七章 4


 蒼嵐も立ちあがる。

 安平の顔が、ちょうど蒼嵐たちの目線の高さになった。

 明かりとりか通風のための窓なのだろう。ガラスはなく、木の板の引き戸がついているだけだ。


 往人は続ける。

「替え子さえ死ねば、おれたちはただの子どもだもんな。親の選択としては、それまで自分の子どもを隠すって手段もあるんだな。そうだよな。誰だって自分の子どもは可愛いもんな。ふつうはさ」と言って、皮肉に笑い、

「でも、それだと、いつまでも替え子が死なないことだってあるだろ? 最後に自分の子どもが残ってみたら、そいつが替え子だったってこともあるわけで」


「おれは違う。替え子じゃない」と、安平は反論した。


「なんで違うって断言できるんだ? そんなの自分ではわからないだろ?」

「だって、夢で見たし。あの人殺しが替え子だろ? おまえらは見ねぇの?」

「見たよ。でも、そんなの口だけなら、なんとでも言える」

「じゃあ、どうしろって言うんだよ?」

「うん。じつはさ——」


 往人は声をひそめ、例の指さきをチョイチョイする仕草で、もっと近づくように、安平に指示をする。安平は窓わくに耳をむけて頭を近づける。


 その瞬間だった。

 往人はにぎりしめた包丁を窓のスキマからすべりこませ、安平の耳に突き刺した。刃がズブズブと安平の耳の穴に入りこみ、血がこぼれだしてくる。


「往人!」


 蒼嵐の叫びと、安平の悲鳴がかさなる。

 グリグリと何度も包丁をひねってから、往人は刃をぬいた。ドタッと重い音を立てて、安平が倒れる。もう声も息吹も聞こえない。


「逃げよう。そら」

 往人が蒼嵐の手をひいて走りだす。


「往人。なんで……安平は……」

「脳ミソかきまわしてやったから、もう死んでるよ」

「安平は替え子じゃないかもしれなかっただろ?」

「あいつの親父は替え子が殺されるまで、ほかの生贄を順番に殺していくつもりだったんだ。あいつを生かすために、おれやおまえは殺されるってことだ。こうするしかなかったんだよ」


 そうかもしれないが、安平に罪はなかった。蒼嵐たちに危害をおよぼすつもりもなかった。

 あっさりと殺してしまえる往人が少し怖い。


 暗闇のなかを走っていくと、社務所近くの安平の自宅から、男がとびだしてきた。安平の父親だ。安平の悲鳴が、ここまで届いたに違いない。

 蒼嵐と往人は木のかげに入りこみ、安平の父が物置へ走っていくのを見送った。


「そういえば、安平くんの心臓はそのままだね。きっと動きだすよ」

「あいつが替え子だったら、何も起こらない」

「そっか」


 替え子が死体をあやつるのだから、替え子自身が死ねば死体は動かない。


「もし、安平の死体が追ってきたら、あいつは替え子じゃなかったってことだ」


 もしかして、往人はそこまで考えて安平を殺したのだろうか?


「鳥居だ」

 往人が指さす。

 かけよると、すでに、そこに薔子が来て待っていた。蒼嵐たちを見て、物陰からとびだしてくる。


「よかった。ぶじだったんだね」

 蒼嵐が言うと、薔子は笑った。

「あなたたちもね」


 しかし、安心はしていられなかった。

 パトカーのサイレンが、こっちに近づいてきている。

 おそらく、安平の父親が安平の死体を見つけて警察を呼んだのだ。息子を殺した者が生贄の誰かだと、察しをつけたのだろう。


「マズイよ。どうする?」

「森づたいに裏手にまわろう。そうだ。島沢のうちが神社の裏にあったんじゃないか?」

「そうだったね」


 裏手と言っても、島沢の自宅は山のなかにあった。黒縄手神社があるのは丘と言ってもいいくらい小さな山だが、その裏手からもっと標高の高い山なみに続いている。

 島沢の自宅はその山のふもとにある。


「あと怪しいのは島沢だ。あいつの安否をたしかめたら、ついでに山を越えて黒縄手町から逃げだそう」

 往人は、そう言った。


 そんなに標高の高い山じゃない。

 小学校のときに遠足でのぼったこともある。しかし、冬山を正しい道も知らず、磁石も地図もなく越せるかと言えば不安がつのる。


 とはいえ、ほかに方法もなさそうだ。

 神社には続々と大人が集まってくる。懐中電灯の光が森の外をかこんでいる。


 息が続くかぎり走った。


 神社の森の裏手には、まだあまり大勢の人は集まっていなかった。数人ずつが懐中電灯を手に周囲の道を見まわっている。しかし、巡回のあいまをぬって、路地にまぎれこむことができた。


 黒縄手町のなかとは言っても、あまり土地勘のない場所だ。

 何度か迷った。

 藍色の空に黒くよこたわる山なみが目印だ。

 ふもとに近づくにつれて人家はへっていく。


「たしか、このあたりじゃなかったか?」


 往人が言って、あたりを見まわす。

 山がすぐ近くに見えている。舗装された道と電柱以外は人工物が見あたらない。

 自分たちの歩いているのが山なのか、畑なのか、私有地なのかもよくわからない。


 暗闇を歩きまわっていると、雑木林のなかで、とつぜん、それを見つけた。


 巨大な杉の木に逆さまに吊られた死体だ。

 ロープで足首をむすばれ、木の枝に吊るされている。高さがたりないため、死体の首は地面について直角に折れまがっていた。


 そして、心臓には木の杭が打ちこまれていた。

 形相が変わりはてているものの、どうにか個人を特定できる。


「島沢だ……」


 蒼嵐はすぐに目をそらした。

 とても見ていられない。

 だが、往人は死体のそばによって、いろいろ確認している。


「死んでから、何日かたってると思う。めちゃくちゃ冷たいし、血がかたまって黒くなってる。それに、死体の上、蟻が歩いてる」


 冬でなければ、とっくに山の獣に荒らされていただろう。


「島沢くんは“初日”に殺されたみたいね」と、薔子が言った。


 蒼嵐はほんの少しだが、ほっとした。

「じゃあ、もう替え子は死んだんだね? もう、おれたち、殺されないよね?」


 すると、暗闇から声が聞こえててきた。

「それは、どうかな?」


 樹木のあいだから、人影が現れる。

 月明かりがななめに男の顔を照らした。

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