第19話 『一打席勝負』
十戦全敗。
結局、朱音は文音に一度も勝利することはできなかった。文音のバッティング技術もさることながら、それ以上に朱音の不甲斐なさの方が目立つ勝負となった。朱音は完敗の為に膝をついて項垂れる姿を見せ、対照的に文音は小さな胸を張って敗者を見下ろす。
「ふ、ふん! わ、私は投手だから打てなくていいの!」
朱音は苦し紛れの強がりを見せた。もちろんそんな理由はまかり通らない。リーグ制で試合をするプロ野球と違い、高校野球はトーナメント制が大半を占める。一度でも負ければ終わってしまう対決の中で妥協を許せる余裕はない。たとえ朱音の本心から発言したものではないとしても、頭の片隅でそのように考えていなければそもそも発言することもなかっただろう。
考え方を改め直すように注意しようとした俺を朱里が手で制止してきた。彼女に視線を送れば頷いてきた。おそらく自分が注意するから任せてほしいといった感じだろう。
「朱音。その発言は監督として到底、聞き逃せるものではないわね」
「うっ⁉ で、でも――」
「でもではありません。投手だから打撃を疎かにするような選手を監督やチームメイ
トが認めると思いますか? 仮に投手の能力が優れていたとしても信頼関係がなけれ
ば不協和音となって必ず綻びができてしまう」
朱里の持論に朱音は反論することなく耳を傾ける。反論の余地がないのはもちろん、朱音自身、失言だと自覚しているからだろう。
「なに? 貴方、投手だったの?」
「え? う、うん。そうだけど……」
「それを早く言えよ。てっきり野手だと思ったから打撃勝負したけど、投手なら同じ
土俵で勝負できるじゃないか」
くつくつと笑い声を漏らす文音はスポーツバックからグローブを取り出す。
「ついてきな」
ジェスチャー付きで指示をした文音の後に続く。向かうのは室内の最奥。目線を上げると投手専用と書かれた看板が壁に埋め込められている。本来なら設定速度が記されている看板だ。
室内に目をやるとバッティングマシーンの代わりにストラックアウトの台が設置されている。正方形型のフレームに九枚の的が装備されたオーソドックスな形だ。
「ストラックアウトがあるバッティングセンターとは珍しいな」
「ふふん! そうだろう、そうだろう! 私がお願いして設置してもらったんだ
ぜ!」
文音曰く、小さい頃から通い詰めていたことで店長と顔なじみになったことで無理を通せたようだ。
「つまり次は投手の武器の一つ、コントロール勝負だね!」
「ううん、違う」
第二ラウンドに意気込みの入っていた朱音が肩から崩れた。
「ストラックアウトで投手の勝敗を決めるのはお互いに納得いかないでしょう? 少なくとも私は納得いかない」
文音の持論は朱音も納得らしく、下手に噛みつくようなことはしなかった。ならばどのように勝負するつもりなのか、文音を除いた面々が方法を一考するも、その答えを待たずに文音は答えを出した。
「そんなの決まってるじゃない。そこの眼帯男、私と勝負しなさい!」
人差し指で俺を差してきた。初対面の相手を眼帯男と呼び、人を指で差す言動に神経が逆なでされた。これが意図しての挑発なら彼女の演技力はたいしたものである。冷静に相手を分析できる辺りどうやら俺自身の沸点は低くないようだ。捕手としては安い挑発で頭に血を昇らせていては投手も安心できないだろうから、そこを再確認できたことは文音に感謝したい。とはいえ、内の現エースが負けた状態で終わらせるのはチームメイトとして見逃すことはできない。
バットケースから金属バットを取り出して室内に入る。勝負を了承したと判断した文音も後に続いて中に入り、マウンドをスパイクでならす。
「誰かキャッチャーと審判を頼む」
「ならキャッチャーは俺がしよう。審判は……朱里先生、お願いできますか?」
いつの間にか合流していたアーサーが名乗り出ると、審判役も推薦することで準備を円滑に進めた。お店で貸し出しされているキャッチャー防具をアーサーは慣れた手つきで装備していき、ホームベースの後ろに腰を下ろした。
「それじゃあ投げるよ!」
文音は一声かけてから投球フォームに移った。
胸元にグローブを構えてセットポジションの姿勢に入る。小さく息を吐くと、重心を下降させ、踏み込むのと連動して上体を屈曲させた。腕は水平を下回る角度に入ると、腕をしならせて白球を投じた。地を這うように白球は軌道を描き、打者の手元で重力に逆らうかの如く浮かび上がってミットに収まる。
「アンダースロー……」
「横から見ていても浮き上がっているのがはっきりと分かるな」
いつの間にか全員集合していた面々は文音の投球に釘づけになっていた。
「まずはワンストライク」
調子がいいのか、文音の表情は自信に満ち溢れている。その自信の勢いのまま二球目が投じられ、それは外角低めギリギリに入った。
「ツーストライク。ほらほら、バット振らないと打てる球も打てないよ」
余裕は挑発という形で表に姿を出した。一見、油断とも取れる態度。しかし、同時に投手の調子が絶好調である裏付けにもなる。そして絶好調は気分を高揚させて実力以上の力を発揮させることに繋がることもあるのだ。
――悪くない。嫌いでもない。
投手として好意すら抱けるタイプの人間だ。敵味方関係なく気分を高揚させるタイプの野球バカだ。自然と唇を吊り上げてしまう。グリップを握る手に力が入る。
「これで三球三振!」
三振宣言をしての投球はまたしても地を這うように直進すると、打者の手元で浮き上がった。低めからの浮き上がる球。これまでの二球と同様に浮き上がった球はストライクゾーンへと侵入した。
「――甘いな」
弧を描くように振り下ろされた金属バットが快音を響かせた。真芯で捉えた白球は角度をつけて直進すると、ネットに飾られたホームランの的に直撃した。瞬間、ホームランを報せるフンファーレがバッティングセンターに鳴り響いた。
「う、うそ……」
二球とも手が出なかった相手にホームランを打たれたことに文音は驚きを隠せない。それは見学していた面々も同様だった。
「ど、どうして私の球が打てた! い、いや、バットに当てるだけなら分かるけどホームランだなんて――」
「三球ストレート。それも低め一辺倒。たとえ浮き上がる球であっても緩急のない球など容易く打てる」
ホームランを打てたことに喜んでいる内心を抑えながらクールに事実だけを突き付けた。
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