第13話 『水と油?』
遠夜たちがグラウンドに到着した少し前――
二人の生徒が同時にグラウンド前に到着していた。上着の右胸に飾られた造花が新入生であることが分かる。グラウンドへと繋がる階段の前に二人は肩を並べて立つと、頭だけを動かして顔を合わせる。お互いの視線がぶつかり合って火花を散らすも、険悪の空気があるわけではなく、どちらかといえば負けず嫌いが見せる意地のぶつかり合いだ。それを体現するように睨み合いながら駆け足で階段を下りていく。一歩でも踏み外せば転がり落ちて大怪我に繋がる危険性を孕みながらも、二人は足元を一切見ることをしない。それどころか雄叫びを上げながら加速していく。
競争は階段を下りた後も続行。そのままの勢いで荒れたグラウンドを走り、他の場所よりも若干の膨らみがある箇所で足を止めた。足を止めても視線を逸らすことはせず、お互いに肩を下げて呼吸を整えていく。
「……しつこい」
「お、俺の台詞だ……。そもそもお前が一番乗りを譲らないのが悪いんだよ……」
呼吸を荒くしながらもお互いに一切引く様子を見せない。負けず嫌いの典型的な姿である。
「……澪が引く理由がない。それに階段に着いたのは澪が先」
「階段に着いたのがお前だとしてもグラウンドの一番乗りを譲る理由にはならないだ
ろ」
お互いに引かない平行線の持論が飛び交う。傍から耳にすれば仕様もないことで口論していると思うだろう。それこそ小学生が喧嘩しているかのような内容だ。ただ校舎から少し離れた場所にあることが効してその姿が生徒たちから見られることなく、ただただ二人だけの時間が過ぎていく。
◇
二人のやりとりを最初に目にしたのはグラウンドに到着した俺たちである。グラウンド前の階段上からでも聞こえてくる二人の罵声に唖然とする。とても小さい子には聞かせることのできない汚い言葉の応酬だ。
「……朱音。あの子がそうなのか?」
「えーと……はい……」
顔を覆い隠すように片手を当てて恥ずかしそうに表情を落とした朱音の口からは無意識に溜め息がこぼれた。彼女の様子から察するに友達の言動は今に始まったことではないようだ。
「苦労してきたみたいだな」
「けっして悪い子じゃないの。ただ極度の負けず嫌いで……。それこそ小学生相手に
も本気で勝ちにいくほどですから」
「そ、それは大人げないな……」
負けず嫌いを自負している俺でもさすがに小学生を相手にして勝負に徹するほど非情にはなれない。
「ところで、その隣にいる男子生徒は誰かの知り合いかしら?」
朱里の興味は朱音の友達といがみ合っている男子生徒に向けられていた。彼女の質問に誰もが首を左右に振って関係を否定した。
「ですが、ここにいるということは野球部希望なのかもしれませんよ?」
「ああ普段から気性が荒いと疲れそうだな」
口論を続ける男子生徒の姿から性格を判断したアーサーはチームメイトになってからのことに不安を募らせた。チーム内の不和が生じれば練習だけではなく、試合に多大なる影響を及ぼしてしまう。守備の連係やベンチの雰囲気など、それらはチームワークがものを言うからだ。
「気性の荒さは短所ではあるけど、長所とも言えるわね」
「はい。ああいったタイプは勝負強いというのが相場ですから。それに彼の場合は気
性が荒いというよりは、引き際のタイミングが分からないといった感じでしょうか」
朱里の言葉に同意をした上で男子生徒を分析する。もちろん男子生徒が勝負強いというのは予想の範疇でしかなく、そこに明確な根拠はない。ただ彼と似た人物は粗が目立つ分、チャンスでは無類な強さを見せる選手が多かった。
「とにかく合流してみては? 朱音さんの友達は別として、あの男の人が入部するかはまだ分かりませんから」
雛の提案に一同は頷き、二人が立つグラウンドを目指して階段を下りた。
マウンドでいがみ合う二人がこちらの存在に気付いたのは朱音が友達の名前を呼んでからのこと。
「朱音、遅い」
「ごめんごめん。遠夜君たちと合流してから来たから少し遅れちゃった」
先程までのいがみ合いが嘘のように終わり、今は親友との夢中になる。急変した環境に男子生徒は一人、ポツンと取り残された。その姿が妙に小さく見えてしまった俺は助け舟という形で声を掛ける。
「野球部の入部希望者?」
「え? ……あ、ああ」
「それなら今日からチームメイトだな。俺は一年A組の都筑遠夜だ」
チームメイトという言葉に男子生徒の表情が訝しんだ。その後、少し悩む様子を見せたことで俺は察した。
「この眼帯が気になるか?」
「い、いや…………、いや嘘をついたところで仕方ないか。その右眼、視えないのか?」
「事故で失明してな」
「……俺は馬鹿だからさ、言葉を選んだりできない。だから単刀直入に訊く。その右眼で野球が本当にできるのか?」
瞬間、空気が張り詰めた。同じ右眼に触れた会話でもアーサーの時とは違う緊張感が辺りを支配する。それは男子生徒が疑雲に覆われているからだろう。
事の顛末を見守るように皆の視線が向けられる。
「――試してみるか?」
眼が自然と釣り上り、細く鋭いものとなる。男子生徒が自分より身長が低いために視線は見下ろす形となり、それが相まって迫力が増す。
蛇に睨まれた蛙とまではいかなくとも、男子生徒に有無を言わせない程度には尻込みをさせた。
「デリカシーのない男」
朱音の友人がぼそりと呟いた。耳を澄ませておかなければ空耳だと勘違いしてもおかしくはない声量にも関わらず、男子生徒は地獄耳と言わんばかりに声を拾った。文句の一つでも言おうと口を開こうとするも、それより先に女子生徒が口を開く。
「
「あ、あの澪が饒舌に話している!」
一番の衝撃を受けたのは友人の朱音だった。やや失礼に当たる反応ではあるが、友人ならではと考えれば問題ないだろう。
「過大評価さ。現に片目を失ったらスカウトの目はすぐに離れていった。所詮、その程度の選手だってことだ」
「それなら見返せばいい」
俺の目の前に立った女子生徒は見上げる形で言った。
「澪たちと一緒に見返せばいい。女子でも男子に勝る。怪我をして右眼が見えなくて
も優秀。試合に勝って成績を残して認めさせる」
淡々とした口調から彼女の強い意志が伝わってきた。それは向けられる双眸からも見え受けられた。
「……ああ、そうだな。これから一緒に頑張ろう!」
「うん。澪は
お互い握手を交わし、打ち合わせをしていたかのように視線を男子生徒に向けた。もちろん偶然の一致。それがかえって男子生徒を威圧する形となった。
「わ、わかったよ! 俺が悪かったさ!」
訝しんだ自分に非があると認めた男子生徒はぶつけるような謝罪をすると、俺たちに近寄り、握手する手に自分の手を乗せた。
「俺は
「仕方ないなら別にいらない」
岳の照れ隠しをまともに受け取った澪の言葉を発端に先程のいがみ合いが再発すると、澪が逃走を図り、それを追いかける岳の構図が出来上がった。
「せっかくいい感じで話が収まりそうだったのに、締まらないわね」
呆れた表情を浮かべながらも朱里は微笑ましく見守る。
「そうですね。でもまあ、楽しくていいじゃないですか」
何事も楽しくなければ辛いだけ。言葉の真意をしっかりと読み取った一同は頷くのだった。
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