臓がえぐりだされていたそうだ。

 あの夢のなかで、蒼嵐がそうしたように。


(でも、あれは夢だ。現実じゃなかった)


 おれのせいじゃない。そうだ。絶対に違う——


 思いつつも、ふとしたはずみで、その考えは蒼嵐の心の奥底の淀みから浮上する。


(往人は替え子じゃなかったんじゃ……?)


 だとしたら、残る一人は蒼嵐しかいない。蒼嵐が替え子ということだ。そんなわけはないと否定するものの、それなら納得がいく。

 往人が蒼嵐のために死のうとしたことの説明がつくのだ。


 往人は蒼嵐を替え子だと思っていた。最後に二人が残ったときに、そう確信したのだろう。

 だからこそ、早く町から逃げだそうと必死になった。町にいれば確実に殺されるからだ。


 蒼嵐が「往人が替え子だろ」と言ったときには、こう曲解した。蒼嵐が自分の代わりに往人に死んでもらいたがっていると。

「蒼嵐がそれでいいなら、いいよ」と言ったのは、そういう意味だった。


 おれが、替え子。おれが……。

 そのために親友を殺して……。


 その思考は蒼嵐を狂わせる。


 だから、だろうか?

 近ごろ、毎晩、同じ夢を見る。

 嘉田楽茉里奈と家族が、シリアルキラーに殺されたときの夢だ。

 浴室の脱衣所に、茉里奈の弟を追いかけていくときの夢。


 夢のなかで、殺人犯と同化した蒼嵐は、鏡を前にして立ちすくむ。メデューサを正視して石化してしまった英雄のように、鏡面の輝きは彼を呪縛した。


 動けない。

 そこに映る自分を見たくない。

 見たくないのに、何かが命じる。



 ——見ろ。鏡を見ろ!



 その叫びに屈しそうになる自分におののく。

 蛇ににらまれたカエルだ。

 彼は恐怖にかられ、鏡をたたきわる。

 蜘蛛の巣のような放射状の線を描き、鏡は粉々にヒビわれた。


 そこで、目がさめる。

 そんな日が続いていた。


 きっと、あの鏡に映る顔が自分のものではないかということを、おれは恐れているんだ——蒼嵐はそう思っていた。


 その証拠に、近ごろ、殺人鬼はかげをひそめている。

 あれ以来、町で連続殺人事件は起こっていない。


 蒼嵐がどこへも出かけなくなったからではないか?


 自分でも気づいてなかったが、寝ているあいだにでも、自分の内に入りこんだ異空様に体をのっとられていたんだと考えれば、すべてのつじつまがあう。


 絶望と悲嘆のなかであえいでいた。


 このまま、月日がたてば、自分は悪霊になる。

 異空様に完全に体を支配されて、化け物になって人を殺し続ける。いつかは自分も殺される。


 それだけの人生。


 だが、その日々に、葵の思いがけない言葉が一石を投じる。


「今日、職場で戸籍のデータ、バックアップしてたんだけど。君の弟の大輝くんって、養子なんだね。似てない兄弟だなとは思ってたけど、意外だった」


 いつものように夕方になって帰ってきた葵が、晩ごはんを食べながら、とつぜん、そう言いだした。


「養子? 大輝が?」

「うん」


 それは蒼嵐にとって、まさに晴天の霹靂へきれきだった。両親からはひとことも、そんな事実を聞いたことがない。大輝も自分が養子だとは思ってもいないだろう。両親は砂糖菓子をなめるように、大輝に甘い。その大輝が養子だなんて?


 すると、葵が残酷にも言った。

「君のほうが養子なら、おどろかなかったんだけどな」


 蒼嵐は葵を見つめた。

 葵と目があう。

 葵はちょっと意地悪く口辺をあげる。


「あれ? 傷ついた?」


 蒼嵐は首をふった。

 傷ついたわけじゃない。ほんとうに、そうだからだ。蒼嵐だって、そう思う。


 自分の実の子どもを生贄に捧げておいて、養子を可愛がる。

 そんなことが、はたしてできるものだろうか?

 どこまでいったって、けっきょくは自分の血をわけた子どもが可愛い。それは人間の本能ではないだろうか?


「ほんとに、大輝が養子だった? 僕じゃなくて?」

「まあ、戸籍上はそうだね」


 蒼嵐の思考はひどく混乱した。

 まとまりのない考えが浮かんでは消える。


 大輝は養子。僕は替え子。

 でも、小さいころから大輝はいつも僕より背が高くて、僕はクラスのなかでも小さかった。六月生まれのはずなのに、早生まれの子たちと同じくらい。成績だって、つねに大輝のほうがよかった。何をするのも、蒼嵐より上手に大輝のほうがこなした。まるで、大輝のほうが兄であるかのように。


 それに、大輝が養子なら、子どものころ言われていたアレはなんなのだろうか?


 親戚や学校の先生や、クラスの子のお母さんなど、みんなが大輝を見て言った。


「大輝くんは、ほんとにお父さんにそっくりね」と。


 そんなはずはないのに。

 大輝が養子なら、父とはなんの関係もない。


 たまたまだろうか?

 たまたま、ぐうぜん、養子縁組した子どもが、その家の家族に容姿が似ている……もちろん、まったくありえないことではないのだが。

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