3-2 アトリ

 少年は目覚めと同時に、散り散りになった自分の記憶の残滓をひたすらにかき集めた。

 ここはプロトガルム。精霊研究区、居住区、商業区の三区域の中では居住区。

 おれの以外に、横に並んでいる二つのカプセルに入っているのは両親。

 やるべきこと――。

「そんなのはねーけど。……どうすっかな。精霊研究区に行くのは絶対やだ」


 ノアは研究所の大人は信用できなかった。初めて自分が生まれた日に、自分と同じように液体に浸かっている子へ向ける視線でそれは理解していた。

 履きならしていた靴をカプセルの傍に置いていたことを思い出し、数カ月ぶりに床に立つ。冷たい金属の光沢を放つ地面が自らの顔を映し出した。


 カプセルの中では、自分のなりたいものに思うさまなることが出来た。

 同じように眠る人達と多くの感覚を共有することも、一人で快適な箱庭を組み立てることも叶う。

 両親はその世界を良しとし、彼はほんの少しだけの違和感を拭えずこうして覚醒した。

 少年は仮の父親と母親の眠るカプセルに静かに寄り添い、体温を残しながら外に出る為の準備をする。


 そうしていると、扉が開いた。

 プロトガルムの中でセキュリティというのが機能しているのはすでに精霊研究区のみで、扉は仕切りでしかない。

「おはよう」


 良く通る声で黒髪の少女は、目を丸くする少年へ挨拶をする。

 彼女の腰元まで伸びた黒髪は美しくなびき、灰色のフリルシャツに深い青色のワンピースドレスを着た姿は活発さとは無縁だ。


「ここは少し違う気配がしたから来たの。貴方もナハトよね」

「違う」

 少年はすぐさまに否定の言葉を返した。

 深い青の瞳から視線を外すことなく、ノアは安全と判断する距離を保って支度を整える。


 緊張状態の少年を気にも留めずに、ドレスを手で掴みながらはためかす少女は首をかしげながら疑問符を浮かべていた。

「サンチェスも自分はナハトじゃない、サンチェスという一人の人間なんだって話してたなあ。変なの」

「変?」

「だって貴方達は、一人一人に分かれたけど。結局皆でいることを選んだ」


 でしょう? と続きそうな言葉尻の先には、カプセルで眠る彼の両親がいた。

 突如と現れた少女に言い負かされることが何となく面白くなかった少年は、いささか言い込めるかのような反論を述べる。

「おれはそうじゃねーもん。現にこうしてるわけだし。おまえだってそのナハトから分かれてんじゃん」

「ナハトの意志を届けるのに最適な形をとっているだけだよ。貴方達より深い場所で私はナハトと繋がってる。私自身には何をしたいとか、そういうのはないの。だから、今貴方とこうして話してるのはナハトの興味」


 敵意の前に関心もない。とする少女は、そのまま二人の眠るカプセルへと近づき、特に表情もなく一瞥するとノアへと言葉をかけた。

「そうだ。貴方にもナハトじゃない名前があるんだよね。どんな名前? 私はアトリ」

「ノア」

「良いね。覚えやすいし言いやすい。それに私が貰った名前と音かぶってる」


 アトリなりに誉めているのだろうかとノアは困惑する。

 音の中に色はこもっていないものの、傷つけるつもりの内容は孕まなかった。それでも、自分の住んでいた空間に立ちいっている少女を見ると異物感がどうにもぬぐえずにいる。

 彼がそんなことを考えていると、少女は両親のカプセルの開閉スイッチを押そうとしていることに気づき慌ててその手を掴んでとめた。

「起こさないの?」

「二人の本当の子供は病気で死んだ。んで、科学者に造ってもらったモンがおれみたいだけど、慰めにならなかったから眠った。本物と夢ん中で会えてんなら起こさなくていい」

「ただの妄想がずっと続くだけで、真実もなにもないのに」

「それを決めるのは、おまえでもおれでもない。起きようと思えばおれみたいに起きられるんだ、自分の生き方を二人はちゃんと選んでる」

「そうなんだ。それは…………さみしい、ね」


 機械の稼働音の広がる一室で、零されたその一言に不意に心を揺らされ、ノアはその後に上手な返事は出来なかった。




 精霊研究区画にて、時間に合わせて天井からは正確な光量が注がれていた。

 現在は晴れの朝であり、片腕と片目を失っている男の服を並に設定された風がはためかせる。


 ゼーオルグはシュピリーに指示された一画に訪れ、室内へと入っていく。

 廊下には等間隔で光が当てられ、金属の床と壁には傷ひとつない。


「ここへ来た時も驚いたが今見ても……すごいな。煉瓦などよりよほど硬いのではないだろうか」

 そんなことを呟きながら、眼鏡の男に渡されていたカードキーと細やかな装飾の施されている箱が手元にあるを確認し、ある扉で立ち止まるとキーを使用し奥へと進んでいった。


 ゼーオルグはその庭園で、真っ白な花に埋め尽くされた中で座り込む少女の姿を目撃した。

「あら、ごきげんよう。どなたかしら」


 男は引力のようなものを感じだ。

 物を落とせば地面へと転がるように、当然そうあるべきかのように少女の前へと近づいて跪いた。

 腰元まで伸びた黒髪は美しくなびき、灰色のワンピースドレスを着た相手は目元を包帯で巻いているにもかかわらず男に首を向けて首に下げているカードキーを手に取った。

「ゼーオルグ。ああ、シュピリーから聞いていた人だわ。私はナハト。お話相手になってくれるのでしょう。こんな姿でごめんなさいね。私達、人間を一から試しに造るなんて初めてだったものだから、一人分の身体を造った時に生じる、不都合や不自由は私が負ったのよ。魔素の揺れ動きで貴方のことは把握できるわ」


 落ち着いた口調で話す少女の声に聞き入った後、ゼーオルグは箱を開けて中身を少女に差し出す。

 正確には、黒の長手袋をつけている小さく細い手のひらの上に置いた。

「赤輝石ね。放っておいてくれてもいいのに。私が生命活動を停止しても、ナハトのどこにも支障はでないのだけど」

「馬鹿を言うものじゃない。……もう片方の君は人と同じ食事を摂るが、君はそれで動力を補えると聞いた。身体はどうなってるんだ」

「分からないわ。ゼーオルグだって、食事をとったら元気になることは分かっても自分の身体の器官の中で、どこで何がどうなってどういった成分や栄養が吸収されているのかなんて説明できないでしょう」

「そういうものか」

「そうよ。そう思えば私達、そんなに大層な違いなんてないんだわ」


 少女は赤輝石を飲み込むと、彼に柔らかく微笑みかけた。

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