八章 2


 *



「美菜子さん、おれたちを助けてくれた。やっぱり、悪い人じゃなかったんだよ」


 山道を歩きながら、蒼嵐はやっと話すだけの気力を回復した。

 往人はだまっている。

 かわりに、薔子が応えた。


「美菜子さんにとって、わたしたちは子どもみたいなものだったのかもね。あの人、最後に、ふつうの奥さんになりたかったって言ってたじゃない。きっと、子どもがいたらこんなふうだったかもって、思ったんだよ」

「そうだね」


 すると、往人が話題を変えてくる。


「ところで、薔子の伯父さんが書いた本って、見つかったのか?」

「それなら、ちゃんと持ってきた。全部はムリだから、二冊、えらんで。あと、伯父さんの書いた手記があった。手書きで走り書きされてるから読みにくいんだけど……」

「それ、今、どこにあんの?」

「もちろん、このなか」


 薔子はデイパックを示す。


「なんか参考になりそうなこと書いてあった?」

「わかんないよ。じっくり見てるヒマなんかなかったし」

「そりゃそうか」


 薔子は心配そうに周囲を見まわす。

「ねえ、迷ってないよね?」


 往人は嘆息した。

「ていうか、最初から道なんかわかってないよ。でも、月があっちに出てるし、てことは北がそっちだろ? 西にむかっていけば、一番近いルートでとなり町に行けるはず」


「ねえ、待って。さっきは逃げるしかなかったから、ここまで来たけど、なんか変じゃない? 美菜子さんや、あの崇志って人も、なんで、わたしたちの居場所がわかったのかな?」


 薔子に言われて、蒼嵐も疑問に思った。

 たしかに、そうだ。ずっと追いかけてきたにしては、変なタイミングだった。


 薔子はその疑念をさらにつきつめる。


「つながってるからじゃない? わたしたちと、あの人たち、替え子を通して、意識がつながってるからじゃないの? それに、あの人たちの力、人間離れしてる。替え子と共感しなくなったら、あの腕力もなくなるんじゃない?」


 そう言われてみれば、そうだ。


 蒼嵐も不安になって、つぶやいた。

「それって……まだ、替え子が生きてるってことだよね?」


 往人も難しい顔つきになる。

「そうだよな……」

「安平くんと島沢くんは替え子じゃなかったんだよ」

「まあ、島沢はすぐに殺されてたみたいだから、確実に違うだろうな」

「安平くんだって……」


 だとしたら、往人は殺す必要のない友人を手にかけたことになる。蒼嵐は往人の顔色をうかがって途中で言葉を飲んだ。

 往人はそのことについて、悪いと思っているのかどうか、表情からは読みとれない。


 数分したのち、往人は何かを言いかけた。

 だが、それを発する前に、ハッとして呼吸を止める。


「ど、どうしたの? 往人」

「しッ。誰か、こっちに来る」

「えっ?」


 耳をすますと、往人の言うとおり、足音が聞こえた。

 ふりかえると、木々のあいだを縫うように黒い影が走りよってくる。その速さだけで相手が誰かわかった。


「ヤベ。崇志だ。逃げよう」


 そう言って、往人が走りだしたとたんだ。

 わッと声をあげて、往人の姿が地面に吸いこまれる。


「往人? 往人!」


 見ると、草むらにポッカリと黒い穴があいている。

 蒼嵐は穴のなかをのぞいた。


「往人? 大丈夫? ケガはない?」


 すると、返事があった。

「ケガはない。でも、けっこう深いよ。自力であがれないかも」

「どうしたらいいの? 手、届くかな?」


 蒼嵐は穴のなかにむかって手を伸ばした。が、薔子が背後をかえりみて、せっぱつまった声を出す。


「ねえ、あの人、来るよ」


 ふりかえると、崇志の姿はさっきよりずっと、こっちに近づいてきている。だが、こっちには、まだ気づいていない。やはり、替え子を通しての共感性で、GPSのように大ざっぱな位置を把握しているだけのようだ。


 このまま山のなかをさまよいながら逃げても、必ず追いつかれる。それに、往人を穴からひきあげることができない。


 蒼嵐はあらためて穴をのぞいた。

 往人のつむじが一メートルくらい下に見えている。穴はじゃっかんナナメになっているので、すべり台のように、すべりおりることができそうだ。これなら、ラクに下へ行ける。


「薔子さん、見つかる前に、ここに逃げこもう」


 薔子は迷っているようだった。

 逡巡しゅんじゅんしているが、蒼嵐はかまわず穴のなかにとびこんだ。

 壁にそって、するすると落ちていく。

 痛みもないし怖くもない。


 それにしても、ずいぶん長くはないだろうか?

 あの穴は、こんなに深かったっけ?


 しだいに意識が薄れてきた。

 抗えない力にひきこまれていく……。

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