六章 4


 美菜子は真剣な顔になった。


「ねえ、お願い。替え子を殺すことを少しだけ待ってくれない? 町の連中が生贄を殺してるってことは、次の祭りが近いのよ。たぶん、日取りはもう決まってる。それは異空様との契約だから、替え子や生贄の始末ができていようと、できなかろうと、とりおこなうしかない。そのときまで、替え子を生かしておいてくれない?」


「美菜子さん。何をするつもりなの?」

「わたしを苦しめたヤツらを皆殺しにしてやるのよ」


 そうではないかと思っていた。


「それ、どうしてもやらないといけないこと?」

「あなたもわかるわよ。十五年たったらね」

「おれ、美菜子さんのこと嫌いじゃないよ。だから、そんなこと、してほしくない」


 美菜子は虚をつかれたように、一瞬、おしだまった。

 水割りのグラスを置くと、両腕で蒼嵐の頭をかきいだいてくる。


「ありがと。坊や」

「坊やじゃないよ」


 美菜子は答えないで、蒼嵐の頭を離すと、瞳の高さが同じ位置になる角度でのぞきこんできた。


 美菜子の目がうるんでいるように見えたのは、酔いのせいだったのだろうか? あるいは、涙……?


 美菜子の唇が、ちゅっと音をたてて、かるく蒼嵐の口をふさぐ。


「おやすみ。坊や。眠くなっちゃった」


 美菜子はよろよろしながらキッチンを出ていった。



 *



 そのあとの夢は、なんだか、よくおぼえていない。

 いつもの雪夜の夢を見た。赤ん坊の蒼嵐を抱いて走る母。まるで何かから逃げているようだ。


 別の夢も見た。

 その夢は悲鳴と血の色に満ちていた。

 矢が雨のように降り、あたりは地獄絵図そのものだ。

 誰かが泣いている。



 ——君は、誰?



 何か答えがあった。しかし、それは聞きとれなかった。

 日本語ではなかった気がする。

 一瞬、浅黒い肌の人々が狂ったように逃げまどうさまが見えた。


 目がさめると、夜が明けていた。

 今日も一日が始まる。なんとか一日、生きていられた。


 でも、そんなふうに安心したのは、つかのまだ。


 階下から声が聞こえる。

 おだやかな口調ではない。

 一方は女で、一方は男のようだ。でも、蒼嵐のとなりには、ちゃんと往人が眠っている。


(往人じゃない男が家のなかにいる!)


 つまり、それは、この隠れ家が町の男に見つかったということだ。


「往人。起きて。往人。ここが見つかったみたい。逃げないと」

 ゆすり起こすと、往人が起きてきた。


「えっ? 何?」

「下に男が来てる。見つかったんだよ」


 あわてて、往人は起きてくる。


 こんなときのために、昨夜、もしも急に逃げださなければならなくなったときのために、家のなかを物色して、必要なものは枕元に集めていた。着替えや日用品をつめた鞄。靴。武器や工具など。


 とりあえずリュックを背負い、靴をはく。土足でろうかに出た。階段のところまで言いあらそう声が聞こえている。


「いるんだろ? ガキども。出せよ」

「ダメ。もう必要ないでしょ? あなただって共鳴してるなら」

「能力には違いがあるんだ。たくさん食えば食うほど力になる」

「ダメよ。あの子たちには手出しさせない」

「ひとりじめするつもりか?」


 女の声は美菜子だ。

 美菜子が玄関口で男と口論している。

 しだいに声高になってくるので、薔子も起きだしてきて部屋から顔をのぞかせる。


「わたしたちは共同体でしょ? 協力しあえばいいじゃない。人数は多いほうがいい」

「ガキなんて、どうせ殺されるだけだ。心臓がもったいない」

「お願い。帰ってよ。崇志たかし

「どけ。美菜子。同情したのか? おまえらしくもない」


 どうやら、男は美菜子の知りあいのようだ。


 階段の手すりのすきまから下をのぞいてみる。

 美菜子と男がもみあっていた。ウェーブのかかった茶髪のイケメンで、すごく背が高い。年齢は美菜子と同じくらい。


 かすかな物音に気づいて、男はサッと蒼嵐たちを見た。

 ニヤッとイヤな笑いかたをした。


「そこか」

「逃げて!」


 男を押さえながら、美菜子が叫んだ。

「逃げて。早く——!」


 こんなにさわいだら近所の人も集まってしまう。

 往人が蒼嵐の手をつかみ、階段をかけおりた。裏口へむかって走る。薔子も追いかけてきた。


「坊やたち。がんばるのよ。どんなことをしても生きのびて」


 美菜子の声を背中で聞きながら、蒼嵐は外へとびだした。

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