3-6 隠れ里トルレイユにて

 目を覚ますとおれはどこかへか運ばれていて、周りのあわただしい喧騒をよそにシュピリーはのんきに飴をかじっていた。


 木と土の香りがする。瞼を閉じているのにまぶしいのは、燃える星が近くで光っているからだと誰かが言った。ここはトルレイユという里だとガンドナという老人に教えてもらいながら温かい食事をする。

 あの出来事がわるい夢かのように思うほど、トルレイユでの暮らしはプロトガルムでの生活と共通するものはなかった。大昔に戻ったかのような生活水準だが、不自由や不便さは思う程ない。三日もあれば適応できそうだ。

 アトリの行方について聞いても、誰もが首を横に振った。


 ガンドナは、人の命より尊いものはないとよく話したけど。


 尊いものというのは、飢えや寒さや明日も生きていることも疑わないでいい暮らしができる存在のことだ。

 自分に高い付加価値が与えられていることを自覚し生きる、一握りの人間達の呼称だ。


 そういう人間だからこそ、周りはうやまい育てる。

 人々の愛情をあるがままに受け入れたそれらは素晴らしい人物へと成長する。

 だから、おれの命は尊くない。そう言うとガンドナは、手を差し出したので俺は手のひらを重ねた。自分と異なる熱を感じる。

 しわくちゃな肌を見ていると、ガンドナはまぶたをゆっくり閉じて首をゆっくり横に振った。


 富める者も貧しき者も健やかな者も病める者も、儂もお前さんも命は誰もがひとつきりしか持てん。この煌めきがいつかは大地へ還ると分かっていても、長く共にありたいと願わずにはいられないんじゃ。


 あまねく人々の命。

 きっと、ガンドナが一番大事にしているものごとだ。

 こんなにも人に柔らかく触れる相手をおれは知らない。


 人が寄り添えば温かく、理由もなく安心する。

 ただの、人という動物としての反応だ。一緒にいるように感じるだけだ。


 皆がずっと一人きりだ。

 誰もが広い世界の上で孤独に立つ。


 生きているだけで良い、だけじゃおれは嫌なんだ。

 意味がないまま終わるなんて。価値を与えてくれた、あいつに会いたい。

 いつだって逃げて諦めたかったおれが、変わったもんだ。

 救いがないことは知っていたから、せめて苦しみが少ない方へ駆け出して。

 痛みを感じない場所へ。思いすら捨て去って。


 おまえがいたから、おれは少しだけ。勇敢なふりができた。


 命以上に価値のあるものは、おれはあると思う。

 おれにとっては、あいつがきっとソレだ。


 そうだ、死んだんだっけ。あいつ。

 ちゃんとみてないから、もしかしたら顔をあげたらあの窓の端から能天気な笑顔を向けてきそうだって。思えて。


 良い奴だったのにな。




「生きてますよ。アトリちゃん」


 シュピリーがそう口を開いたのは、おれがようやく走ったり物を運べたりと一応の全快をみせたころだった。

「そびえる金属塔のどこかには。塔は精霊機械の数と同じですから、おそらく各精霊に対応しているのでしょう。千機の支配者ナハトスティルタは正しく解除しろと訴えている。クソみてえな機械の破壊をしたと気づいたとみていい。最後に残るのは千機の支配者ナハトスティルタの金属塔になるはずだ。協力するのでしたら、塔が一つになった頃キュラーが塔の扉を作りますが」


 血が頭を駆け巡る感覚。おれは沸騰するような体で、力任せにシュピリーに襲い掛かった。

 組み敷いて近くにあった果物ナイフを手に取り、精霊機械に携わった男の心臓へ突き立てる。

「精霊機械なんてモン作らなきゃ、こんなことにならずにすんだはずだ。あんた、まさかなんの責任もとらないで生きてくつもりじゃないよな。どれだけ死んだと思ってる。科学者はそんなこと考えなくていいって理屈を投げて、おまえが他の奴らが過ごせなかった未来を生きるつもりか? ふざけてんのか」


 強く握りすぎている手は更に柄へ力を込める。

 切っ先は、みっともないほどに揺れていた。

「考えなければならないのはアナタだ。彼女を諦めて平穏に暮らすか、彼女を諦めずに身を焼き続けるかのどちらにするのかと聞いている」


 アトリとの再会の手段を知る唯一の人間。

 それを自分の手で台無しにするわけがないと分かっているかのように、シュピリーは淡々とおれに問いただす。

「アナタは千機の支配者ナハトスティルタの介入があって、精霊の属性が付与された。けれど素体に大きな改ざんを働いてはいない。アナタは依然としてだだの小さく非力なセレクトドール。寿命設定スタンダード。スタンダードなんです。この意味分かりますか?」


 眼鏡の研究者は、片手を大きく広げる。

 どういう意味をもったものか、おれにはすぐ分かった。

「アナタの耐用年数は五年。製造年月日から計算すればアナタの余命は三年です。プロトガルムのことを誰も知らない。アナタは彼女を忘れて、一人の人間として平凡で退屈で穏やかな日々を送ることができます」


 力を抜くと、そいつはおれを押しのけて、遠くに見える金属塔を眺めていた。

「あんた、これからどうしていくつもりだ」

「お勉強のできる人達が住んでるとこに行きます。学術都市に宗教都市に顔は出しておきたい。精霊術を使える人間でも見繕ってワタシの精霊術の知識と機械の技能を継がせられればいいんですが望み薄ですね。うっかりすれば殺されそうだ」

「おれは」


 おれは言葉を発しようとする。

 上手くいくかなんていうのは、あとで考えるんだ。

「おれはアトリに会う。それ以外の生き方なんて願い下げだ」

「ワタシに協力する。という返事でよろしいですネ」

「…………あんたのすべてを、赦したわけじゃない」

「ようこそおぞましく醜く汚れた人の世へ。これからこの世界を生きるアナタへアドバイスをしましょう。あの大騒動のあとです。自身の生まれは秘匿するのが賢明でしょう。それに」


 両親であった人を思い浮かべる。

 人々の眠るあのカプセルの事を、この地上で大事なものを喪った人の事を。

「アナタは非力です。解放の旅路には多くの協力者が必要になる。言葉を交わし、時には行動を共にするでしょう。相手の心の内をまるごと理解しなければ、肩を並べるも背中をあわせるも不誠実などという潔癖と理想があるならここで捨てなさい。アナタはただ生存するのではなく、目的を成す為立ちあがったのだから」


 関係者であるこいつを、ある視点では元凶ともいえる男を、自分の為に仕留めそこなった。

 大勢の人間を傷つけて、泣かせて、苦しませた奴の一人くらいおれでどうにかしてやりたかったけど。

 あんたに会いたいからなんて理由で見逃すおれは、本当にだめだな。


 あんたは明るいから、出来なかったなんて言ってもきっと何でもないように笑うんだろう。

 おれにはもう、あんたを呼ぶ資格はないんだと思う。


 大丈夫。

 やるべきことだけは、分かってる。

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