十章
十章 1
安平が立っている。
往人が殺したはずの安平が。
また、あの現象だ。替え子にあやつられているのである。
安平の死体は、まっすぐ、こっちにむかってくる。
青白い月光と樹木の作る影が、安平の顔を交互に照らしたり、さえぎったりする。
その動き。いやに自然だ。以前の若奈や拓也たちのときのような、ぎこちなさがない。
「往人。なんか変だよ。安平くんの動き……」
「替え子が死体をあやつるのに慣れたのかも?」
それだけ、だろうか?
蒼嵐はむしょうに怖かった。
足場の悪い森のなかを歩いているのに、どうして、安平はあんなにスムーズに近づいてくるのだろう? いや、むしろ、速すぎる。
崇志が言った。
「さっきから、おれの力も増した気がする。なんでかわからないが、異空様の影響が強くなったんだ」
おそらく、安平は崇志や美菜子たちのように、替え子との共感性で身体能力が高まるタイプだった。異空様の影響が増幅したせいで、その力もより高まったのだ。
往人がふるえる声を出す。
「コイツだ。コイツが、あの死体の山を作ったんだ」
たしかに、安平の両手は墨つぼにつっこんだように黒く染まっている。明るい昼間に見れば、それは黒ではなく、赤く見えただろう。着ている服も、したたるほど血で汚れていた。
殺戮の証しだ。
大人たちを素手でひきちぎり、首をもぎとってふみつぶしたのは、彼だ。
往人が拳銃をベルトからとって、かまえる。
しかし、引き金をひいても何度かカチッ、カチッと小さな音がするだけだ。あわてて撃鉄を起こす。
そのときには、安平は走りだしていた。走る——というより、跳躍した。一歩ふみこんだだけで四、五メートルの距離をかるく跳び、いっきに間合いをつめてくる。
「逃げろ」
崇志が押し殺した声で告げる。
「アイツ、おれたちも殺すつもりだ。行け!」
言いすてて、崇志は自分から安平にとびかかっていく。
崇志の腕力なら、かるく押さえられる——そう思ったのに、次の瞬間、崇志は一メートル離れた木の幹になげつけられていた。速すぎて、蒼嵐の目には見えなかったが、安平がふりはらったようだ。
「そら! 逃げるぞ!」
往人が蒼嵐の手をつかむ。
だが、きびすをかえして走りかけたときには、もう安平は蒼嵐の背後に立っていた。圧倒的な殺意のかたまりを蒼嵐は感じた。
やられる……。
蒼嵐が目をとじた瞬間、
ガン——と、一発。
大きな音をたてて何かが倒れた。
目をあけると、まだ煙のあがるピストルを、往人が両手でにぎりしめている。
足元には安平が倒れていた。ひたいのどまんなかに大きな穴があいている。わずか数十センチという至近距離からの発砲だ。えぐれた穴の周囲の肉が焦げている。
「あ……ありがとう。往人」
「ケガないか? そら」
「うん」
もうダメかと思った。これで、いったい何度、往人に助けられたことだろう。
蒼嵐はホッとしたが、そのとき、往人の顔がこわばった。
「往人……?」
往人の視線のさきを追う。
安平の目がギロリと動いて、こっちを見た。
そうだ。安平はもともと死体だ。死体を替え子があやつっているだけなのだ。心臓をえぐりだすまで動き続ける。
「う、うわ……」
思わず、あとずさりして、蒼嵐は尻もちをついた。ぺたんと地面にすわりこんでしまう。
安平は機械的な動作で半身を起こす。ドロリと経血のように凝固しかけた黒い血が、ひたいの穴からもれた。
往人が再度、発砲するが、今度はあたらない。
安平が無言で立ちあがり、蒼嵐と往人を凝視した。
とびかかってくる——そう思った瞬間、安平の背後にサッと人影がよこぎった。
奇声を発して、その影が舞うと、安平の首がクルクルッと二、三回転してねじれる。頭部が変な方向にむいた。
崇志だ。
安平の背後からまわしげりをキメた崇志は、直立したままの安平の死体を押し倒し、左胸に手刀をたたきこむ。安平の口から黒い血が泉のようにあふれた。
「なめてんじゃねえぞ! ガキがッ!」
(す……スゴイ。いくら運動能力が強化されてるからって、ただのサラリーマンじゃ、こんなことできないよ。この人、たぶん、もともと空手かなんかやってたんだ。
往人も……スゴイ。おれと同じ年の中学生だなんて思えない。なんで、いざってときに迷わず行動できるんだろう? おれには……できない)
強くなりたいと、蒼嵐は心から思った。
自分がもっと強ければ、薔子だって死なせなくてもすんだかもしれないのに。
うなだれていると、往人が蒼嵐をひっぱりあげて立たせた。
肩で息をしていた崇志が、声をかけてくる。
「大丈夫か?」
蒼嵐はうなずいた。が、大丈夫でないのは、むしろ崇志のほうだった。脇腹のあたりに血がにじんでいる。せきこんだあと、血を吐いた。
「……崇志さん、ケガしたの?」
「ちょっとな。心配すんな。たいしたことない」
東の空が明るんできていた。
「ここから離れるぞ。ガキども」
崇志に言われて、蒼嵐たちは歩きだした。
境内のなかには、蒼嵐たち以外、生きている人間は一人もいないようだった。誰にも遭遇することなく、神社をあとにした。
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