かけがえのない昨日のあなたへ

 世界が灰に染まる。


 壊れたビデオテープのように、延々と同じ時を巻き戻そうと。


 叶わない。





「ねえ、どうして、あなたなんだろうね。」


 ほら、ねえ。黙ってないでさ。答えてよ。答えてってば。あの穏やかな声音で、また。


「あなたである必要なんて、どこにもないじゃん。」


ほら、答えてよ。私だよ?忘れちゃったの?


「それこそさ。私でよかったじゃん。私が喜んで代わったのに。」


 でも、もしそうしたら、あなたはひどく怒ったろうね。何を考えてるんだって。きっと、その怒りが理不尽なものだってことにすら気付かずに。


「ねえ、そう思うでしょ?ねえってば。」


 あなたって、こんなにも冷たかったかな。あたたかく、優しい人だったはずだよ。それにしても、いつまで眠っているの?全く、お寝坊さんだね。

 ほら、いい加減、起きてよ――


 


 



 雨が降っていた。水銀のような雨だった。私をじんわりと蝕んだ。とても悲しみを流してくれそうもなかったし、私自身それを望んでもいなかった。――この悲しみに浸かってさえいれば、あなたがいつまでも隣にいてくれるような気がするから。

 

 洒落たカフェで、家族連れが談笑しているのが窓越しに見えた。無邪気な子供に釣られ、両親も頬をほころばせている。その時、私に亀裂が走った。汚らわしい膿と血が止めどなく溢れる。――そこの坊ちゃんが元気いっぱいに笑うから、は悪魔に魅入られたんじゃないのか?そこのお母さんが我が子に慈しみをあげたから、は悲鳴をあげることすらできなかったんじゃないのか?そこのお父さんが家族を支えようと奮起したから、は、は――


 


 


 


 


 私は今日も膿を垂れ流している。モノクロな世界はこんなにも汚い私を歓迎する。

――去る者は追わないくせに。去ろうとするあなたを追ってはくれなかった。それだけで、この世界にはこれっぽちの価値もないのに。嗤っちゃうよ。

 

 ねえ、そんなことよりも。あなたは、今そこにいるの?この先にいるのね?待っててね。これが終わったら、すぐ行くから。


「来るな。」


 たった一言、あなたの声が。ひょうきんな骸骨になって炎に包まれているあなたから、聞こえた。


 ――それだけ?他に何か、ないの?今までありがとう、とか。愛してる、とか。あなたはもう、私に会いたくないのかしら?そう、振られちゃったのね、私。残念。


 でも、よかった。ありがとう。不思議なんだけどね、ほんとに。ほら、こんなにも、涙が溢れて止まらないのに。――振られて、せいせいしたよ。こんなにも尽くしたのに、あなたはいつもぶっきらぼうで、素直じゃなくて。――嫌い。うん、そうだよ。あなたなんて、もう嫌い。私のことを置いてっちゃうあなたなんて、嫌い。大嫌い。不義理ったらないよ。じゃあね。もう、顔も見たくない。あっちでは、せいぜい元気でやんなよ。

――でも、そうだね。いつになるかはわからないけれど。もし、私がそっちに行く機会があったら、一度だけ、会ってあげてもいいよ。だから、きっとそれまで。






 ――さようなら、あなた。



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