4-5 その名前を呼ぶ
裸足で駆けあがる中で、ノアは外の冷えを感じながらもただ上を目指し続けていた。
陽の光が差し込む。ゼーオルグの言葉が現実味を帯び始めているを気にかけないようにしながら、自身が駆けあがる足音と呼吸だけに集中する。
――上には誰もいない。
金属塔の頂上部は、先ほどの戦いで大きく崩れた場所や、ヒビがいたる所に入っていたが子供一人が降りても支障はない。
ノアは一か所に魔法陣のようなものが刻まれている部分を見つけた。集中が切れてしまえば、戦いの負傷の痛みがよみがえりそうになる弱気を、振りほどくようにそこへ向かう。
突然強い風が吹くことなどを警戒して、円盤を刀の形状にし、杖のような役割を持たせながらゆっくりと近づいて行った。
彼にはどのような意味のあるものかは分からなかったが、それはここまで来た事を徒労に終わらせたくない意地のようなものもあった。
「シュピリーや、キュラーが。おれを騙す意味はねえ。よな」
叫びそうになるを手前で止め、思考を言葉にして自身を落ち着ける。
「精霊達は、全員解放した。解放したから金属塔はもうこれだけで……そうだ、それならなんでこの塔だけが残ってる」
解放と共に消失するのがこの金属塔であるならば、
そこまで考えて、ノアはナハトが自分へ言い放った内容を思い返した。
実質貴方に宿る力は、私達の力を奪った形だもの。
そんな貴方をそのままに、受け入れられる事はなかったでしょうね。
貶められた精霊を浄化する力、肉体の組織を回復・補填する力。
とっくに寿命を迎えていてもおかしくなかった少年が、ここまで生きて来られたのは後者の能力によるところが占めていた。
それを手放せば、今度こそ。
少年は力の返し方を、薄っすらとだが予見していた。
過去、プロトガルムでの出来事を逆にたどればいいと。
「力、捧げた代替で、あいつを取り戻すことも出来るんじゃ……」
ただ一度しかない、命を懸けた勝負を前に少年は尻込みをする。
確実に少女が現れる様な方法がないだろうかと考えをめぐらすが、何も浮かばない。
「ここまで、来たんだ。来たのに……」
自分ですら自分を認められないような暗闇の中で、出逢った彼女の事を思う。
たったわずかだけ一緒に行動した記憶だけが、心の奥底で鮮やかに輝いている。
ノア。
彼女がその名前を呼ぶ。
その呼びかけに、胸をはって返事が出来るように。
たとえ次の瞬間にはこの身が朽ちる事があったとしても。
アトリの呼びかけに、堂々と向き合える自身でありたいから。
「名の元に契約を。理の制約を。我らの魂に盟約を。其は連綿と続きたる者。今数多の祈りを糧に、彼の者の標となれ。
塔の下にいる精霊は、その祈りに応える。
少年は、詠唱と共に己がいつか授かった力を元の。
大元の主へと返した。
幾重もの青白い光が、少年の周りでまたたく。その鮮烈さに彼は目を開けていられずに瞼を閉じた。
数秒ほどの輝きがおさまり、ノアはおそるとまた周辺をみる。
懐かしい、青のワンピースを着た黒く長い髪の少女がそこにいた。
最後にその姿を見た時の様に肩の部分は血で汚れていたが、佇まいは紛れもなく。
「……アトリ。なのか」
「ノア……、ノアなの?! 良かった、生きてる!」
アトリはそう言いながらノアに近づいていく。
止まっていた時間が動き出したその姿に、少年は思わず彼女の手を握った。
「あんたこそ、怪我大丈夫なのか?」
「うん。服に血はついてるんだけどね、痛くないんだ。傷塞がってるみたい。なんかノア雰囲気少し変わった?」
そう言いながら少女は元気よく腕を振り回す。
「そりゃあな。もう十年経ってんだぞ」
「ええっ?!」
「色んなヤツに会ったりとか、とにかくさ。あんたに会うの大変だった」
緊張が解け、彼は涙腺がゆるみそうになるが、やるべきことがまだ残っているとすぐに思い直した。
「アトリ。塔を出よう。この塔はじきに崩れる」
少年は再び螺旋の階段を、アトリを連れておりていく。
金属塔の外壁が消滅を開始しはじめ、所々の破片は地面へと落ちていった。
ノアとの走りの差が出るを見ると、アトリは自分の履物を脱ぎ始め、追いつこうとする。
ゼーオルグに斬られた箇所が痛み出した彼が動きを鈍らせ踏み板から足を踏み外しそうになれば、少女はすぐさま抱えあげて体勢を戻した。
彼らと戦った広間に出る。ナハトは先ほどの体勢のままこと切れている、駆け寄れる時間もない二人は、その姿を見やりながら移動を続けた。
走り降りていく二人は、急に立ち止まる。
階段が、途中で途切れていた。
正確に言えば何十段も離れた位置には存在しているものの、かなりの距離が出来ていたのだ。
「どうして?!」
「……。……! ゼーオルグの砲撃か」
相対した時、彼は装填済みの砲撃を放っていた。
ノアは自分に向けた攻撃だとばかり思っていたが、そうではない。逃がさぬように、退路を断ったのだ。
下と階段が繋がっていないということは、金属塔の中間部分の床がそのまま螺旋階段の支えになっている。消滅の速度から、じきに落下することは明らかだ。
ノアは円盤を取り出し、梯子を展開させて僅かばかりの距離を埋めながらどうにか降りる手段を探る。
行きはまだ小柄の少年のみであったが、今は二人いることもあいまり階段は揺れる。
降りれたとしても、上の階段が落下するのは必定だった。
「あいつ、すげえな」
「っ精霊を解放したんだよね。待ってね、私もう力もないし。だから……呼べるかなんて分からないんだけど。言葉ならまだ覚えてるのがあるから」
アトリは自分が今知る精霊術の言葉を、今の状況を打開できる精霊の事を思い浮かべながら音を紡ぐ。
「名の元に契約を。理の制約を。我らの魂に盟約を。其は地に根付きたる者。共に奏でるは繚乱の、朽ちぬ花が咲く調べ。歌え聖域」
少女の周りは以前とて変化はない。
「アトリ、とにかく降りる。俺が先に飛び移るから」
「その後に上から階段が落ちてきちゃったら意味ないよっ今どうにかしなきゃ。名の元に契約を。理の制約を。我らの魂に盟約を。其は」
「落ちて来たって途中で止まったり、ぶつかった衝撃で落ちる方向が変わるかもしれないだろ。このまま止まってたらそれがまずい」
少女の言葉に受動的であった少年は、今では自身の意見をしっかりと伝え、多少の危険も想定しながらもそれを含めて進むことを話す。
「……。ノア、本当に。成長してるんだね」
梯子から一番近い踏板の所へ飛び降りる。ふらつきながらもどうにか着地すると、アトリの方へ向かい両の腕を広げる。
彼女は長い裾のスカートを結び、少年の元へ飛び込んだ。
アトリを抱きとめる反動で後ろへ倒れ込みそうになったが、身構えていた分もあり足を踏み外すという事もなく二人とも着地が叶うと、一刻も早く下へ降りる為に足を動かす。
ここまでの疲労の累積から、何度か落ちかけそうになる少年を、少女は同じ回数だけ支える。
そして、塔全体が一度激しく揺れ、今まで規模を上回る大消失が起こった。金属塔の外壁が失われた事でとうとう上部分の階段が落下する。
落下物の直撃こそ免れたが、それによって二人は階段の外側へ投げ捨てられた。
少女を離すまいと、ノアは自分の元に強く抱き寄せ、頭まで覆う。急速に落ちる中で、彼はとても目を開けてはいられなかった。
彼が自分を緩衝材にしようとしている事を感じ取ったアトリはほどこうとするが、想像以上に力が強くそれは叶わない。
少年達は空から落ち、大地への到達を静かに待つ。
二人は、目を閉じた。
暗闇の中。二人は自分達を抱きとめる様な感触を感じ取る。
むせかえる様な花の匂いと、女性の声。
そうして、もう一度振動が起こったのちに、草のじゅうたんに着地した。
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