3-4 キュラスハーツ

 精霊研究区画にて、時間に合わせて天井からは正確な光量が注がれている。

 現在は晴れの昼で風量は並に調整されていたのだが、研究所内のある一室は部屋の主により夜となっていた。月に見立てられた明かりで小さな影と大きな影が一つずつ庭園に照らし出されていた。

 真っ白な花に埋め尽くされた中で、目元を包帯で覆う少女は、鼻唄混じりに花びらを指で撫でてはゼーオルグに質問する。


「ゼオンの義眼と義手はまだ作ってもらえないのね」

「野蛮な方法となるとは聞いているが、なんだろうな」

「シュピリーは静謐なる祝詞キュラスハーツのお気に入り。加えて、彼が野蛮と口にしたなら材料は人間でしょうね」

「そんな馬鹿なことがあるかっ」

 全く予想だにしなかった少女からの答えにゼーオルグは動揺交じりに叫ぶ。

 貴重な部品を使用する為費用が掛かる、高度な技術と扱う人員の確保に時間が掛かるというならまだ分かる。

 名も知らぬ誰かの眼球や腕をえぐり取って、自分に縫い付けるつもりなのか。


 そのような剣幕になる男へ少女は顔を向けると、一度自身の黒髪をいじりながら静かに語りかける。

「落ち着きなさいな、ゼオン。静謐なる祝詞キュラスハーツ、キュラーの性質は代替なのよ。ここの人間は生きながら死んでいる様なもの。死んだとも気づかず生を終える存在だわ。約束や代償に関してキュラーはひどく誠実で、要求の対価に過不足は生じない。必ず貴方に合致した血の通う眼球と腕を貴方にもたらす。神経まで元通りにね。それでも厭うのかしら?」


 目の前の彼女にとって同じ種であり誇りある存在とする語気に、ゼーオルグは冷静さを取り戻しつつあった。

 諭すような語り掛けを自分よりも二回りほど年の差がある少女にされることに、彼は気恥ずかしいものを覚える。

「謝るナハト。仲間を悪く言うつもりはなかった。……簡単に結論の出せない話になってしまったな」

「あの子の仲間ではないのだけれど」

「それと」

「何かしら」

「ありがとう。知らないでそんな方法で戻っていたら、俺はきっと悔やんでいた」

「? 分からないわ。どうしてお礼を言うの? 悔やむのもおかしな話だわ。知らなければ目的は果たせたでしょう」

 目元を包帯で覆う少女は疑問の声を出す。

 彼の目的は自身の身体を以前の通りに戻す事。今話した通り、知らずにいれば目的は果たされたしその後に理解したとして、分かっていなかったのだからそれを非難する者も現われはしないだろう。

 このタイミングで知ってしまうという事態が最も最悪の状況ではないかと考える彼女にとって、礼を述べる相手の挙動は理解の範囲を超えていた。


「伝える言葉をうまく見つけられないんだが、俺の心が知って良かったと感じている。だからこれで良かったんだ。ただ、俺もあっさり諦められんからな。考えるさ。ちゃんと」

「……心」

 ナハトのか細い呟きは、風のささめきに溶け込んだ。




 機械の稼動音が静かに鳴り響く金属の空間は、清潔で衛生面も良好であるが無機質的で冷たく、簡素だ。

 分厚く透明な窓の外は、昼に設定された分の光量が地表を簡素に照らしていた。

 休憩室から、ノアとアトリとサンチェスはその景色を眺めては各々椅子に座り始める。

「地上に出る方法を探しているのですか」

「そう。サンチェスは方法分かる?」

「でしたら心当たりがありますよ。ですがその前に、千機の支配者ナハトスティルタの力を私が使うことを承認いただきたいのです」


 二人が話しを進めていく様子を、ノアはただ眺めていた。

 自分を見つけた、紺青の瞳の、黒い髪の女の子。

 身なりからして自分とは違う立場の人間だと、彼には何となくではあるが分かってはいた。


 同じ年ごろの、望まれて生まれてきたことを疑わないような少女のまなざし。

 相手に両腕を差し出して受け入れていこうとする柔軟さ。

 その全てが今の彼にとっては、ついぞ愛を得る事のなかった己の惨めさをふつふつと思い出すこととなる。


 心臓に小さな棘を刺し植え付けられている様なささやかな不快を覚えさせる。

 奥底にあった疲れが浮かび上がってきて、今さらに足の痛みを連れ立ってくる。

 その様なノアの心情をよそに二人の話はまとまりを見せ始め、互いに席を立ち、向かいあっていた。


「わかった。ナハトに承認してもらった時と同じように、貴方の気持ちを聞かせて。精霊機械から精霊を自由にするように。だよね」

「ええ。――精霊機械を全て壊して私だけが精霊を操れるように」

「……なんだあいつ。今までと話が違うぞ」

 ノアが聞いた二人の会話では、サンチェスの主張は精霊機械から精霊を解放するというものだった。

 サンチェス本人も自身の言動に動揺し、言葉を塞ぎたいかのように手を口元にあてるが、少女はそれを意に介さずさらに問いを続ける。


「契約は偽れないよ。確かに今も精霊の声が聞こえたり、術が使える様な人って少ないから、精霊機械が全部壊れたら精霊の力を使える人は大分いなくなるね」

千機の支配者ナハトスティルタは他の精霊を圧倒する力がある。それをもって地上の人間を、私を見下してきた者達を一掃する」

 装っていたのが理念が、自分の手によって詭弁と証明されていく。

 自分の声ではっきりとされた奥底の本心に、動揺を隠せないサンチェスはその場で固まってしまった。


「アトリ。おれの両親は、一人死んでもすごく悲しんでた。おれにはまったく関係のないような人間だって、誰かにとっては大事な人なんだよ。だから止めよう」

 ノアも立ち上がりアトリに近づいた瞬間に銃声が響いた。

 サンチェスの銃口は少女に向けられており、今しがた発砲された弾は彼女の方を貫通する。


 電撃を受ける様な衝撃と痛みで、アトリはそのままうめき声を上げながら座り込んだ。


「まどろっこしくしないで最初からこうしてればよかった」

「いだ……うう……」

 少女の苦悶の表情をみた少年は頭に一気に血が上り、その衝動のままに拳銃を持った男に猛然と飛びかかった。

 男の手から必死に銃を奪おうとするノアへ敵対心をむき出しにする男は、自身の身体ごと床へ彼を押しつぶすと弾丸を浴びせる。


「ノアッ!」

「このサンチェスを承認しろアトリっ、そうしないならこのガキをこのまま殺す!」

「分かった! 分かったからっもう酷いことしないで!」

 ぐったりとしながら血を流し続ける少年を抱きしめながら、少女が叫ぶ。

 

 承認された。承認された!

 自身の欲求を叶えたサンチェスは、揚々とした声で宣言する。

「其は万象の頂に立つ者。サンチェス・フィテーレに宿る繋がりをもって、その恩恵を享受する。千機の支配者ナハトスティルタの名の元に。蹂躙と破壊を!」


 歓喜と恍惚に脳が満ちていく。

 万能感に感覚を支配された男は、自身が力を得たと錯覚したまま――頭蓋を撃ち抜かれた。




 大地が激しく振動し、その異常さをゼーオルグは肌身で感じ取っていた。

「どうしたんだ。何が起きている?!」

「もしかしたら片割れが承認したのかもしれないわね。ナハトの力を使って暴走しているのかしら。もしもそうなら、きっと皆死んでしまうわね。私もゼオンも」

「君も扱えるんじゃないのか」

「私の力であって私の力ではないのよ。使うにはアトリの許可がいるの。今は近くに契約者もいるでしょうね。力を取り込まれるだけだわ」

「ここから出る」

 ゼーオルグは片腕を精霊の代弁者、その残骸へと伸ばす。

「あら。こまったひと」

 少女は薄く笑い、彼の真剣な眼差しを受けるとやがて気まぐれにその首元にすがった。




「シュピリー、さん……」

 今しがたサンチェスを撃ち抜いたシュピリーは、少女からのか細い呼び声に反応もせずに新しい死体となった男から銃を回収する。

 気だるけに棒付きのキャンディーをいつもと変わらず口にくわえながら建物全体の大きな揺れを感じていた。


「アナタとサンチェスさんとの間に承認も契約も結ばれていません。アナタを通して人を観測していた千機の支配者ナハトスティルタが人は不要と断じた。これはその影響でしょう。精霊機械が雑に破壊されていっている、地上も大変なことになってるかもしれませんね」

「シュピリーさん、キュラー……お願い。ノアを助けて」

『……あはあ。やあねえ、面倒だけど同胞に頼まれると弱いのよねえ』

 少女の懇願に、キュラーと呼ばれた精霊は声を弾ませながら、演技っぽく自身の唇に指をあてる。


『そおねえ……。そこに転がってる死体じゃあ釣り合わないのよねえ。アトリちゃんで使える範囲のナハトちゃんの権能をいただくわあ、それでえ、ノアちゃんの壊れた組織を補填しちゃう』

「ありがとうキュラー! シュピリーさん、ノアを連れて安全な場所に」

「そちらはどうするんです?」

「ナハトに攻撃を止めさせなきゃ。権能が使えなくなったって、声は届けられる」

 アトリの即決にシュピリーは驚きを隠せずにいた。

 キュラーの要求は決して軽いものではない。己の根幹に根ざす程の力を、わずかな時間過ごしただけの少年の為に捧ぐと言っているのだ。

 彼女にとって、ノアはそれだけの価値のある存在であると。


 そして今、単身でかの大精霊に最も近い場所へと向かおうと、自身の負傷した肩を抑えながら立ち上がる。

「ノ……ううん、名前は呼ばないでおくね。あなたの名前を、お別れみたいに呼びたくないから」

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