十章 4
「え?」
蒼嵐は悟った。
これは蒼嵐たちが二年になったばかりの五月初めのころのことだ。あのとき、現実の時間の流れのなかでは、薔子の言っている意味がわからなかったが、今ならわかる。
さっきから夢に見ていた少女は、薔子の幼いころだった。
そして、薔子は夢のなかで会った蒼嵐の言葉を、じっさいにおぼえていたのだ。
「君は予知夢を見ると言ってたね? 君は未来の僕を見ていたの?」
「あなたが、過去のわたしを見ているんじゃないの?」
「おれが?」
「そう。あなたが。ねえ、蓮池くん。この絵、まだ途中だけど、完成したら、あなたに見てほしい。わたしたちの一番、幸せな時間をここに閉じこめたいから」
「薔子ちゃん……」
薔子のその絵は、秋の美術展に出品されて、中学生の部で金賞になった。『幸福の時間』というタイトルだった。
クラスのみんなが思い思いのかっこうで話したり、ふざけあったり、スマホでゲームをしたり、マンガを読んだり、窓の外をのぞいたりする、日常的な休み時間の風景が描かれていた。みんなが、とても幸せそうに笑っていた。
この時間が永遠に続いていくと思っていた景色。
こうあることがあたりまえだった日々。
もう二度と、もどってはこない。
薔子は知っていたのだ。
自分が死ぬことを。
どこで、どんなふうに、いつ死ぬのか。
だからこそ、ただの中学生の平凡な毎日の一場面を、こんなにも愛おしく描くことができたのだ。自分の生きた証しを、そこに刻みつけるように。
薔子は微笑した。
「わたし、あなたたちと仲よくなることが怖かった。いつか、その日が来ることはわかっていたけど。あなたたちのことを死神のように感じていた。三人で行動するそのとき、わたしの日常は終わるから。でも今は、よかったなと思うの。あなたたちと逃亡した数日間、わたしは楽しかったよ」
これは夢だ。
ほんとに、薔子がこんなふうに言ってくれたわけじゃない。
でも、涙がこぼれた。
「薔子ちゃん。好きだったよ。君のこと」
「ありがとう」
薔子の答えは聞けなかった。
それでも、心残りはなかった。
薔子が笑っていたから。
何かとても大切なものを受けとった気がした。
*
とつぜん、けたたましいサイレンの音で、蒼嵐はとびおきた。
あたりはすっかり明るくなっていた。
正確な時間はわからないが、朝の早い時間ではない。少なくとも九時以降だろう。
中学校の保健室のベッド。
まわりのベッドで同じように、往人と崇志がはねおきてきた。
「なんだ? あれ」
往人がつぶやき、音源を探すように窓の外をながめる。
音は外から聞こえる。学校の放送室のスピーカーの音を最大にしたら、こんな感じになるだろうか。
やがて、サイレンに続いて放送があった。
「町民のみなさん。黒縄手町役場から非常事態宣言です。悪霊による被害が発生しました。自警団が壊滅したため、各自、警戒をおこたらず、つねに生贄を処分できるよう厳重警戒してください。みなさんの家族を守るのはみなさんです。町民の善処を期待します」
よく響く女の声が無機質に異常な警告をする。
二、三度、同じ内容がくりかえされたのち、サイレンはやんだ。
不安になって、蒼嵐は往人と崇志を交互に見た。
「悪霊って……アレのことかな? 薔子ちゃんのなかから出てきた……」
崇志が考えながら首をふる。
「いや、悪霊というのは、凶暴化した替え子や生贄のことだ。たぶん、朝になって誰かが神社の死体を見つけたんだ。だから、安平のことをさしてるんだろうな。町のヤツらは安平がやったとは思ってないのかもしれない」
「なら、安心だね。安平くんはもう動かないし」
蒼嵐は安堵して、もう一度、ベッドに入ろうとした。が、往人が神妙な顔をして、変なことを言いだした。
「おれ、思ったんだけどさ。前に、ここに来たとき、拓也の霊が出てきたろ? あれ、おかしくないか? だって、拓也の心臓は美菜子さんが食ったんだ。ほんとなら、拓也の死体は動かないはずだ」
「あれ? そう言えば、そうだね」
これにも、崇志が思案しながら答える。
「生贄が持つ能力って、けっきょくは替え子を通して、異空様の力の一部を借りてるんだ。どんな力を得るかには個人差がある。おまえらのうち、どっちかが、霊を実体化させる力を持ってるんじゃないか?」
なるほど。それなら納得がいく。
蒼嵐は思わず、顔をしかめる。
「イヤな能力。おれ、そんなのいらない」
「そうかな? 霊を思いどおり使役できるんなら便利じゃないか」
「拓也くん、おれたちを襲ってきたよ?」
「襲ってはこなかった。おれたちに近づいてきて、ちょっとしゃべっただけだ」
「まあ、そうだけど」
「あのときは勘違いしたけど、拓也はおれたちに会いたかっただけかも」
「そっか……」
往人はメガネをかけ、スマホをながめた。
「九時半だ。朝飯にしよう」
「うん」
往人たちが運んできた缶詰やレトルト食品を食べながら、蒼嵐は考えていた。霊を実体化させる能力というのは、蒼嵐ではなく、往人の力ではないかと。
なぜなら、今朝の夢で、薔子は言っていた。
蒼嵐のほうが過去を見ているんだと。
あれは、どんな意味なのだろうか?
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