二章 3


 道の前方に人がいた。

 父? 母? それとも拓也の父たちか?

 大人にさきまわりされたんだろうかと思い、蒼嵐は絶望した。


 が、それは大人にしては妙に小さい。黒くシルエットになってはいるが、女のように見える。

 今度こそ、薔子かもしれない!


 絶望が希望に変わり、一瞬、心がはずむ。


 そのとき、雲のあいまから月が顔をのぞかせた。

 青白い光がその人影をてらす。


 蒼嵐は目を疑った。


 今日はいろんなことがありすぎて、幻覚でも見ているんだろうか? いつのまにか自分でも知らないうちに寝てたのかな?

 そんなふうにさえ思えた。


 なぜなら、そこに立っていたのは、杉本若奈だったから……。


 ハート模様のパジャマの前面を真っ赤に染めて、青白い顔で、しかし、しっかりと自分の足で立っている。


 蒼嵐は足がすくんで動けない。


 まさか、若奈は死んでいなかったのだろうか?

 重傷ではあるものの、絶命にはいたらなかった——とか?


 若奈の母が「たしかに死んでいる」と言っていたが……。


 いや、蒼嵐自身が、この目で見た。

 心臓のある胸のあたりを何度も何度も、しつこいほどに刺されていた。あれで人間が死なないわけがない。


 たとえ、あのとき完全に息が止まっていなかったとしても、あれほどの大量の出血だ。あれから二時間は経過した今まで生きていられるはずがない。とっくに失血死しているはずだ。


 なのに、立っている。

 こちらにむかって何かを求めるように手を伸ばしながら、近づいてくる。


 ゾンビ——


 ゲームのなかでなら、ありふれた存在だが、現実にそれを目撃すると、その異常さに総身がふるえた。


(なんで? なんで、こんなものが存在するんだ? まさか、ほんとにゾンビウィルスとかバラまかれたわけじゃないだろ?)


 立ちすくんでいるうちに、若奈は手を伸ばせば届く距離にまで近づいてきた。若奈の手指が蜘蛛くもの足のようにうごめきながら、目の前に迫ってくる。


 ここで叫べば、自分がパニックにおちいってしまうことが、蒼嵐にはわかっていた。胸の奥から感情がかたまりになって、口唇のすぐ裏にまで、こみあげているから。


 若奈の指さきが、蒼嵐の眼球に突き刺さりそうなほど接近する。

 かみ殺していた悲鳴が爆発した。


「うわアアアーッ! 来るな! 来るなァー!」


 蒼嵐は夢中で包丁をふりまわした。

 目をとじて、やみくもにふっていただけなので、たいした感触はなかった。ハート模様のパジャマに少し亀裂が入っただけだったろう。


 だが、数瞬すぎて目をあけると、若奈は動かなくなっていた。

 あやつり人形のようにクタッと地面にくずれおちている。


 電池の切れたオモチャみたいだ。

 若奈の全身はゼリーのようにふるえ、立ちあがろうとしても立ちあがれないようだった。


 蒼嵐はつまさき立ちで、くずおれた若奈のよこを通りぬけた。

 細い声が背中から聞こえる。


「た……す、け、て……寒い……寒いよ」


 蒼嵐は両手で耳をふさいで、かけだした。

 しめっぽい泣き声が、ずっと、からみつくように続いていた。



 *



 中学校についたのは、何時ごろだっただろうか。

 おそらく、真夜中の四時すぎ。

 春木の家でセーターを盗んできたが、それでも寒気が骨の髄までしみこんでくる。


 旧校舎は今どき木造だ。

 表玄関や生徒の昇降口などにはカギがかかっていたが、たてつけの悪い窓がひらいたままになっているのを見つけた。


 ムリヤリ三十センチほど、こじあけて、スキマから校舎内に侵入した。とくに警報機などは仕掛けてないようだ。警備員がかけつけてくることもなかった。


 校舎のなかも暗い。真っ暗なろうかを歩いていると、あの洞くつの夢を思いだす。

 すくんでいると、どこかで、カタリと音がした。


「往人?」


 どうやら、往人はさきに到着していたようだ。

 蒼嵐は涙が出るほど感激して、音のしたほうへ走った。

 ろうかをまがると、前方を人影がよぎった。


 そのとたん、蒼嵐はすくんだ。往人じゃない。女だ。


 なんで、こんなところに女が——


 さっき見た若奈の死体を思いだしてしまう。

 まさか、死体が蒼嵐を追ってきたのだろうか?


 すくんでいるうちに、人影は暗がりにまぎれて消えた。

 気のせい……ではなかったと思うが、疲労しすぎて自分の感覚に自信がない。


 寒くて低体温症になりかけているのか、ふるえが止まらなかった。蒼嵐は一番近い教室に入っていき、そこの床にうずくまった。そのまま意識を失った。


 もしも、さっきの人影が蒼嵐を追ってきた若奈の死体だったなら、殺されるかもしれない。


(おれ、殺されるかも……ヤバイよ。寝ちゃダメだ……)


 そう考えるのだが、まぶたがあかない。

 意識が浮遊する。

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