十章 3
*
なんだか妙な夢だった。夢だということはわかっている。
なのに、すべてが現実のことのように鮮明だ。
替え子との共感で見る夢は、いつもそうだが、今日の夢はとくに、そんな感じがする。
まるで、夢を通して、意識が現実の世界へまぎれこんでいるかのような。
そこは初めて見る屋敷だった。
とても大きく立派な日本家屋。広い庭には蔵も建っている。蔵の近くに離れがあった。
蒼嵐は周囲をかこむ塀の内側から、その建物を見ていたが、そこへ行かなければならない気がした。
ザリザリと玉砂利をふんで庭をよこぎり、長い渡りろうかのある母屋にあがりこむ。
夜のようだ。無人の家のように静まりかえっている。
いくつもならぶ襖を無視していくと、うっすらと明かりのもれる部屋があった。
ガラリと襖をあけると、子ども部屋だった。畳の部屋に勉強机と赤いランドセルが置かれている。
敷かれた布団のなかには女の子がよこたわっていた。キョロリと大きな目で、蒼嵐を見あげている。
「どうして明かりをつけてるの?」
蒼嵐がたずねると、
「オバケが怖いの」と、女の子は言った。
「オバケが出るの?」
女の子はうなずき、蒼嵐を指さした。
ふわりと浮遊感に包まれた。
昼間になっていた。
でも、同じ屋敷だ。子ども部屋で白い画用紙にお絵描きをしている女の子がいた。さっきより少し成長している。小学四年生くらいだろうか。
あれ、この子、見たことあるなと蒼嵐は思った。
もしかしたら見ることじたいは初めてかもしれないが、知った人のような気がした。誰かに似ている。
「お絵描き、好きなの?」
画用紙をのぞきこむと、女の子はイヤそうな顔をした。
「まだヘタだから、見ないで。練習してるの」
「じゃあ、うまくなったら見せてね」
女の子がうなずいた。
また浮遊感があって、蒼嵐は中学校の校舎のなかにいた。
放課後のようだ。校庭で野球部や陸上部が走りこんでいる。
吹奏楽部の練習の音も聞こえる。ちょっとヘタクソなクラリネットは一年生だろうか?
西日が校庭の桜の葉をキラキラ輝かせている。
校舎も金色に染まり、影さえも優しい色あい。
ああ、この日を知っている。
以前にも経験した。
蒼嵐は泣きそうな心地になった。
この夢には悲哀が溶けている。
これはもうすぎた時だ。今はもう、どこにもいない人が、そこに在ったころの世界……。
急いで一階までかけおり、蒼嵐は美術室へ行った。
美術室は音楽室のとなりだ。
あの日はなぜ、放課後に美術室の前を通ったんだっけ?
そう。たしか、美術の時間のあと、美術室にスケッチブックを忘れてしまって、とりに行ったんだ。
そのとき、そこにいた。
真剣な顔でキャンバスにむかってる君が……。
美術室の前に立つと、蒼嵐は呼吸をととのえた。
カラリとドアをあけると、西日のさす美術室に、薔子が一人ですわっていた。栗色の髪が夕日にそまって、紅色にさえ見える。透きとおって、妖精のようだった。
「……しょ……いや、柊木さん」
薔子は小学ではいつもクラスが違っていた。中学一年になって初めていっしょのクラスになった。
薔子がクラスのなかで誰かと仲よくしているところは、めったに見なかった。と言って、女子たちからシカトされてるとか、イジメを受けているとかではないようだ。いつも、一人で本を読んでいる、空気のような存在。
「蓮池くん。どうかした?」
名前をおぼえていてくれたのだと知って、おどろいた。
話したいことはいろいろあるが、蒼嵐は何も言えなかった。
半年後、君は自分の体をハサミでチョキチョキして死んでしまうんだよ、なんて、とても言えない。
「……いや、あの、スケッチブック忘れて。とりにきた」
蒼嵐は机の上になげっぱなしになったスケッチブックをとりあげようとした。あせっていたので、パラパラとページがめくれた。蒼嵐のスケッチブックではなかった。なかに描かれた絵が、あまりにもうますぎる。
それは、二年A組みのクラスのみんなの似顔絵だった。一人ずつ、ていねいに鉛筆で描かれている。ラフスケッチのようだが、それを見たとき、蒼嵐は感動した。
ふだん、教室のなかでクラスメイトなんて存在しないように、一人、超然としている薔子が、みんなをこんなふうに見ているなんて思いもしなかった。
それまでも可愛いな、綺麗な子だなとは思っていたが、本気で好きになったのは、この瞬間だったのだと、今になって思う。
「あ、ごめん。これ、見るつもりじゃ……」
薔子は、チラリと蒼嵐をふりかえるものの、とがめることなく、またキャンバスにむかう。
薔子が怒ったのだろうと蒼嵐は考えた。
しかし、自分のスケッチブックを探して出ていこうとする蒼嵐に、薔子は静かな声で告げた。
「いいのよ。うまくなったら見せてあげるって約束したから」
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