4-2 スカーレット・フォーカー

 人々の間で騒然となった学術都市ホートワープの奇妙な事件の話も風化し始め、季節は夏の終わり頃に差し掛かっていた。

 陽が沈む時間が遅くなり、暑さも落ち着き始め、緑の木々は数日の間を置いて黄色に燃え広がるだろう。

 王立図書館へ続く大通りのベンチに、ディアは憂いを秘めた表情をしていた。

 ホートワープの一件の後、ノアは姿を消したのだ。

 せめて彼の安否を知る事が出来ればと思うのだが、ディアも中々それに割く時間は取れない。


 こういう時に、頼りになりそうな相手を考えると、ある商人の顔が浮かぶ。連絡手段を聞いておけば良かったと、後悔するのは今更だ。

 ようやくトルレイユにも電話が取り入れられ、ディアは早速使用したが、電話口に出たロジェという青年は少年の不在を伝えるのみだった。

「まったく……相談をしろと言ったのに。まあせっかく取れた数日の休みだ。探すとするか」

「どうしたんですか、ディアさん」


 俯いていたディアはその声で勢い良く顔を上げる。

 見た目に暑苦しい厚着も、紫髪の商人の姿やその言葉遣いも、彼女には懐かしい。

「疾燕」

「お久しぶりです。……っとこちらから尋ねながら申し訳ありません。今仕事の途中ですので」


 そう言いながら立ち去ろうとする疾燕を、彼女は慌てて引き止める。

「疾燕。それが終わってからで良いんだが、話せないか?」

「うかない顔をされていますね。そうだ、気分転換に今からあっしとフェデスへ向かいませんか。仕事もそれで片付くのですが」

「あ、ああ。構わないぞ」




 晩秋から春頃にかけて吹く風は殴りつけてくる様に強いが、今の季節は人々が心地よく過ごせるまでに弱まる。

 大きな風車と、紐でまとめられた小プロペラの回る音は、自然が歌っているようだ。

 ホートワープより北へ舗装された道を馬車で数時間の場所に、フェデスの村は存在していた。

「風の村フェデス、か。にしても疾燕、この服やはり動きにくいんだが。めくれる……」

「よくお似合いで」


 風が起こる度に舞う、長いスカート丈のドレスにディアはそんな感想を述べた。

 彼女は普段胸元まで覆い隠す白い外套を纏い、ズボンと履いて髪を束ね、中性的な雰囲気の漂う姿だ。けれど今はレースあしらった薄黄色ブラウスと、焦げ茶色のドレスの重ね着により、女性としてのラインが強調されている。艶やかな金糸は歩く度に輝き、体からは昼に飲んだ紅茶の香りを漂わせていた。


 疾燕は両の手をポケットにしまっている中年の男性へ会釈をする。身なりのいい男はディアを見ると、彼女の凛とした顔つきとその美しい姿を見て何度か頷いた。

 この感覚を、彼女は知っている。そう、例えば母親に騙されて見合いの席を設けられた時の様な。

「はじめましてお嬢さん。実は君の母上様から私の息子と見合いのはな」

「疾燕っ私をたばかったな?!」

「人聞きの悪い。いやあ、拍子抜けするほどあっさりとついてきていただきましてありがとうございます。さてと、お仕事完了で」


 男の言葉が終わる前に、ディアは疾燕に抗議した。予想外の繋がりに動揺を隠せずにいるものの、彼女はまずこの事態をどう回避するべきか知恵をふりしぼる。

 当の本人に相談もなしにいきなり縁談の話を持って来たのは、これがはじめてという訳でもない。相手方になんて迷惑を掛けていくのだろうかあの母親は。などと心中で悪態をつく。


「私の母親が、何を言ったのか存じませんが」

 疾燕は、報酬分の仕事を果たせて満足気にフェデスの宿屋へ向かう。……向かおうとした、けれども突如彼の腕にディアが絡む。


「私は今、心を寄せている方がいるんです」

「まさか、その」

 身なりのいい男がはっとした様子で、疾燕を見る。

 驚愕の色を隠さぬその表情に、商人は思いっきり首を横に振った。


「いや! あっしは関係ありませんよダンナ。ディアさんも、そんな冗談よして下さい」

「私こそ冗談ではない。君には文字の通り、地獄に付き合ってもらう」

「そこに行くのはまだ先の予定ですよっ」

「疾燕さんどういうことですかな!」

「ダンナまで?! ぐっ、茶番を……」

「修羅場か?」

 お互いに言い合いをしているディア達に、第三者の少年から不意に声が掛かる。

 ノアは、手に棒状の揚げパンに砂糖をまぶした菓子を持ちながら村をぶらついていた。

 ディアと疾燕が少年との再会に目を輝かせる。彼女は少年への懐かしさから、彼は少年の追う不可思議な道具への興味からであるが。

 そして身なりの良い男は、いぶかって彼女へ囁く。


「セルベルクのお嬢さん。彼の噂をご存知ないのですか?」

「噂?」

「彼が目撃される村や町では、奇怪な出来事が起こるのです。遠方の石壁の町では季節を無視した花が狂い咲き、巨大なつるが民家に巻かれた件の犯人だとか。あの学術都市の事件にも関与している疑いがありまして」


 男の話ぶりから、各地で起こる奇妙な現象の原因は彼にあるとされていた。その論は確かに外れてはいないが、悪意を含むものいいに、ディアは口を曲げる。

「彼は私の友人です。私の前で友を侮辱する発言はやめていただきたい」


 温度のないその言葉を聞くと、男は慌てたようにその場を取り繕ったが結果は芳しいものではなかった。

 彼の体裁や、見合い相手を自分の母の思惑に巻き込んだ責として、ディアは夕飯だけでも付き合う事にして彼に同行した。

「さっきのやつ、クオーツ・フィテーレだろ。教会がここまで布教活動か?」

「ついでに息子さんのお見合いもするみたいですが。ノア殿は一体?」


 ホートワープの事件の後、疾燕はノアからプロトガルムの終焉を聞いていた。

 崩落の日の出来事は、精霊によるある種における気まぐれである。


 突拍子もない真実にルークは混乱と拒否感を強め、受け入れるに時間が掛かる仕草を見せていた。疾燕も似た感情が押し寄せはしたが、自分よりも取り乱している彼を前に冷静ではいられたのだ。

 故郷はもちろんのことルークにとっては父親、疾燕にとっては四肢を喪った。そして、その後を過ごすこととなった理由に、これ以上の真実は存在しない。

 谷を挟んだ向こう側の景色に、うっすらと地上から遥かな天空へ伸びる一つの塔を、二人で眺める。


 ノアは残りの揚げパンを食べ終え、包装紙を丸める。

「そういえばやや見慣れたオートマタが」

『さっさと戻って来いガキ』

「ふむ。面白そうなのであっしも野次馬したいです」




 シュピリーの家の煩雑な部屋で、不機嫌そうにタイピングをするスカーレットは二人の気配に気づいて視線を向ける。

「っんで呼んでねえ奴まで来てんだごらぁ!」

「はじめましてスカーレット殿。ははあ、女性の方でしたか。あっしは今回ノア殿の連れですお気になさらず。シュピリーさんこんにちは」

「はーい疾燕さんこんにちは。ついでに身体メンテします?」


 シュピリーは疾燕の身体の半分以上を機械化させた整備士その人だ。

 疾燕にはナイブス・ワイズシルトという本名がある。学術都市における教育機関にて優秀な成績を修め、その後も専門分野の知識をもって社会的貢献が認められた者へ送られる苗字がワイズシルトだった。

 知の番人、叡智の守護者とされた者の喪失をおそれた都市の役人が、瀕死であった彼の治療を依頼して唯一手をあげたのはシュピリーである。

 素性も力量も推し測れないシュピリーという男に担わせるにはあまりにも名の通った人物ゆえに、渋るものもいたが手段を選べないことはその場にいる誰もがはっきりと理解していた。


「エー……。久しぶりのこっちだからどこまで医療技術が発展してるかよく分かんねえな……。とりあえず治癒と鍛冶の精霊に祈祷するっていう所にさせていただきます。部屋の中は絶対覗かないで下さい。ワタシの気が散ったらその人間が命を奪ったと認識いただきたい」


 祈祷と言う名の静謐なる祝詞キュラスハーツの発動によりまず一命をとりとめ、オートマタを素材とした義手義足生成手術した。その後疾燕の整備中にノアが訪れることで彼らは互いに知り合ったのだった。


 ノアと疾燕が互いに談笑しているをよそに、シュピリーはスカーレットを見つめ続けていた。

 彼女の赤い瞳は言語を追い、手はスピードを全く落とさずにひたすらに作成する姿から視線を逸らせないでいた。現に彼女の集中力はかなりのもので、後ろの話し声や生活音など完全にシャットダウンした空間にいるかのようにすら男は錯覚する。


 精霊に好かれる者がいるように、彼女は"機械に好かれていた"。

 彼らがどんな形になりたいかが分かり、それの導くままに組み立てる事もあれば、彼らの扱う言語に少女は合わせ、画面に浮き出る文字を学ぶ事で造詣を深めた。機械の鼓動や血脈を彼女は確かに感じながらなぞり、常人で至れない境地へ自身を追いやっている。

 欠損していた左腕には、彼女で想像した義手がシュピリーの意思により装着された。


「ま、こんなところだな。義手の使い心地もわるかねえ。だがなあシュピリー! アタシはなあ、本物の腕を寄越せつった筈だぞ!」

「……私の遥か上を行く技量ですね」

 モニターに表示されていた命令系統の文面が、端的により正確な指示の表記に書き換わり、他のモニターでは全く新しい言語で一から組み直されているものもあったがその式の美しさがシュピリーには伝わった。


「皆、願いを捨てられない。諦められない。……少なくとも、ワタシは」

「その願いが人をテストする事ってか。意味分かんねえな」

「アナタを待っていたんですよ。アナタは覚えていないのでしょうが。ま、約束は守りましょう。今後のワタシの顧客の義手の維持や管理はお任せします」

「テメー今とんでもなくめんどくせえこと頼まなかったか」

「アナタは、自分の力量で手に入れたその腕と、どうなるのか分からない生きた腕。どちらがいいか再考なさい」


 疾燕はノアとの今後の関わり方を考えていたが、再び会った時に気まずさよりも喜びをより多く感じたのだ。それを自分の答えと信じられた。

「ではあの塔へ向かう訳ですね。近くで行く末を見届けさせていただきますよ。ノア殿」

「ああ。なんていうか……ありがとうな、疾燕。あんた達、本当はおれに聞きたい事も調べたい事も山ほどあるだろうにさ」

「ありますよ。けど、大事な人に会う為に、ノア殿が懸命であったのも知っていますからね。その後で、でもいいですよ。あっしは」


 ノアと疾燕の間を、キュラーは悠々と泳ぐ。

 髪をなびかせ微笑む彼女の幻想的なありようを、疾燕はまじまじと見つめながら対話を試みた。

「こうして視認できる精霊殿は初めてです」

『あはあ。見せるのよう。昔はねえ、精霊に人身御供で若い女の子を捧げててねえ。だからかしらあ。人に姿を見せる力を持った子はあ、大体みいんな若い女の子なのお。本当はもっとすごい形にもなれちゃうんだけどねえん』


 人あらざる十字の虹彩がぎらつく。精霊の話を聞いて疾燕は精霊信仰にまつわる習わしを記憶の知識の中から取り出して、今の話に合点をいかせた。

 ノアは円盤を腰のポーチに収納し、金属塔へ向かう準備を整える。

 ふと、昔は聞く機会を逸していた疑問が浮かび、少年はキュラーへ問いを投げる。

「そういや聞いたことがなかったな。シュピリーは、なんで精霊機械なんて作ったんだ」

『単なる二択だったはずよお。地下の繁栄の為にい、地上を制圧して人間を労働力にするか。精霊術や封印術を行使して、精霊を労働力にするか。アタシだって同胞は裏切れないわあ。シュピリーちゃん人間だものお。後者を選んでもアタシ、納得いっちゃったわあ』

「……。それはあんたにとっては精霊を裏切る事にならないのか」

『アハハ。あたし、力は貸してないわよお。妨害もしないわあ。精霊を支配しようとする人間の歩みや挑戦、あがきなんていうのは見るに限るのよ。ナハトちゃんもあたしも人間に興味はあるけどお、あの子と違ってあたし、そーいう傲慢さも好きなのよお』

 あの子は急に人に興味を持ち出して、すぐ失望したみたいだけどねえ。

 間延びした口調でそう述べたあと、精霊は不敵な笑みを浮かべる。


 ノア達にシュピリーが気だるげに近づいてきた。

 少年と一度目を合わせると、男は長年連れ添った精霊に視線を向けた。

「んじゃ、行きますよ」

『あは。ふぅん、そお……。…………。…………シュピリーちゃんがそれでいいならぁ、あたしはそれを聞いてあげるだけなんだわあ』


 意味深な間を持たせながら、キュラーは静かに、しずかにそれを受け入れた。

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