第99話 きっと運命の日になる

 寺内家、その一室にある部屋ではその主である沙耶がベッドの中に沈み込んだまま天井を眺めていた。

 別にマジマジと自身の部屋の天井を眺めていたわけではない。沙耶の頭の中にはこれまでの日々が目まぐるしく回っていたのだ。


『でもね、温かで柔らかな想いも冷たく濁った想いもその全てを含めて人間なんだ』


 啓基の言葉が幾度となく脳裏を過る。

 何気なく相談したつもりであった。しかし蓋を開けてみれば啓基は真摯に自分と美奈の問題に向き合って彼なりの助言をしてくれたのだ。


(私自身の意思は昔から変わってない……)


 美奈とただ幸せになりたいだけ。

 漠然としたものだ。だがそれが今まで沙耶の根幹に根付いて今日、この瞬間まであったものでもある。


 美奈を、そして彼女と自分の関係を考えれば考えるほど絡みつくような思考の渦の中にいるような気分になる。

 しかし、その渦の中から抜け出す瞬間は沙耶にとって思わぬ形で訪れた。


「──沙耶、いるか?」


 扉越しにノック音と共に聞こえてくるのは純一郎の声であった。

 ずっと最近の出来事について考え続けていたせいか、こうして純一郎が声をかけてくるまで彼が帰ってきていたことに気付かなかった沙耶はどこか鈍重な動きでベッドから身を起こす。

 純一郎が再び沙耶と関わり始めてから大きく歯車が狂いだした。

 そう思うと無性に苛立たしくなるのだが、とはいえここで感情的になるのは見苦しいものがあるだろう。


「……なんでしょう」

「話があるのだが……少し良いか?」


 なるべく純一郎と接触する時は平静を保つように心がけながら答えれば、何やら話があるらしい。

 それだけで憂鬱な気分になってしまうのだが、自分に嫌われていることを自覚しているであろう純一郎がわざわざ呼びに来たのだ。

 少なくとも自分に関わりがあることなのだろうとベッドから立ち上がった沙耶は純一郎の呼び声に応じて部屋から顔を出すと、そのまま二人はリビングに場所を移す。


 ・・・


 リビングで時を刻んでいく柱時計の乾いた音は殊更、この寺内家では耳が痛いほどに響き渡る。

 そんな静けさに支配された空間にソファーに腰掛けた純一郎は慎重な面持ちで相対する沙耶に重々しく口を開いた。


「……お前にとってあまり聞きたくもない話だろうが、その……再婚のことなんだ」


 切り出された内容に沙耶の表情はいつもの冷淡にさえ感じる表情のままなのだが、どこかウンザリするように視線を流す。


「……顔合わせの日程を決めたいと思ってな。向こうは出来うる限り、沙耶の望む日程に合わせたいということなんだ」


 褒められた親ではないとはいえ、娘のその些細な変化には気づけるのか、これ以上、下手に話を長引かせてはならないとすぐさま本題を切り出す。その内容に視線を逸らしていた沙耶は何か思うところがあったのか、視線を戻して静かに口を開いた。


「……私が望む日程、ですか」

「ああ。結局のところ、これは私達の勝手な都合に過ぎない。であればお前を巻き込んでしまう以上は出来うる限りお前の望むように合わせたい……。それが向こうの……彼女の意思だ」


 お互いの予定を擦り合わせて決めるのではなく、あくまで沙耶の予定を第一にそこから予定を決めたいというのだ。

 そんな再婚相手の意思に仕方ないとばかりに小さくため息をつくと純一郎に視線を向けて顔合わせの日程を決める。


 ・・・


 それから数日後、沙耶は一人、霊園にいた。

 そこは寺内家の墓石の前であり、彼女は一人、しゃがみ込んで手を合わせていた。


(お母さん……)


 かつてこの場で祖母に宛てた言葉を送っていたが、今日は実の母に対してその心を向けていた。


(お母さんはもし私が同性愛を選んだって知ったら、どんな反応をしてくれるのかな)


 祖母や父はかつて同性愛に嫌悪感を持っていた。

 しかし母はどうであったのだろうか。同性愛に、もしも自分がそうであった場合、どのような反応をしてくれたのだろうか。


 しかしそのことをいくら考えたって結局、実際のところ知る術など最早ないのだ。

 だからこのことをこれ以上、考えたところで仕方ないし非生産的でしかない。

 そんなことは分かっていても、沙耶は母が眠るこの墓に訪れたのだ。


(……それでも見守っていてほしい)


 今日はなにを隠そう、顔合わせの日だ。

 待ち合わせの時間が迫るなか、少しでも己の心に込み上げる緊張をほぐすためにこの場所に来た。


 純一郎は単なる顔合わせだと思っているのだろう。

 沙耶とて今日はそのつもりで顔合わせに望むつもりだ。


 しかしそれだけではない。

 今日は沙耶にとっても運命的な日になることであろう。

 言わなければそれで済むことなのかも知れない。しかし予期せぬ事態はいつだって付き纏い、実際にそれで問題が起きたこともあった。


 だからこそ今日、沙耶は純一郎に告白するべきことがある。

 それは美奈との関係だ。


 どのような反応が返ってくるかは分からない。まして再婚相手になる女性だっているのだ。自分の行動のせいで破綻になる可能性だって考えられる。


 それでも行動に移そうと思う。

 告白するタイミングがあるのであればそれは今回だろうし、時機を逃すわけにはいかない。

 独善的なのかもしれない、心のどこかにある復讐心が決断させたのかもしれない。それでも後々、面倒になるのであればと、この問題を片づける決意をしたのだ。


 だから母に祈る。

 少しでも自分の心を勇気づけるために。

 沙耶は立ち上がり、待ち合わせとなる場所まで向かうのであった。


 ・・・


 沙耶が訪れたのは純一郎に指定されたレストランであった。

 いかにも、といった感じの洋風の建物作りがなされた高級レストランであり、顔合わせと考えるのであれば申し分のない場所であろう。


「早かったな」

「……一人で来たいと言ったのは私です。にも拘らず遅れるなどありえません」


 レストランに近づけば店の前に純一郎が立っていた。

 こういった行事は時間厳守とはいえ、早くに到着した沙耶に純一郎が微笑交じりに声をかけると相変わらずツンと冷たい態度で答える。


「彼女も店の中で待たせている。我々も入ろう」


 そんな沙耶の態度に様々な感情が入り混じった苦笑を浮かべながらレストランのドアハンドルを引いて、店内に入るように促すと足早に沙耶が入店した後、純一郎自身も店内に足を踏み入れる。


 店内も外観に比例するかのように気品溢れる雰囲気だ。

 今日という日もあってか僅かに沙耶の表情も強張るなか、店員に案内された二人はやがて予約していた個室に訪れた。


 既にそこには純一郎が言っていたように一人の女性が座っていた。

 紫がかった艶やかな黒髪にハッキリとした顔立ち、この高級レストランの雰囲気にも呑まれない落ち着いた姿勢、決して派手ではなく寧ろ落ち着いた色合いのワンピースに立ち衿のジャケットを羽織った姿……。パッと見た第一印象は上品な大人といった印象を受けた。


「沙耶。こちらがお付き合いさせていただいている藤村歩美さんだ」


 この女性こそが父の再婚相手なのだろう。

 二人に気付いて、立ち上がった歩美を沙耶に紹介し、また同じように沙耶のことも簡単に紹介する。


「初めまして。ご紹介に預かりました藤村歩美と申します。今日は予定を合わせていただいて、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ……。改めまして寺内沙耶です。本日はよろしくお願いいたします」


 お互いに軽い会釈と共に自己紹介をする。

 顔合わせにも関わらず、緊張を感じさせずに柔和に微笑む歩美に対して、やはりこういった場は不慣れ……いや、初めてである沙耶は言葉の中に固さを感じる。


「では二人とも、席に」


 お互いに自己紹介も程々に純一郎に促された二人はそれぞれ席につくと食事会が始まるのであった。

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友情と愛情の境界線─アナタの全てが欲しくて─ マーヤ @masao-414

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