九章 3


 あまりの異様さに射すくめられ、釘づけになってしまっていた。悲鳴すら出ない。完全に硬直していた。蒼嵐も。往人も。


 きっと、アレの全身が薔子のなかから出てきたら、おれや往人は殺されるんだろうな。それとも、食われて一体になるんだろうか? なんだかわからないけど、とんでもないめにあって、悲惨な結末が待っているんだ……。


 本能的に、そうと悟った。

 すると、そのとき、蒼嵐は背後から肩をつかまれた。


「何してる。逃げろ!」


 崇志だ。

 ひきつった顔だが、蒼嵐たちのように魂まで凍りついてはいない。


「ほら、おまえも! しっかりするんだ!」

 蒼嵐と往人の手を片方ずつつかんで、崇志が走りだす。


 蒼嵐の脳髄のうずいは強烈な瘴気しょうきに焼かれたように、マヒしていた。頭のなかが真っ白で、何も考えられない。手をひかれるままにつれられていく。


 暗闇のなかを走り続けた。

 往人が懐中電灯をにぎり続けていたので、かろうじて必要最小限の光源だけは確保されていた。


「こっちだ! 早く、早く!」


 まるで崇志は洞窟内部の構造を知っているかのようだ。道が枝わかれしても迷うことなく進んでいく。

 走っていくうちに、往人は驚愕からさめたようだった。崇志と二人で、蒼嵐をひっぱっていく。


 三人の背後の闇から、ヒタヒタと何かが追いかけてくる足音が聞こえた。とても遠いどこかから、ほんのかすかにだが、その音だけが奇妙に耳につく。この世のものとは異なる波長なのかもしれない。


「ほら、ここだ。行け!」


 崇志が指さすさきに、木の格子戸があった。外気と月光がそこから入りこんでいる。


 蒼嵐のマヒした頭も、ようやく働き始める。


「ここは? おれたちが入ってきた穴じゃないね」

「あの穴をのぼってあがることはできない。外に見張りがいるかもしれないから、気をつけろよ」


 格子戸は一メートル四方。

 外から鍵でもかけられているのか、手をかけても動かない。


かんぬきがかかってるんだ」と、往人が言った。

「そら、これ持ってて」


 往人は懐中電灯を蒼嵐に渡してこようとするのだが、にぎった手がひらかない。恐怖で硬直してしまって、指が張りついているのだ。

 その指を蒼嵐が一本ずつひらかせた。

 往人は数回、手をとじたりひらいたりしてから、ベルトにはさんだ包丁をぬく。格子戸のスキマに刃を押しこんでノコギリのように引く。木くずがパラパラとこぼれる。


 崇志は背後をするどくながめていたが、「どけ」と片手で往人をどかせ、肩を格子戸に押しあてる。すると、バキッといい音がして、格子戸がむこうがわにあいた。


 腰をかがめて格子戸をくぐりぬける。

 そこがどこなのか、外へ出てわかった。


 周囲は小高い丘の森だ。

 そして、たったいま蒼嵐たちが出てきたのは祠だ。

 黒縄手神社の裏手にある、異空様が祀られているという祠なのだ。


「神社はマズイよ。安平の親父が警察を呼んでた。みんなが、おれたちを探しまわってるはず」と、往人がささやく。

 しかし、境内に人の気配は感じられない。


 蒼嵐はあたりを見まわしながら言った。

「あれから何時間もたってるし、みんな、ほかを探しに行ったのかな?」


 往人が首をかしげる。

「かもしれないけど、なんか……変な匂いしないか?」

「どんな?」

「血なまぐさいっていうか……」


 たしかに風にのって漂う匂いに、鉄サビのような臭気がまざっている。この数日で、すっかりおなじみになった匂いだ。


「おまえら、そんなこと言ってる場合じゃないぞ。見張りがいないのは好都合だ。いいから逃げるんだ」


 そう言って、崇志が蒼嵐たちの背中を押す。

 往人が迷惑そうな目で、崇志を見あげた。


「おれたちを殺して心臓を食う気なんだろ? ついてくんなよ」


 崇志が精悍な顔をゆがめる。


「おれは美菜子のために強くなりたかった。美菜子がいなくなったんだ。もう必要ない」

「じゃあ、なんで、美菜子さんの心臓を食ったんだ?」

「生贄の心臓を食って、おれたちは替え子と感覚を共有した。死体を放置しておくと、あやつられる」

「おれたちを追ってきただろ?」

「美菜子がおまえらを守ってやれって言ったからだ。替え子が死んで、今回の祭りが終わるまで、おまえたちが生きのびれるように力を貸す」


 そう言われると、筋は通っている。


 美菜子が死ぬ直前に見た幻影を、蒼嵐は思いだしていた。


 美菜子と崇志は前回の祭りを生きのびたけれど、それは彼らにとって、ひじょうに過酷な日々だったのだろう。あのとき死んでいたほうがマシだったと思うほどに。


 だからこそ、中学時代の二人のあわい思い出が、ほかの何にも代えがたく大切だったのだ。

 その思い出のために命を賭けようとした崇志の気持ちはわからなくもない。


 美菜子と崇志の桜吹雪の幻影を思い起こしたことで、ふいに蒼嵐は涙がこぼれた。薔子の死を思いだしたのだ。


「薔子ちゃん。死んだ……? 夢じゃなかったのかな? ねえ、あんなこと、ほんとに起こるわけないよ。きっと夢だったんだよね? だったら、探しに行かないと。薔子ちゃん、あのなかで迷子になってるよ」


 蒼嵐が祠の格子戸のほうへ歩きだそうとすると、往人が手をとって、ひきとめる。怖いような厳しい顔で告げた。


「薔子は死んだ。夢じゃない」


 往人の低い声音は、それが事実であることを痛いほど物語っていた。ズシリと往人の言葉が腹に落ちてくる。

 蒼嵐は涙を流した。泣くことしかできなかった。


「好き……だったのに。まだ話したいことも、たくさんあったのに。告白……する勇気はなかったけど、でも、でも……死ぬなんて思ってなかった!」


 ほんの数日前まで、ふつうの中学生だったのに。

 どこで、どうまちがって、こんなことになったのか。


 声をあげて泣く蒼嵐を、往人が手をひいて歩いていく。

 崇志が先頭に立って、神社に続く道を進む。

 ザワザワとうなる葉ずれの音が、蒼嵐の泣き声をかきけす。


 黒縄手神社の社が見えても無人だった。

 ほんとうにもう、蒼嵐たちの捜索が終わってしまったからだろうか? しかし、生贄の痕跡が見つかったにしては、ずいぶん、あきらめが早いようだ。


 その謎は神社の石段の上から下を見おろしたときに解けた。

 数えきれないほどの人の死体が、そこにころがっていた。

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