4-4 金属塔

 ノアは途中から靴を脱ぎ捨てて走った。

 キュラーによって再構成された螺旋の階段の面は平らで、駆けあがるのであれば素足の方が勝手が良かったからだ。

 今が何段目かは分からず、外から光が入り込んでいるとはいえ足場を見るには薄暗い。

 その中でひたすら足を動かし、荒れる呼吸を気にも留めずに進んでいく。


 目的の中間部にあたる天井は、近づいて行くにつれて四角く切り取られた侵入口を見つけた少年は、階段が生成されるよりも早く蹴り上がりよじ登る。


 ノアは乱れた息を整えながら、必死に辺りを見渡す。

 そこにいたのは、片腕に大きな砲を装着した大柄の男と、彼のよく見知った容姿の少女であった。彼女の両の目には包帯が巻かれており、錆色のドレスの装いをしていた。

 少年は呼吸がまだ上手くいかないままに、二人のいる方向に向かい叫んだ。

「アトリ!」

「ごきげんよう。こうして貴方と出会うのは初めてだわ。私はナハト。アトリの残骸。あの子だと思った?」

「……っ、シュピリーや、ルークから。話は聞いてる。どう、やってここまで」

「貴方達が知らないのは無理のない話ね。この金属塔に自由に行き来が叶うのは、世界で私だけだもの。むしろ、貴方達の手段こそがイレギュラーなんだわ」


 目元は包帯で覆われているが、ナハトを名乗る少女は正面にノアを捉える。

 大いなる存在……その使者のなりぞこないとて、造られた者として授かった力はこの塔に受け入れられ、領域へ踏み込むを許されているのだと少女は主張していた。

「自由に。行き来……出来るってのが、千機の支配者ナハトスティルタの力に起因するものなら。おれは、すぐにでも……ここに来れていたのか?」

「肯定と否定での判断であれば。否定するわ。アトリなら来れていたのでしょうけれど、実質貴方に宿る力は、私達の力を奪った形だもの。そんな貴方をそのままに、受け入れられる事はなかったでしょうね」

「そりゃ、なによりだ」

「残念なのだけど。貴方はここで、おしまいなのよ」


 ゼーオルグは、隻眼でノアを見た。溢れ出る殺気に、冷えていた空気がさらに凍てつき始める。

 男は右の腕に取り付けられた大砲を、彼のいる方向へ定めた。下から階段が生成されつつあるが、現段階においては、広間に遮蔽物はない。

「理由は」

「お前にあるその力を、この子に返してやるんだ」

「返すにしても、それはアトリにだ。そこにいる奴にじゃない」

「この子にしか返せないぞ。ノア。と言ったな。この塔にいるのは、俺達だけだ。君の探している娘は」


 青色に発光しながら、エネルギーを充填する音が建物の中を反響していく。

 セーオルグの落ち着きのある声に、少年は最悪の事態が脳裏をかすめた。

 螺旋階段は規則的に、さらに上へ上へと生成を続けられていく。

「生きてる」

「どこにもいない」


 目を潰す様な閃光が起こると、鼓膜を突き破る破壊力を伴う巨大な音と共に、爆風が巻き起こる。

 どのような武器でも傷ひとつつけられなかったはずの金属塔の床はその衝撃で大穴を穿たれた。少年の小さな体もまた吹き飛び、固い壁に強く打ち付けられた。

 痛みに気が遠のきそうになるをこらえながら、ノアは男を見据える。

 ゼーオルグは佩いていた湾刀を抜き、築かれた階段を塞ぐようにして立つ。


 昔の自分には今の自分がどう映っているのだろう。

 男が一歩少年へ近づくたび、その様な意味のない思考が渦巻いていく。

 愛する人々の為に、命を放った。自分の治療の為に、誰かが犠牲になるを厭うた。

 少女を掬い上げ、地上を目指した。共に連れ立って、それだけで良いと思った。

 彼女から自身の余命が告げられてから、変わった。


 幾たびかの自問がもたげるたび、用意していた自答をする。

 近々必ず来ると己でも予期していた別れを前に、何故今更あがくのか。

「死ぬのは俺が先だと信じていたからだ」


 彼は湾刀を振り下ろしながら、右腕の大砲への補填も始める。

 少年は即座に円盤を取り出し、刀の形状にすると攻撃を受け流した。ぶつかり合う二つの剣戟は鳴りやまないものの、ノアが押し負けつつある。

 赤輝石と見まごう少年の瞳は、まっすぐに男を映していた。


 体力に圧倒的な差がある事は、誰が見ても明らかであるのに。

 圧倒的な力に屈さず、置かれている状況に絶望せず、苦境に立たされてもなおも闘気は消えない。

「会いたい者の為、か。ならばきっと、君は諦めないのだろうな」


 吹き込む風や小さな破片がつぶてとなり両者を襲うが、当人達は互いだけに集中している。

 力の限り振り下ろされる湾刀を、ノアは彼の潰れた右目側の方へ避けた。


 長期戦は望めない。と、ノアはゼーオルグに一気に接近する。

 自身より小柄な相手に対する無意識の油断か、力に任せがちであった湾刀の軌道は単調になるタイミングがあった。

 その一瞬を捉え、少年は左手を傷つけることに成功するがそれでも男は柄を力強く握りこみ離さない。

 どうにか男から湾刀を手放させようと、左腕をけたぐってみせると相手は手の力を一瞬緩めたが、すぐに握りを強くして手首を返し少年の足を斬りにかかる。

 斬られた箇所から血が薄らと滲んだが、彼は依然として眼前の相手にひるまない。


「……。俺も、君も戦士ではないだろう。戦いに楽しみを見出す思考など、到底理解できん。この上に待ち人がいると、信じているのだったな」

 ゼーオルグは、次の砲を撃つ準備が完了した右腕を頭上へと伸ばした。


「やめろっ」

「この戦いは、君に諦めてもらうのが一番早いらしい」

 二度目の砲撃が、轟音と共に為される。


 空気が震動し、金属塔の天井部からの瓦礫の雨が注ぐ。

 ゼーオルグはナハトを降り掛かる金属片や瓦礫の鋭い部品から庇うように守る。

 ノアはキュラーにより生成されていた螺旋となる階段の踏板の下に潜り込んだ。


 男には、次の少年がどう行動するかは予想がついた。この砲がある限り、上へ行ったとて自身もろともに破壊される。

 戦わざるを得ないのだ。何もありはしない場所へたどり着く為に。


 胸中でそう考えているゼーオルグに、おもむろにナハトから声がかかる。

「一つの出逢いが、その後の生き方を決めてしまう。二人は、そうなのね」


 荒々しい崩落の音に掻き消えそうな少女の声音に、男は懸命に耳を傾けた。

 自分の為に見ず知らずの青年を斬り、今もまた少年を手にかけようとする。

 それらは、自分達が生存する為に出来る唯一の手段であった。ナハトもまた、彼の行動に自分への情があればこそと理解していたし、喜ばしいと感じられたからこそ止めずにここまで来た。


 先ほどの戦いのさなかで、自分との世界の中では聞けなかった彼の思いに、彼女は触れた。

「そんなに、おそろしいのね。私の肉体が、ゼオンよりも早く壊れてしまうということが」


 彼が、日を追うに連れ精神が摩耗していく姿を、少女は間近に見てきた。

 その先に共に在れる未来を築けるのであれば、それはきっと素晴らしいことなのだと。閉ざした思考があったことに彼女は気づいた。

「私、ゼオンの話す、生きていたいという言葉。上手く分からないままだったのよ。でも、誰かの身体を損なわせる事は、貴方を一生苦しめるような事なのだと。私が早く理解するべきだったのね。元々、貴方は人を傷つけることに向いていない人だと、私が一番よく知っていたのだもの」


 ゼーオルグの腕の中からナハトがすり抜ける。

「もう、いいわ。身体がなくなったって、私達は大いなる輪の中に還り、新たな命として生まれ変わるんだわ」

「俺は、今を」

「大丈夫。私達きっと同じ夢を見ましょうね。夢見るようにして目覚めたのだもの。今こうしている私も、幻みたいに軽やかで、飛んでしまいそうよ?」


 ナハトは心を寄せる男の苦悩に歓喜と悲哀の混ざる矛盾した感情を抱き、自分の欠片との再会の為にここまで訪れた少年の命を奪うを惜しみ、身体の軋みの限界を感じながら。

 処置の機会を逸しつつあるその身をもって、拙く歩き、共に歩んできた男に相対する。そうして彼女は、まるで踊りを誘うように、あくまで表情は普段と変わらぬ笑みのまま。渾身の力を込めていることなど感じさせない優美な所作で、彼を手招く。


 ゼーオルグは彼女の方向へ自然に駆け寄った。

 そんな彼の頭上へ、ひと際大きな瓦礫が落下する。


 不意の出来事に男は対応が遅れ、咄嗟に大砲を構えようとする中で共に過ごした少女の姿を視界にとらえた。


 ナハトは唇をかすかに動かす。

 それを読み取った男は構えを解き、苦痛の音を漏らさないままに彼女の選択を受け止めた。


「あいしてる」

 ナハトは自分にある感情をその言葉でかたどり、糸が途切れたかのようにその場にしゃがみこむ。

 目元の包帯をほどき、瓦礫に寄り添いながらノアの方へ声をかけた。


「貴方がもっと、ゼオンに似ていなければ良かったのに」

「……あいつの顔で泣くなよ」

「不思議だわ。すぐ会えるって分かっているのに。ゼオンがいない時間があるだけで、こんなに寂しいのね」

 少女は自分の頬をつたうものを拭いもしないまま、眠るようにしてその場を動かない。


 少年はそれ以上かける言葉を見つけられず、穴の開いた天井を目指してまた階段に足をかけていった。

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