二章 4



 夢を見ているようだ。

 夢のなかで、蒼嵐は自分ではない誰か別の人物になっていた。


 その人の目で見る世界は、すべてが蒼嵐の見るものと違っていた。

 大地は赤さび、木は奇妙にねじれ、人工物はつねに笑い声をあげていた。

 そのなかを歩く人間は怪物だった。人間の皮をかぶった化け物だ。


 この世界のすべての人が化け物だということを、その人はごく幼いころから知っていた。自分だけがほんとうの人間であることを。


 化け物たちは、さも人間らしい素ぶりをして、彼(または彼女?)を油断させようとするが、彼がだまされることはない。


 なにしろ、姿が違う。

 やつらは、みんな、とても醜い。

 ぶよぶよして、地面にひきずるほど皮がたるみ、たくさんのしわのなかに目も鼻も口も埋没している。そして、ときおり、しわのなかから大きな口や目玉が浮かびあがり、彼を見たり、話しかけてきたりする。


 いつも細かく振動する家のなかにいると、父や母だと名乗るヤツらが、物陰から彼をうかがっていた。


 知っている。

 ヤツらは彼が十五になる前に殺すつもりなのだ。

 だから、その時期をのがさないように監視しているのである。


 ただ殺されてやるものかと、彼は思った。

 殺される前に、ヤツらを皆殺しにしてやると。

 決心したのは十三のときだ。

 ほんとうに、まもなく殺されるということが肌で感じられたから。


 まず、家のなかの包丁やノコギリなどを、ひそかに集めて隠した。疑われないよう一本ずつだ。

 自分で買うと個人を特定される。だから、同級生の家に遊びに行ったときなどに、機会を見て、少しずつ集めていった。ヤツらがウッカリなくしたと思える範囲で。


 着々と準備しているということを、ヤツらは知らない。

 父や母をかたっている個体は、いつも気持ち悪い猫なで声で、彼のことを呼んだ。


「〇〇ちゃん。ご飯できましたよ。今日はおまえの大好きなハンバーグよ」


 ブクブクと水のなかで話すような変な声で言う。


「ありがとう。ハンバーグ、大好きだよ」


 と言っておくけど、ほんとは好物でもなんでもない。

 ただ、そう言っておけば、母に化けた化け物が喜ぶからだ。

 ヤツらに反抗するときまでは、可愛い子どもだと思わせておかなければならない。


 そして、今年の梅雨入りと同時に、彼は行動を起こした。

 最初の標的は一人暮らしの五十代くらいの女の化け物だ。

 五十代とわかるのは、スマホで写真を撮ったときに、そういう姿で写るからだ。彼の目に見える姿は、異様に腹のふくれた、いつものブヨブヨした脂肪のかたまりだが。


 このあたりは大昔、炭焼きの村だったらしい。

 そのせいか知らないが、今でも家に薪や炭をくべる暖炉のあるうちや、薪で火をわかす古い風呂が残っている家庭がそこそこあった。

 その手伝いをしてあげるとだまして、標的の家に自然に入りこむようになっていた。


 彼は塾へ行くときに使うリュックを背負う。


「塾、行ってくる」

「気をつけてね。夕食までには帰れる?」

「うん。たぶん」


 母っぽいものに見送られて、彼は外へ出た。

 家族に化けているヤツらは一番最後だ。そうでないと、自分が疑われる。


 旧村のなかでも外れにある標的の家まで、自転車を走らせていった。家の近くで自転車はおり、林のなかに隠しておく。


「こんにちは。奥村さん」

「あら、〇〇ちゃんじゃないの。また家の手伝いに来てくれたの?」

「薪割りするよ」

「ありがとう。助かるわ。旦那が入院してから、誰もやってくれる人がいないのよ」

「じゃあ、裏庭に行ってるよ」

「お菓子用意しておくわね」

「ありがとう」


 裏庭へ行って、薪割り用のナタを手にとる。

 これを使うことにも、かなりなれた。

 彼はナタをにぎりしめ、母屋のようすをうかがう。

 この時間、標的の息子は市内に仕事に出かけていて留守だ。家のなかには標的以外いない。


 足音をしのばせて、こっそり母屋へ帰っていく。

 標的はブクブク泡をふくような変な声で、鼻歌を歌っている。化け物のぶんざいで、楽しそうに歌うところなんかが気にくわない。


 家屋のなかに侵入しても、標的は彼に気づかない。

 彼はナタをふりかざし、標的の真うしろに立った。

 後頭部めがけて、思いきり、ふりおろす。


「ぎゃあああああーッ!」と、叫び声があがった。

 この家は町外れの一軒家だから、少々の声は周囲には聞こえない。


(死ね。化け物。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね……)


 赤い血が噴水のように、切り口から吹きだす。

 恐怖に凍りついたような顔でふりかえる標的は、目玉がふくれあがったようにとびだして、いつも以上に醜く滑稽こっけいだ。


「化け物め。化け物め。化け物め。化け物め。化け物……」


 何度も何度もナタをふるう。

 小刻みにけいれんする化け物を、彼は見おろした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る