四章 4


 しかし、一つだけ利点もある。視界が悪いし、ケージなど身を隠すものがたくさんあるので、もしも大人が調べに来ても、なんとか背後にまわりこんで逃げだすことができるかもしれない。


「服に匂いが移りそう」

 薔子もため息をついた。


「しかたないよ」と言って、往人は干し草の上にすわる。

 蒼嵐もそのとなりに腰をおろした。


 一人だけ、少し離れた場所にすわった薔子が、背中のデイパックをおろす。

「何か食べる? 今なら鯖の味噌煮とポテトサラダとハーブチキンがある。あとはダイエットバーとか、クッキー」


 蒼嵐は首をふった。

 この匂いのなかで何かを食べる気持ちには、とてもなれない。


 薔子がデイパックからとりだしたペットボトルの水だけ、まわし飲みした。これがふだんだったら、あこがれの薔子と間接キスだと喜んだかもしれない。が、今はそんな元気もなかった。


 暗闇のなかで、じっと時間の経過するのを待ち続けているうちに、いつしか、蒼嵐は眠っていた。


 また、あの夢を見ている。

 夢のなかで、蒼嵐は殺人犯になっていることを感じた。


 前回の最初の殺人のあと、夜になって帰ってきた家族に死体が発見された。その日のうちに殺人のあったことが世間に知られてしまった。


 もちろん、まだぜんぜん自分が疑われているようすはない。

 金品をとられていないから、警察は怨恨の線で捜査しているらしい。


 そんな情報をテレビのニュースから得た。


 家族のいるヤツは、すぐにバレて危ないな。

 次は一人暮らしのヤツを狙おう。

 それと、強盗の仕業と思わせたほうがいいかな?

 財布や通帳を盗んでおこう。


 そんなふうに考えて、彼は次のターゲットを決めた。

 小学校の近くに住む一人暮らしの老人、石田花子だ。


 石田は息子夫婦が都会に出ていて一人暮らしをしているが、家は旧家で金持ちだ。町内での影響力は少なくない。とくに、昔からの慣習をかたくなに守る連中にとっては中心となっている。早めに片づけておきたい人物だった。


 石田宅は学校の近くなので、周囲に人通りは多い。が、子どもがそのへんをウロつくことに違和感がない。彼の姿が目撃されたとしても、誰もそれを犯行とむすびつけないだろう。


「おばあちゃん。大変そうだね。荷物持ってあげようか?」

 横断歩道で声をかけて、そのまま家までついていった。


「大きなうちだね。この荷物、どこに置けばいい? キッチン? こっちでいいの?」

「はいはい。そっちでね。ありがとう。ほんと助かったよ」

「困ってることあったら、また言ってね。手伝うよ」

「もう帰るのかい? お菓子でも食べていかないかい? おいしいケーキがあるんだよ。娘が昨日、持ってきてくれたんだけどね。年寄りがそんなにたくさん、ケーキなんて食べられるもんじゃないよ」

「わあ、いいの? 嬉しいな」


 花子は彼のことをまったく疑っていない。

 年齢的なこともあるだろう。中学生が冷酷な殺人鬼だなんて、常人は考えもしない。


 それに、人に好まれる容姿のせいもある。

 この容姿に生んでくれた“親”には、ほんとうに感謝しなければならないと、彼はひそやかに笑った。


 石田花子は冷蔵庫からケーキの入った箱をとりだすために、彼に背をむけた。そのすきに、彼はそっと足音を立てずに流し台に近づき扉をあけた。包丁をつかみだす。


「さあ、どれでも好きなものを食べなさいな。何個でもね」


 嬉しそうにそう言って、箱を手にした花子がふりかえる。

 その瞬間、彼は包丁を花子の左目につきさした。

 右利きなので、対面すると、どうしても左目にあたる。


 これはマズイな、右利きだってことがバレてしまうじゃないか——


 彼はそう思い、包丁をひきぬくと、今度は右目を刺した。


 眼球のつぶれる感触に続き、その奥の脳ミソにまで刃が到達する。グリグリとかきまわしながら、彼は花子の両眼から血の涙があふれてくるのを冷静にながめた。


 これでいい。犯人の利き手を判別する要素はなくなった。


 ところが、そのとき、彼は気づいた。

 ケーキの箱がキッチンの床に落ちている。なかみを見ると、ケーキは全部つぶれていた。

 これじゃ、花子が客をケーキで、もてなそうとしたことがバレてしまう。


「まったく、次々に想定外のことが起こるなぁ」


 彼はつぶれたケーキをわしづかみにすると、それを自分の口のなかにほうりこみ、処分した。とても、うまい。高級な店の味がした。


 これでいいね。ケーキは一個も残らず食ったし、箱はゴミ箱に入れとけば、ばあさんが自分で食ったんだと思うだろ?


 彼は血とクリームでベトベトになった手を、流し台の蛇口をひねって、きれいに洗った。

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