3-3 ナハトスティルタ

 サンチェスは焦燥と苛立ちを募らせていた。


 千機の支配者ナハトスティルタは失敗作である。

 シュピリーの言説はもっともであり、彼もその結論に異を唱えなかった。

 だがしかし、この局面にて状況は変わったのだ。


 千機の支配者ナハトスティルタは自身に深くつながる人間を二人造り出した。

 人への関心を示しているその行動は、支配する道具を持たずとも力を扱える絶好の機会である。

 彼は研究所にいる一人に、すでに契約承認の約束を得ていたのだ。

「もう一方の承認を貰ってから私の所に来なさいな。私はここから動かないのだし」


 少女が赤輝石を飲みこみながら微笑む姿を、サンチェスは今でも鮮明に思い出せる。

 男は拳を握りこむ。自分にもようやく絶好の機会が訪れた。


 プロトガルムにある精霊機械を全て破壊する。千機の支配者ナハトスティルタと契約を果たせば叶う。

 彼もまた、地上よりこちらへと訪れた人間であった。当時のプロトガルムは、多くの人々が生活を営んでいたが、カプセルの完成を機に徐々にその数は激減したのだ。

 今では起きているのはシュピリーとサンチェスのみとなっていた。プロトガルムは、人類の文明としてとっくに歩みを止めている。


 眼鏡の研究員とは違い、サンチェスは新しい土地へ行くことを頭の中で構想はしていた。

 元々、彼は精霊を支配下に置くことに多少なりの嫌悪感を抱いていた。

 地上へ行くとしても、ここにいる精霊を全て解放させてからにしよう。深い理由を、彼は彼自身に問いかけはしなかった。


 だというのに。

 モニター越しに映るセレクトドールと、友好の為にとアトリと名付けた少女とのやり取りを見てはつまらなくなり、研究員は舌打ちをする。

 こいつではなく自分が彼女から承認を貰わなければ、精霊達が救われないのに。


 彼の良く見知った長髪を束ねた研究員が、後方の扉より姿をあらわす。

 様々な区画の現在の映像や音声を受信できる広い室内に、シュピリーの靴音が反響した。


「サンチェスさん。こんなところで何してるんです?」

「何でもありませんよ。失礼」

「お疲れ様です」

 シュピリーの問いをさらりと流すとサンチェスはそのまま別の棟へと移動を開始した。


『シュピリーちゃん、契約でサンチェスちゃんが強大な力を持ったら大変なんじゃなあい?』

 女性の姿の精霊が現れて、間延びした口調で声を発する。

 精霊は彼よりいくぶんか若い顔立ちをしている。夜空を溶かしこんだ深い藍色の髪が、太ももまで伸びており、ウェーブがかかっていた。

 光の粒子によって所々はさえた赤紫色を放つさまと、瞳の中にある十字の虹彩は異質な存在と認識するには十分だ。

 シンプルなドレスを身にまとい、精霊は自分の契約者の周りをただよう。


 静謐なる祝詞キュラスハーツもまた、千機の支配者ナハトスティルタと同様に、数千数万の封印術式を施してもなお、行動の制御も支配もままならない失敗作である。

 シュピリーのみ扱える理由は、つまるところ精霊自らがそうあることを望んだからに過ぎない。

「どうせ精霊機械から精霊を解放するとか言い出すつもりでしょ。アノ人。前からそういった空気は出てました。その時にはまた身の振り方を考えます」

『ウフフフフ。フフフ。崇高な理念、高尚な思想は綺麗よね。自分をも欺くまばゆさで』

「何が言いたいんですか」

『楽しみなだけよう。どおなったって、シュピリーちゃんはあたしが守ってあげるんだしい。次は何してあたしと過ごしましょおね? アハハハハハ』




 居住区の中にアトリとノアはいた。

 少女は周りにある全ての機械の仕組みを理解しているかのように、少年がいぶかしげに観察する自動販売機に平然と近づきボタンを押して受け取り口に出てきた飲み物を手にいれる。

「はい」

「ありがとう、アトリ。話できる奴どころか誰もいねえ……」


 ここではないどこかへと行きたい。ノアは自分の感じていた願望を、そのように形作った。

 詳しい手段を探すなら、大人に聞けばいいのではないか。ノアは外に出れば尋ねられる人が一人位はいると思っていた。が、歩いている人間はどこにもいない。

 ふいに、空を移動する機械を少女が見つけて少年の手を引く。

 彼女は天然なところがあるが、意味のない行動はとらないことをノアは知り始めていたので大人しく連れていかれる。

 アトリは自分のことをナハトという事が度々あるが、それでも少年が少女の名前を口にすると、ちゃんと彼女自身で応じた。


 機械の向かう先には大人が一人分入れるくらいのカプセルが設置されており、覗いてみると中で人が寝ていた。

 浮遊する機械はそのカプセルを開けると筋肉が衰えて痩せた相手の身体を拭いたり食事などをとらせている。大きなゴーグルのようなものを装着した人間はされるがままであった。

 一通りの作業が終わるとカプセルの扉は自動的に閉まった。

「……母さんたちと同じだ」

「寝てる人、何見てるのかな。あ、モニターある」


 少女が見つけたモニターには、鳥や花や見たこともない形のたくさんのキャラクター達がいたるところで動き回っていた。

「この動いてる絵はアバターって言って、好きな形の自分になれるんだよ」

「知ってるよ、一応入ってたんだし」

「研究施設にいる人以外は皆この中なんだから。私達も入ってみようか」

「え……。つ、つうかこの寝てる奴起こせばいいだろ」


 ノアは怖じけてそう彼女に提案すると、アトリは快く頷いて予備のゴーグルを机に戻してカプセルの周りを調べ、開閉スイッチを見つけた。

 少年がスイッチを押すと、一定の速度で扉が開いたためためらいがちに初老の男のゴーグルを取り外す。

 すると相手は突然発狂し出す。


「なんだお前らはっ!」

「おっおはようございます。夢を見ていた最中ごめんなさい。調べものが出来る場所を探しているんですけど」

「くそぼうず俺の邪魔をするな!」

「あらおじさま、これいただいていい?」

「どうでもいい好きにしろ! げほっ体が重いっ早く返せ!」

「あ」

 ノアが再び尋ねる前に、激怒した男が細い腕を伸ばすとゴーグルを力任せに奪い取り、乱暴にかぶってカプセルの中へ入っていった。


「今ならノアの話ちょっと分かるよ。あの人にはモニターの世界が現実なんだね。? どうしたの」

 少年の押し黙る様子を不審に感じたアトリは、問いを投げかける。


 不自然な間を空けながら、ノアは自分の胸中に渦巻く思いをなぞるようにして重く吐き出した。

「おれは、母さんと父さんの本当の子供になれなかった。二人に必要だった奴は永遠に現れない。おれの居場所なんてどこにもなかった。カプセルで見る夢だって、元々今のおれにある記憶なんか、つぎはぎだらけの偽物だ。それで作られた幸せに馴染めなくて。皆がいても独りに感じて。だからおれは目を開けた。ここじゃないどこかに行きたかったんだよ」


 それを再認識する。


 彼は捨て去ろうにもこびりついて離れない、彼とよく似た誰かの幸福な記憶が頭で何度も蘇らせた。

 自身へ向けられることのなかった両親の笑顔を思い浮かべては泣きそうになるを堪え、口の中が急な乾きを覚えるも呻きでごまかす。両手で頭をかきむしり、奥歯を強く噛み合わせて。


 どれだけの時間をそうしていたのか、少年は分からなくなっていた。

 カプセルから逃げるように出てみた所で、所詮自分は独りなのだと理解するだけは経過している。


 ふと、彼はここまでの道のりを付き合ってくれていた少女のことを思い出した。

 茫洋とした不安定な感情を、両親を起こして自分を受け入れてもらう選択を決められなかった気持ちを、さみしさと名付けた彼女。


 ノアは顔を上げて辺りを見渡すものの、すでにアトリの姿はなかった。


「どっか行ったのか……。まあ元々一緒に居るなんて決めてもなかったし」

「ここにいるよ」

 少女は床に広げた綺麗な布を敷き、どこからか持ってきた食料を置き始める。

 個包装のパック達には色んな料理名が記載されていた。


「お腹すく頃だと思って。これからのことはこれから考えよう」

「アトリが、おれについてくんのはナハトの興味なんだろ」

「私自身の興味もあります! 私は両親がどんなものか分からないけど、ノアにとってすごく大事なものなのは分かるよ」

 アトリは率直に感想を言ってみせながら、笑顔を見せた。

 落ち込む少年を励ますことは出来ないかと考えた彼女は、先ほどこっそり拝借した金属製の円盤を取り出す。


「これね、色んな物が入って便利なんだよ。休憩するならちょっと遊ぼうよ」

 円盤には様々な仕掛けが施されており、小突いたり取っ手を引っ張るなどすれば、収納箱やはしごへと変形していく。

 彼女から手渡されたそのおもちゃを、少年は興味深く見ては自らもどんな機能が備わっているのか探り始めた。


 調整された空調、穏やかに過ぎていく時間の中で口を開いたのはアトリからだった。

「カプセルの中なら皆でいられるし、こっちより苦しくない。でもノアがカプセルに入っちゃったら私は寂しいかなあ」

「ナハトが?」

「これは……アトリが。うん、私が寂しいって思う。勝手だけどね」


 自らの感情のままを少女は言葉に乗せる。

 カプセルから目覚めることは少年にとって、決死の覚悟だった。彼女がそう感じたのは、先ほどの罵声にも震え混じりにだが自らで対応したところだ。

 眠っていては起こりえない、ささいな困難を少しずつでも乗り越えようとする。

 そういう彼の姿を、自分がもっと見ていたい。


「こんにちはアトリ。そしてそこのノアくん」

 商業区の方に向かおうとする二人の前に一人の男が立ちふさがった。

 少年は白衣の服装という点で警戒するが、少女にとっては見知った男だ。

 

「こんにちはサンチェス。今日の集まりはお昼からじゃなかったの?」

「途方に暮れるお二人を見ましたので。どうでしょう、精霊研究区でしたら今後の話し合いも出来るでしょうし。三人で向かいませんか?」

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