二章 2


 *



 靴下はすぐに雪がしみこんで、グズグズになった。

 しもやけどころか凍傷になるかもしれない。


 逃げだしてきた屋敷の方向から、何度か悲鳴があがった。

 誰かが警察を呼んだらしく、サイレンの音が近づいてくる。


 蒼嵐にできることは、電柱や庭木に隠れながら、さわぎから遠ざかることだけだ。


 交番には近づきたくなかったが、人声やサイレンをさけているうちに、けっきょく、その周辺にまで来てしまった。しかたなく、いったん、神社のまわりの雑木のあいだに入りこんだ。


 拓也の血で真っ赤になった包丁をにぎりしめ、木のかげに、うずくまる。


 おびえた小動物みたいにガタガタふるえていると、近くでブーブーと音がした。心臓がちぢみあがるほどおどろいて、こわばる。誰かに見つかったのかと思った。


 が、耳をすますと、それはスマートフォンがマナーモードになっているときの振動音だ。


 近くにスマホが存在している。スマホを持った人間がいるか、スマホが落ちている、ということだ。


 蒼嵐を追っている大人が持っているなら、その音は移動するはずだ。しかし、ずっと同じ場所から聞こえる。


 蒼嵐は勇気をふりしぼって、音のするほうをのぞいてみた。背の低い柊の木のしげみのかげから、その音はする。


 とがった葉のすきまに片目を押しあてると、闇にぼんやりと浮きあがる人影が見えた。


 うっすらと雪のつもる地面に人があおむけに寝ている。

 同じクラスの高橋煌たかはしこうだ。

 だが、叫ぶような形に口を大きくあけ、目をみひらいている。


「高橋……くん?」


 立ちあがって、のぞきこんだ蒼嵐は煌の胸に、がっぽりあいた穴に気づいた。殺されている。

 高橋煌も、すでに死亡している。


 蒼嵐は吐きそうになったが、立て続けに恐ろしいことが起こって、感覚がマヒしてきているのかもしれなかった。意外と平静に死体を見ることができた。


(スマホを持ってるはずだ!)


 そういえば、煌はクラスでも一番のゲームオタクだった。

 みんなヒマつぶしや友達と遊ぶていどにはスマホのゲームアプリをする。が、煌はゲームのために何日も徹夜するくらい夢中になっていた。


 きっと、夜中もゲームをしながら、スマホをにぎりしめて布団に入っていたのだろう。だから、逃げだすときにも持ったままだったのだ。


 死体にさわる気持ち悪さをガマンしてポケットをさぐると、スマホが入っていた。バイブはもう止まっている。電源を押すと、パスワード入力画面になった。


 煌とはそこそこ仲がよかったので、パスワードを知っていた。

 ナンバーそのものを聞いたわけではないが、好きなゲームのキャラクターの誕生日だと言っていたのだ。たしか、それが五月だった。


 煌のスマホは型が旧式なので、パスワードは四桁だ。

 上二桁を05にして01から入力すると、18でロックが解けた。

 助かった。これで、往人と連絡できる。

 往人の電話番号は暗記していた。


(たのむ。往人。生きてて。おれ、一人じゃなんもできないよ)


 ふるえる指で電話番号をタップする。

 祈るような気持ちで通話がつながるのを待った。

 何度か呼びだし音が続いたのち、電話がつながった。


「往人? おれだけど、わかる?」

「そら。ぶじだったんだな?」


 往人の声を聞いたとたん、蒼嵐は涙があふれだしてきた。


「杉本若奈と拓也くんが殺された。それに、たったいま、煌の死体、見つけた。スマホは煌のだよ」

「今、どこにいるんだ?」

「神社のとこ」

「わかった。誰にも見つからないように学校まで来いよ」

「学校? なんで?」

「旧校舎があるだろ? とりあえず、そこで落ちあおう」

「そうか! 旧校舎!」

「声、デカイよ。今、まわりに誰もいないだろうな?」

「あっ、ごめん。大丈夫。今は一人だから」

「すぐ来いよ。気をつけて。絶対、誰にも見つかるな」

「うん」

「大人はみんな敵だから」

「わかってる」


 通話が切れた。

 蒼嵐は煌のスマートフォンをポケットに入れて立ちあがった。

 片手には包丁をにぎりしめたままだ。これだけが自分の命を守ってくれる大切なものだということを、痛いほど感じる。


 中学校は今年、新校舎に建てかえられた。

 数年前から建設が始まり、ようやく完成して移転となったのだ。


 旧校舎はそのうち解体されて別の施設に変わるらしいが、今はまだ以前の場所に残っている。

 あそこなら人目につかないし、とりあえず身を隠すには、もってこいだ。


 場所も小学校の近くだ。大きな通りを二回ほど渡らなければいけないが、夜なら移動できるかもしれない。


 交番にさっきの巡査がいたら、どうしようと思ったが、外から見たかぎり無人だった。


 さっき、サイレンの音がしていたから、それでだろうか?

 逃げるのに必死で確認できなかったが、いったい、何があったのだろう。


 なんだか、とてつもなく不安だ。

 わけもわからないまま追いまわされて殺されそうになる——それだけでも怖いのに、もっと大変なことが町で起こっているんじゃないかと、ふと思う。


 春木さんは変なことを言っていた。

 蒼嵐たちは生贄だとか、悪霊になるとか……。


 不安なまま、蒼嵐は走った。このあたりは民家が少ないので、交番で捕まりさえしなければ、中学校まで行くのはたやすい。


 しかし、交番よこをかけぬけ、雑木林へ続く細道へ入ると、一段と闇が濃く感じられた。気味が悪いのは、さっき杉本若奈が殺された場所のそばを通るからだ。


 できればさけたいが、ほかの道は大幅に遠まわりになる。民家も多い。


 暗闇のなかにチラチラと雪が舞い、視界がきかない。

 だから、蒼嵐は気づかなかった。

 すぐ間近に行くまで、それが立っていることに。

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