第18話 『石川文音』

 一触即発の空気が店内を支配する。主に喧嘩腰なのはツインテールの女の子。事情を知らぬ人からすれば非は彼女にあるように映ってしまうが、事の発端は完全にこちら側である。非も弁解の余地なく朱音が百だ。しかし、当人は自覚がないことから険悪な空気は濃度を増すばかり。


「うーん、どうしたものかしら……」


 朱里は事態をどのように収拾するべきか頭を悩ます。ここ事に至っては一言謝罪をすれば事態が収まるというわけではないからだ。謝罪には誠意というものが必要になる。ただ謝罪をするだけならば上辺の言葉だけになってしまう。それは禍根を生み、新たな火種となりかねない。そして誠意とは非のある人物が自覚しなければ芽生えない感情である。つまり自覚のない朱音には謝罪をさせることが出来ないのだ。


「止めないとまずいですよ、先生。さすがに殴り合いになるようなことはないと思いますが、それでもお店には迷惑になるでしょうから」


「そうね。こうなったら強引にでも介入するとしましょう」


 ひとまずは一触即発の空気を払う必要があると朱里は判断した。顔見知りのお店だからといって迷惑をかけても大丈夫というものではない。むしろ顔見知りのお店だからこそ迷惑をかけたくないものだ。ましてその原因が自分の妹で、かつ教え子ときたら力づくでも止めるのが姉として、教師として、大人としての責務である。


 立ち上がった朱里は二人の頭を手で押し返して距離を取らせた。


「二人とも落ち着きなさい。お店に迷惑でしょ!」


 お叱りの言葉に二人とも口を噤む。その事を確認した朱里は店員に謝罪した。そこで二人も自分たちの迷惑行為に気付いて正気を取り戻し、朱里に倣って頭を下げた。恰幅のある女性店員もその旦那さんに当たる店長も子供の喧嘩だから仕方ない、と笑って許してくれた。その事に朱里はお礼を言い、意識を元凶に戻す。


「まず朱音。事の発端は貴方なのよ。それを理解している?」


「うっ⁉ ……返す言葉もありません」


 正気を取り戻したことで自分の非を自覚した朱音は体を小さくした。対してツインテールの女の子は小さな胸を張るようにふんぞり返って勝ち誇る。その態度に教師としての朱里に火が点いた。


「元凶は朱音で、非があるのも朱音。ただそれは喧嘩だけの話であって、お店に迷惑をかけたのは貴方も同罪よ」


「そ、それは……確かに私も大人気なかったです、はい……」


「よろしい。ところで貴方、野球をするのかしら?」


 朱里は女の子の隣に置かれたスポーツバックに視線を送った。そこには開いたチャックの隙間から野球グローブが姿を見せていた。


「もしかして貴方たちも?」


 女の子の問い返しに皆が頷いた。そのなかに朱音や澪も含まれていることに女の子は驚きの表情を浮かべた。増えてきたとはいえ、それでも高校生になってからも野球を続ける女子選手は珍しい。


「私たちは夕凪高校の野球部なの。まだ創部して一日目だけど」


「夕凪高校……。確か隣町のそんな名前の学校があったわね」


 女の子は少し考える仕草を見せると、名案が思い付いたかのようにポンと掌を叩く。それに続けて朱音を指差した。


「私と勝負しなさい!」


 女の子はまたしても小さな胸を張り、ふんぞり返る姿勢を取ると、朱音に勝負を挑んだ。

               ◇


 蘭々亭での一悶着は勝負をするという形で収拾された。勝負を仕掛けたツインテールの女の子、石川文音いしかわふみねは今すぐにでも勝負をしたいと訴えるも、昼から何も食べていない朱音たちのお腹は限界が来てたいた。そのため、夕食を取った後、近くにあるバッティングセンターで勝負するという形で落ち着いた。


 次々と注文された料理がテーブルに並べられていくと、皆の箸が一斉に動き出した。我先にと料理の奪い合う光景はまさに戦場。そしてその中には文音の姿もある。彼女も自主練習を終えた後で空腹だったらしく、前哨戦と言わんばかりに朱音と競いあっている。朱里は行儀の悪さを注意するも声は届かず、店側からも許しが出たことから諦め、自身も食事を楽しむ。


 その中で無類の胃袋を見せたのは澪だ。朱音曰くブラックホール並とされる彼女の胃袋が満足したのは皆が満腹になって箸を止めてから一時間後の事である。ただ度肝を抜く食事量とは裏腹に小柄な体躯からは変化の兆しは一切なく、あれだけのカロリーがどこに消えていったのかは定かではない。ただ食事後、女性陣の羨望の眼差しが澪から止まなかった。


「よーし! 勝負前にまず軽く準備運動をしないとね」


 先程まで満腹に苦しんでいた姿が嘘のような元気さと身軽さを見せる文音がバッティングマシーンに挑み始めると、その隣では朱音も同様に練習を始めた。


「あれだけ食べた後でよく動けるな、あいつら……」


「……情けない」


「あん⁉ いいだろう! 昼間の決着をつけてやるぜ!」


 澪の挑発に満腹で動けなかったはずの岳を動かし、共にバッティングの勝負を始めた。仲が良いのか悪いのか分からなくなる光景である。


「俺も向こうで打ってるよ」


 次々とバッティングを初めていく皆に感化されたアーサーも練習に向かい始めた。それを見送ると、朱里から声を掛けられる。


「遠夜君は打たなくていいの?」


「打ちたいところではありますが……」


 視線を文音に向けた。快音を響かせる彼女の姿が瞳に映る。


「ライバルになるかもしれない相手の情報でも得ておこうかと思いまして」


「ふふ、抜け目がないわね」


「で、では、私もお手伝いします!」


「ありがとう、雛。それなら携帯で動画撮影を頼む。ついでにメンバー全員のも頼め

るか?」


「任せといてください!」


 マネージャーとしての初仕事だと、雛は意気込んで撮影を開始した。


「若い子は元気で羨ましいわ」


「先生も十分、若いでしょうに」


「ふふ、ありがとう」


 残った俺と先生は軽口を叩くように会話を弾ませる。


「それにしても、いいバッティングね、彼女」


 文音は難なく広角に打ち分けていく。設定速度は一三〇キロと、高校野球ならば速い分類に当たる。最近では一四〇、五〇といった速球を投げる選手が何人もいるが、それらはプロでも注目されるほどの逸材。多くの高校球児は一三〇キロ台の速球を投げられるなら立派である。


「それに比べて我が妹は……」


 やれやれと朱里は額に手を当てながら首を振った。速度設定は文音と一緒だが、その結果は雲泥の差である。


「そういえば朱音のバッティングを見るのは初めてだな」


 空振りを連続する朱音を見る。とても勝負にはならない技術の差が二人にはある。隣同士で練習するからこそ明暗がはっきりと俺には見えてしまうのだった。

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