2-11 ナハト

 ロジェ達は混乱して泣く子供達を宥め、王立図書館を後にしていた。外では精霊の力が働かなくなり、その場に倒れている人々のみで血は流れず収束したを見ると商人は安堵の息を漏らした。


「ロジェ殿、これはどういう……」

「俺にもよく分かりません。何かを言って、二人の内片方は消えて片方はどこかへ居なくなってしまって」

 疾燕からの質問に、ロジェはぐったりとしたノアを抱き上げながらそう答えた。少年は最初こそ自力で歩いていたが、次第に歩みが遅くなり肩を貸すも動かなくなっていき今ではこの調子である。


「商人さん、騎士さんは」

「大丈夫です。応急処置はしていましたし。命に別状もありませんよ。あとで病院に寄りましょう」

 広場の街灯に寄りかかっているジュリエは、彼からの提案に素直に頷いた。

 それを見て微笑み返すと、商人は通信機器を用いてどこかへ連絡を始める。


 少女はぬいぐるみを抱きしめる。彼女に出来た精霊の友達の気配は今はもうない。いつかの再会を願うが、悲しみばかりはどうしたって押し寄せる。


 人々もいつもの生活に戻り始め、町に変化は訪れない。怪我人はいたが、重傷を負う者がいなかったのは幸いである。まるで嘘の様な出来事だった。


 ――けれど、嘘じゃない。

 私だけはそれを忘れてはいけない。


 少女はノアを見やる。

 彼は不思議な少年だと思った。同じ背丈の子供達とはいえ、虚ろな眼差しで凶器を持ち、あの様に囲まれた状態で平然としていたのもそうだが。

 人形の精霊達が、彼を以前から知っている様な話し方も気になっていた。


 ロジェは広場のベンチに少年を寝かせると、ゆっくりと問いかけた。

「ノア。自分の状況を説明できますか」

「どこの言葉だったかな。みそぎってあるだろ。穢れや澱みを水で流し清めるやつ。傀儡師マリオトラートの一部をおれ自身に取り込んだ。ろ過装置のほうが近いか。具合が最悪になるからなるべくなら使いたくねえ。クラップこいつが正気で性根がアレなら骨折り損だ。まあ終わる頃にはちっとはマシになってることでも祈ってくれ」

「その苦しみは、ノアだけが背負わなくてはならないのですか」

「精霊も人間も元を辿れば魔素で構築されてるから、魔素を分解とか変換できる機能が働いてりゃあ……。精霊術に適性があんなら分担もできっけどはっきり言っとく。ルークくんならともかく、ロジェに精霊術の適性はねえ」


 力になるを望むロジェであったが、彼の言うような機能を自分は備えていないと理解し、それ以上の言及はしない。

 代わりに話に乗ってきたのはジュリエだ。

「ノアさんの行いは、精霊さんを救うとまではいかなくても、その為の手助けにはなるんですよね」

「おれはそう思ってる」

「私が分担することは出来ますか」


 少年は思わず少女の方に目を向ける。

「あんたなら適性はあるけど、別に無理しなくていいぞ」

「私は今度こそ、ちゃんと友達になるって言ったんです。ノアさんが今背負っている苦しみはその友達のものだから、私も。お願いします」


 彼女はやや緊張気味に、けれども自らの主張を強く唱えた。

 意志に揺るぎのない様子を見て、少年は静かに片方の手を少女へと差し伸べる。

 ジュリエはぬいぐるみをベンチにゆっくりと置くと、その手をとった。




「くそっくそっ待ってろよクラップっ絶対に僕が助けてやるからな」

「私の舞台に勝手にいる貴方はだ、あ、れ」

 王立図書館から敗走するステップに、芝居じみた口調の問いかけがされた。

 右腕のない大男の腕の中から、両目を包帯で巻いている少女がスカートを揺らして地面に降り立つ。


 精霊は彼女からも、先ほど相手をした少年と同じ気配を感じていた。

 圧迫感と、自分よりも上位に位置する存在であることを肌身が教えてくる。

 けれど僕は従わない、従わされない。ステップは竦みそうになる心をわめきたててごまかす。

 ナハトはまるで明日の天気の話をするかのようなのんきさで、あるいは相対する者を見透かすかのように喋りはじめた。

「私達、姿かたちは違うけれど、おんなじ世界から来たのは分かるの」

「違うね! おんなじなもんか!」

「ねえ、貴方達は身を焦がし焼けつくような憎しみではなく迎えるように彼らと向き合うべきよ」

「いやだね、僕は人間は嫌いだ。あんなろくでなしどもは一掃されちまえ!」

「人形の精霊が人を嫌いなら、もう貴方に存在意義はないわね? 消えてしまいなさいな」


 少女が宣言をすると、精霊は悲鳴を上げる間もなくその場からたちまち消失した。

 その後に待機中に浮かんだ塵を、軽く吸うと彼女の口角が上がる。

「まあ、腐ってたのね。どうりで」

「ナハト。大丈夫か」

「ええ、ゼオン。でもこんなものじゃ、私の身体は維持出来ないわ」


 先ほどまでの悪霊の気配がまるで嘘のように消え失せた頃、陽はすでに落ちていた。

 ゼーオルグは片腕でナハトを座らせるようにかかえながら道ならぬ道へと歩いていく。

「ふふ。血の臭いがするわ」

「人を斬ったからな」

「違うわゼオン。貴方の血の臭いがするの。珍しいわ。強かったのね、相手」

 ナハトの袖の下からのぞくしなやかな腕は、ブラウスと同色の長手袋で覆われている。

 その手を伸ばし、彼女は中年の愛称を呼んで、触れた。青年に一撃を加えた時、相手からも反撃を食らっていたのだ。


「ねえゼオン。私はこうして貴方と気ままに色んな場所を、身体尽きるまで進めたらそれだけでいいのよ?」

「……活動させるだけの赤輝石も少ない。ノアのあの力でなければ、これ以上生きてはいけないのだろう。やらなくてはいけない」

 赤輝石は少女の命の源となるものであった。それを持つオートマタは各地で破壊されているため、彼で回収できる量は限られている。

 ノアの持つ力の性質は赤輝石ひいては千機の支配者ナハトスティルタに類するものであり、千機の支配者ナハトスティルタの創造物であるナハトに使わせることが出来たなら延命も叶う。

 彼の即答に、ナハトは満足げに掌を離した。


「ああ、ノアの周り。多勢に無勢だわ。……出方を、考えなければならないわね。私達」

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