八章 4


 *



 気がつくと、蒼嵐は暗闇のなかによこたわっていた。

 心配そうな顔で、往人が見おろしている。


「大丈夫か? そら。頭でも打ったのか?」

「ええと……」


 頭が重い。意識もぼんやりする。

 なんだか、夢を見ていた気がするが……。


「なんでもないよ。それより、ここは?」


 暗さになれると、あたりのようすが、うっすらと見える。

 両側が岩壁になっている。そのさきに広がるのは、どこまで続くかもわからない暗い穴……洞窟だ。天然の鍾乳洞が口をひらいていた。


 いったい、どのくらいの広さのある空間なのか、わからない。

 遠くを見渡すには頭上から入りこむ光は、あまりにもかすかだ。暗闇の濃さが漠然ととした広さを語るばかりだ。


 蒼嵐は寒気を感じた。

 それはじっさいに気温が低いというより、以前、聞いた薔子の言葉のせいだ。



 ——わたしたち、三人で洞くつのなかを歩いているの。それで、そのあと、わたし、死んでしまうと思う。



 不吉な予言が脳裏をよぎる。


 薔子さん、来ちゃダメだ——と言おうとしたが、とっくに薔子はあの穴からすべりおりてきていた。


「薔子さん……」


 蒼嵐の顔を見ても、薔子は意外としっかりして、うなずいた。


「こんなこともあるかと思って、家から懐中電灯、持ってきたのよ」

 そう言って、デイパックのなかから懐中電灯をとりだした。それも、二本だ。


「気がきくな」と言ったのは往人だ。

 一方を受けとって、スイッチを入れる。


 しかし、ひとすじの光は洞窟の広大さを実感させただけだった。ここの闇を切り裂くには、あまりにも光量がとぼしい。わずかに自分たちのまわりだけが照らされた。


 それでも、光がないよりはマシだ。

 いちおう、でっぱった石筍せきじゅんや頭上からたれさがった鍾乳石にぶつからないくらいの役には立つ。


「ここ、マズイよ。外、出たほうがよくない? こんなに広いんじゃ、迷って外に出られなくなるよ」


 蒼嵐は今すぐにも、この場所から逃げだしたかった。

 自分たちは、まだ同じ場所で立ち話をしているだけだ。今なら、すぐに出ていけば、薔子におよぶ危険を回避できるかもしれない。


 それに、迷いそうなほど複雑な内部構造であることも事実だ。懐中電灯が照らす範囲でも、行く手がいくつにも枝わかれしている。


 よくテレビ番組で誰も入ったことのない洞窟に侵入していくところを見るが、そういう人たちは、かなりの重装備をしていたし、万端の準備をしてから挑戦していた。


 装備と言えるものは懐中電灯二本だけなんていう、こんな軽装で入っていくことができるほど、手軽な洞窟でないことは、しろうとの蒼嵐が見ただけでもわかる。


「崇志さえ、どっかに行ってくれたらいいんだ。ここで、しばらく待って、やりすごそう」


 往人は懐中電灯を消して、その場にすわりこんだ。

 蒼嵐もマネして、そばに腰をおろす。


 だが、その直後だ。

 頭上から、声が降ってきた。


「そこか。ガキども」


 見あげると、蒼嵐たちのすべりこんできた穴から黒い顔がのぞいている。暗くて判別はつかないが、声で崇志だとわかった。


 蒼嵐たちはいっせいに立ちあがり、奥へむかって走りだす。

 地面がツルツルして走りにくい。

 足元で小さな石筍がポキリと折れた。

 こういうのって一センチ育つのに何年もかかるんだっけと、一瞬、脳裏に浮かんで消えた。


「待てよ! 逃げるなって、バカ!」


 崇志の声は聞こえたが、がむしゃらに走る。

 捕まれば殺されるとわかっているのに、逃げないわけにはいかない。もう迷うとか言っていられなかった。


 ちょっと進んだところで立ちどまると、背後から、ザザザッと、誰かがあの穴をすべりおりてくる音がした。

 崇志が追ってきたのだ。


 殺される恐怖と未知の暗闇の恐怖が相乗効果をもたらして、心臓がやたらとバクバク早鐘を打つ。


 薔子が死ぬかもしれないと言ったのは、こういうことなのだろうか?

 この暗闇のなかで、自分たちは一人ずつ、崇志の手によって殺されていくのだろうか?

 殺されて、心臓をえぐりだされて……。


 何度も岩にひっかかって、ころんだ。

 恐怖のせいで痛みは感じなかった。

 とにかく逃げないと、遠くへ行かないと。それだけの思いで夢中になって走り続けた。


「はぐれるなよ。そら。まだ走れるか?」

「な……なんとか。でも、息が……」


 息が苦しい。

 さんざん走りまわって、肺が破裂しそうだ。


「ねえ、待って」

 とつぜん、薔子が呼びとめる。

「さっきから、追ってくる足音が聞こえない」


 たしかに、そうだ。

 どうにか、とりあえず、まいたようだ。


「ここ、どのへんだろう?」

 蒼嵐は不安になって、つぶやいた。


 薔子が答える。

「待って。もしかしたら、あの地図——」

「地図?」

「伯父さんの本のなかに地図みたいなのがあったの」


 薔子は体で隠しながら、懐中電灯を点灯した。


 そのとたん、蒼嵐は驚愕きょうがくした。

 天然の洞窟だと思っていたのに、ここはいったい、なんなのだろう?


 まわり三方向を岩壁にかこまれた、小さな部屋のようになっている。水にぬれた壁が懐中電灯の光を反射して、ナメクジの張ったあとのように、うっすらときらめく。


 なんだか、つい最近、ナメクジで嫌な思いをしたような気がするが……しかし、そんなことを考えている場合ではない。


 そこは、祭壇のようだった。

 階段状にかさなった岩の板が壁の一方にあり、そこに祠があった。高さ一メートルの祠。まちがいようもなく人工物だ。


「あっ、ここじゃない?」


 デイパックからとりだした本を懐中電灯の光でのぞきこみながら、薔子はあるページを指さした。


 そこに地図が描かれている。鍾乳洞の詳細な構造図だ。

 そして、地図のほぼ中央に家のようなマークがある。おそらく、この祠の場所を示している。


「なんか字が書いてあるね」


 蒼嵐は文字を目で追った。

 御座所——と書かれている。


「ござしょ、かな?」


 問いかけると、往人が口をひらく。

「貴人のいる場所のことだよ」

「貴人……」

「祭壇みたいだ。つまり、神さまの居場所ってことじゃないか?」

「神さま……」


 イヤな予感がする。


 薔子が低く、ささやいた。

 聞きたくない、決定的な一言を。


「それって、異空様のことじゃない?」

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