猫の逍遥

 行き交う車の音で目を覚ました。空の真ん中にいるお天道様は、暗い路地裏の隙間を容赦なく照らしている。僕は気怠い身体をふるい起こし、散歩に出かけた。


 路地裏を抜けて、大通りを歩く。むせかえるほどの雑踏が僕を見下ろしながら、通り過ぎて行く。彼らは僕を避けて、歩き続ける。なんとなしに、「にゃあ」と、鳴いてみた。振り向く人間はいても、わざわざ近寄ってくる人間は一人もいない。確かにそこに僕がいることをわかっているのに、誰も僕に構いはしない。行き交う人間は、共にすれ違う他の人間のことを気にしない。そういう意味で、僕と人間は同じ存在だった。互いに構わず、構われない。僕は雑踏の一部になっていた。


 カラスがゴミ箱を漁っているすぐ横を、絶え間なく人間が往来する。あのカラスは自分のすぐ横にいる恐怖を享受し、ゴミを漁っている。それは、カラスが人間に構わないように、人間もまたカラスに構わないことをよく知っているからこその行動であった。僕とカラスもまた、同じ存在であると思った。


 相変わらず車の駆動音が耳につく。車は恐い。注意を向けずにはいられない。僕にとっては人間も恐怖の対象だが、車はその比ではない。人間から見ても、車は恐いはずだ。構わずにはいられないだろう。しかし、歩道にいる時、車はその限りではない。その時だけは、僕と人間にとって、車はただの風景だ。すると、この雑踏の中の人間からすれば、僕とカラスと他の人間と車でさえも、同じ存在ではないか――。構うに値しない、ただの風景。


 道行く僕は確かに生きている。車は生きていない。でも、僕も車も、動いている。僕は鳴くことができる。でも、車だって重々しい機械音で鳴く。僕はこの雑踏の中で、生きていることの証明ができない。雑踏の中では、僕もカラスも人間も車も、やはりただの風景にすぎない。動く屍だ。


 僕の目の前で、男が立ち止まった。とっさに店の軒下に避け、様子を窺う。男は、逆方向から歩いてきて同じく立ち止まった女と挨拶を交わし、ほんの少し言葉を加えた後、別れていった。どうやらあの女は、先の瞬間、男にとって屍ではなかったようだ。構う対象であった。僕やカラスや車や他の人間とは明らかに異なる存在。あの女は確かに、生きていた。


 夕日で空が朱く染まる頃、決まって僕は路地裏に面した民家へ寄る。「にゃあ」と鳴いてから暫くして、ギィ.......と古めかしい音を立てて裏戸が開いた。出てきた初老の女は、慣れた手つきで僕に夕餉をくれた。夢中でそれにありつきながら、僕は今、この女の前で、確かに生きているんだと思った。女が優しく僕の背中を撫でる。愛おしそうに、あくまでも優しく、僕に構ってくれる。僕はくすぐったそうに身をよじり、それに応えるばかりだった。



 


 



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