エピローグ(ⅰ)
私の前に、終焉が立っていた。彼は少しずつ、少しずつ、私ににじり寄ってくる。彼は爽やかな笑みを浮かべ、問うた。
「やぁ、悔いはないかい?」
「はい、ありません。」
私は過去を清算し、ここに来た。二十数年を経て、私は、自らの時間に終止符を打ちたくなったのだ。
「違うね。」
彼のその頭ごなしな否定は、私の人生全てに対するものに聞こえてならなかった。
「むしろ悔いしかない。そうだろう?」
何をわかったようにと、文句を垂れるのは簡単だ。そうしてしまったら、彼はもっと得意げになる気がして嫌だった。実際、彼の言を退けるだけの材料を持ち合わせてもいなかった。
「君は、諦めた側の人間だ。何もかもを諦めて、ここに来た。」
彼の朗らかな声が耳に刺さる。私のこれまでの軌跡を、彼はこの一瞬で辿ったとでも言いたげだ。彼の瞳は、私の全てを見透かしているかのようだった。
「ところで、君は、何になりたかったんだい?」
「私は、『私』になりたかったんです。他の誰でもない、『私』に。」
「何を言ってるんだい?君はそのままで、君じゃないか。どんなに出来損ないで、他人に劣ろうが、世界に一人だけの君だ。」
いちいち鼻につく人だ。そんな事は自明だろうに。私が言いたいのはそういうことじゃあない。いや、そうとわかっていて彼は私をおちょくっているのだろう。
「訂正します。私は、私が目指した『私』になりたかったんです。でも、それを諦めてここに来ました。」
「そうかい。でも君が言う理想の『君』は、もはや君ではないのではないかい?それは他人の空似とでも言うべきだ。君は、他の誰かになりたかったのかい?」
屁理屈を。構うだけ無駄だというのに、私はどうしてか、彼の言葉を無視出来なかった。
「もっと正確に言いましょう。私は、優れた『私』になりたかった。他人よりも優れた『私』に。その結果が、私でなくたっていい。」
そう、私でなくたっていいのだ。それが私の理想であるならば、それが誰だろうと構わない。私の望む『私』とは、そういうものだ。
「そうかい。」
彼は私の言葉を咀嚼し、ふむ、と何度か頷き、そして、
「違うね。」
と、もう一度、得意げにその言葉を口にした。
「君は、もともと優れた『君』になりたかったんじゃあない。君は、君自身を探していただけなんだ。」
「言っている意味がわかりません。」
「君は、今こうして、確かに俺の前に存在しているさ。でも君からしたら、君の存在がわからない。そうだろう?」
そう言い、彼は私の足元を指差した。気になって、下を向くと、そこには、何もなかった。あるはずの手が、足が、体が、見えなかった。私の顔は驚愕に染まり、掠れた声が漏れる。
「なんで、どうして.......」
「君は、君を見つけられないまま、今まで生きてきたのだろう。君を形作っているものが、君を君たらしめるものが何たるかをわからないままに、これまで生きてきた。そこで、君は『君』になろうとすることで、君自身を探求することをやめたのさ。君が君のことを知らなくたって、『君』になってしまえば問題ない。なにせ『君』は君の理想なのだから、よく知っているはずだからね。」
私は彼の言葉を呑むだけだった。どうやら彼は、本当に私の軌跡を見てきたのだと思った。
「君は、自分でも気づかないうちに君を見つけようと頑張って、でも中々見つからなくて、苦しくて、『君』を目指そうとしたのだろう。でも、『君』を目指すのも、そう簡単ではなくて、辛くて、痛くて、全てを諦めて、ここに来たんだ。」
いつの間にか私の頬には一筋の雫が垂れていた。涙が出たのは、いつぶりだろうか。
「あなたには、なんでもお見通しのようですね。」
やっと振り絞った言葉は、諦観混じりの、ちょっとした強がりだった。
「ああそうだとも。俺にはなんでもお見通しさ。一体何千年この仕事をやってると思ってる。」
彼は私の胸中など意に介す素振りもなく、無垢に図に乗る。その様子が少しおかしくて、笑みがこぼれた。
「ところで、今ならまだ引き返せるが、どうする?」
かつての私の固い決意は、彼のせいで、とうに鈍ってしまっていた。本当に、どうしてくれるんだ。
「そうですね.......ここに来るのは、私を見つけてからでも、遅くないと思いました。あの世へ行って、私の人生という物語を読んだ時、主人公のことがわからなかったらたまりませんから。」
「そうかい。君を見つけるのは、凄く大変なことだろうさ。それは君がよくわかっているはずだ。それでも、『君』になるよりは、いくらか楽かもね。」
「でも、こうしてまた、諦めてしまうかもしれません。」
「それでもいいのさ。人は永遠に旅をするんだ。君もそうさ。人生という果てない荒野に放たれた、寄る辺なき可哀想な旅人。ただどこかにいる自分を探し求めている。だから、止まったって、休んだっていいのさ。旅は、時々休まなきゃやってられないだろう?休んだら、また歩き出せばいいさ。」
彼は私に向かって優しく微笑みながらそう語った。私も釣られて頬をほころばせつつ、別れを告げた。
「ありがとうございました、終焉さん。また、いつか、来ますね。さようなら。」
――私よ。どうか待ってておくれ。私が見つけるその日まで。
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