八章 3


 *



 今夜も雨。

 また化け物どもを殺しに行く。


 旧黒縄手村地区のなかでも一番の旧家が、今夜のターゲットだ。町の指導者的な存在であり、伝統にうるさい。祭りでも率先して重要な役割をになっていた。


 自宅はおそらく、旧黒縄手地区のなかでも一、二を争う豪邸だ。

 所有の裏山から金鉱山が発見されて、ほんの十五年ほどのあいだだが、そこそこの量が採掘された。そのあいだに数代さきの子孫の暮らしまで潤す貯えができたはず。

 今は採掘されなくなった裏山を背景に、端から端まで歩けば一キロはありそうな黒板塀が続いていた。

 住みこみの使用人が何人もいるし、広い庭には防犯用の犬が放されている。ふつうに忍びこむのは、ひじょうに難しい。


 しかし、その点はとっくに考えてある。

 彼は塀の外までたどりつくと、フクロウの鳴きマネをする。

 しばらくすると、裏門が内側からひらく。

 一学年上の嘉田楽かたら茉里奈まりなが顔をのぞかせる。


「待ってたよ。お父さんもお母さんも、もう寝てるから」

「うん」


 この日のために好きでもないのに好きだと言って、つきあってるふりをしてきた。


 もちろん、茉里奈の両親が口うるさいから、つきあってることは誰にもナイショにしようと言って、周囲には隠してきた。おたがいのスマホにも電話番号すら登録していないから、ここから足がつくことは、まずない。


「こっち、来て」

「うん」


 茉里奈の案内で安全に家のなかへ入った。

 さすがに豪邸だ。バカみたいに、だだっ広い。

 旅館みたいに中庭の池がライトアップされていた。


「わたしの部屋、こっちなんだ。こういうのドキドキするね」

「そうだね」


 長いろうかの途中で、茉里奈はとつぜん、両腕を彼の肩にまわしてきた。その瞳は幸せそうにうるんでキラキラ輝いている。吐き気のする光景だ。化け物のくせに、本気で彼に愛されていると信じている。


 キスをしてほしいのだと理解したが、彼はわざと、じらすように笑った。


「ここじゃダメだよ。誰かに見つかったら、おれ、茉里奈のお父さんに殺されるよ」

「だって、嬉しくて、待てないんだもん。ねえ? 大好きだよ?」

「うん。おれも。早く、茉里奈の部屋に行こう」


 じっと彼を見つめたまま、茉里奈は動かない。

 しかたないので、彼は茉里奈の口に唇を押しあてた。茉里奈の舌がかるく彼の唇を右から左になでていった。


 ナメクジが這うようなネバネバした感触。

 彼は衝動的になぐりそうになるのを、ぐっとこらえる。


 彼が歯をくいしばっていると、茉里奈はあきらめて離れた。

 くるりと背をむける。


 その瞬間に、彼はポケットから、とびだしナイフを出した。刃を起こすと、茉里奈の背中に襲いかかる。

 ぼんのくぼにナイフをつきたてた。

 ガクンとマリオネットみたいにカクカクした動きで、茉里奈は倒れた。


「キモイんだよ。化け物のぶんざいで」


 ダラダラと血のあふれてくる傷口の穴を見ながら、彼はせせら笑った。


 そのあとはお楽しみの処刑執行だ。

 彼は思う存分にナイフをふるった。


 茉里奈の幼い弟を追いかけて脱衣所に入ったとき、彼は異様な感覚におちいった。これまで味わったことのない感覚だ。


 ガラス戸をあけた瞬間に、そこが風呂場へ続く脱衣所だということはわかった。陶器の流し台の上に大きな鏡がついている。

 なぜかはわからないのだが、むしょうに、その鏡をのぞきこみたくなった。



 ——見ろ。鏡を見ろ。おまえの正体をつきとめてやる。見ろ。たのむ。見てくれ! 鏡を……鏡を見ろッ!



 耳の奥で呪いのような言葉が聞こえる。


(なんだ、これ? おれのなかに“誰か”がいる?)


 彼は混乱して、あとずさった。

 そのすきに四歳児は脱衣所を通りぬけ、その奥にあるドアのなかへ入りこんだ。


 あわてて追いかけたが、そこはトイレだった。なかからカチリと鍵がかけられる。


「こら! 出てこい、ガキ! 出てこいって言ってんだろうがァーッ!」


 さんざん扉をけったり叩いたりしたが、金に飽かした頑丈な建てつけはビクともしない。


 彼は幼児一人にふりまわされて、ぶちギレている自分にイライラした。それに、こうしているあいだにも、あの声が絶えず頭のなかに響く。



 ——見ろ! 鏡を見ろよ! この殺人鬼!



 その声はしだいに抗えない力を増してくる。

 ダメだ。このまま、ここにいたら、声の力に屈してしまう。

 直感で、この声に従ってはいけないとわかった。

 これに従えば、自分の負けなのだと。


 彼は獣のようなうなり声をあげながら後退した。

 しかたない。どうせ、四歳児の証言なんて、警察も重視しないだろう。


 ほかの家族は全員、処刑ずみだ。

 今夜は、ここでひきあげるしかない。


 彼は舌打ちをついて、闇にまぎれた。

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