2-10 ゼーオルグ・バグラス

 ノア達は王立図書館にて、傀儡師マリオトラートとの交戦に終着が見え始めていた。


 あの二人、人権侵害とかで突き出せないかな。教会にいた頃なら確実に捕らえてやるのに。

 真面目に彼らの逮捕を画策するルークは、港町ハルシェと学術都市ホートワープを繋ぐ道端の茂みに放置されていた。両の腕を後ろに縛られ木に巻き付け、剣は届かないだろう位置に丁寧に置かれている。

 これで夜盗が出て来たら洒落にならない。襲ってくれと自分から言っている様な物ではないか。

 殺したい程に腹を立てているくせに、難癖をつけて異端審問をしたり家族に手は出さない。半端に聖職者をしている中年の同僚を思い出した。

「拘束しないで申し訳程度の道具だけ残して放置してくれる分、クオーツの方が良心を持ってたなあ」


 青年の腕が急に自由のきく体になった。あの二人は成功させたのだろうと、彼は考えて、自分の衣服から護身用の短剣を取り出すと縄を手早く切った。

「人攫いに遭ったのか?」

「日がかげりゆくだけの世界だもの。何がおきても、ちっともおかしくないわ」


 それは、道からではなく茂みの中からの声だった。野太く重みのある声は、中年程の人物を彷彿とさせる。少女の音も耳に入ったが、ルークはまず、問いに答えた。

「似た話ですよ。心を悪魔に売り渡した奴らに虐められたんです」

「あら、悪魔ですってゼオン。彼らの契約は死後の魂まで利用すると聞くわ」


 少女と男は木の影から姿を現す。漆黒の髪を腰まで伸ばし、華奢な体格をした灰色のワンピースを着る子ども。もう一人は体格の良い中年であった。硬質の白髪と髭、そしてその眼下に光る目は猟犬のようだった。


 ルークは、気を遠のかせそうになる。なぜならば。

 両目を包帯で多いながら不自由さを欠片も出さず自身を中心にとらえている少女と。

 中年は、右目が潰れて顔面の右側に火傷痕を残し、挙げ句に。右腕に中年と同じ高さの、自分の頭より二回り程大きな口径の大きな砲を装備した異様な風体の人物達であったからだ。

「こんにちは私の事はどう呼んでもらっても構わないのだけど、ゼオンにはナハトと呼んでもらっているわ」

「……あー、ソッチ世界の方。ですか」


 表社会では生活出来ない装いをしたその者達の言動に、ルークはどこか納得した。

精霊機械あんなものに関わる人間は、自分を除いて変人か変態だと相場が決まっている。

「僕は身の丈にあった慎ましい生活を望んでいるので、今後あの辺りに触れる気はありません。そういう意味では無害です」

「ハルシェの宿で、少しだけ騒動があった。ノアはどこだ。言ったら助ける。それ以外は殺す」

「聞いたこともない名前ですよ」


 回り道の一切ない問いが灰色の目の男からくるが、ルークは息をするように嘘を吐いた。

 中年の顔は、全く笑っていない。青年は精霊機械を求めたどの人間とも違う、容易く誰かを殺してしまえそうな空気を感じ取った。

 威圧感に大気まで凍りつきそうな中、少女がささやかに笑う。大柄の男の体勢が変わると共に静かな闘気が辺りに立ち込めた。青年は逃げる算段をたてる。


 ナハトが小さな口を開いた。

「およしなさいなゼオン。賢しい小鼠を追いかけるなんて、鉛貨程のたしにもならないわ」

「ナハトちゃんは話が分かるね。見逃してくれる?」

「ええ。どうぞお逃げなさい、摘まれる運命にあるかた。丸く閉じたこの世界で、私達に怯えながら」


 ナハトが指揮者のように腕を振ると、ゼオンにより砲身ごとずらし放つ。砲弾が樹木に勢いよく撃ち込まれた。樹の太い幹が軋み、時間差でなぎ倒されるような形となった。

 かすかに焦げ臭いにおいが辺りに立ち込めるが、男は意に介さず次に町並みへ向ける。その様子を見て、ルークはとっさに声を出す。

「待ちなよっそっちは」

「逃げないなんて優しいわね。でも、愚かだわ」


 返答の代わりに少女が紡ぐ言葉のどれもが、彼には理解できなかった。

 まるで異世界の言語を操るかのような彼女は、草の陰に置かれていた風呂敷の元へと近づく。欠片となった赤輝石を拾い上げると、それらを口の中へとほおばった。

 奇妙な光景に青年が凍りつく中で、ようやく喋りはじめたのはナハトだ。

「私、こうするとその機械の記録を読み取れるのよ。嘘をついたわね。ノアと一緒にいたのに、隠すなんてひどいわ」

「ノアを見つけてどうするの」

「ノアの持つ力を手に入れられたら、私の身体はまだ維持が出来るの。生きていられるの。それだけなのよ」

 ナハトが言い終わるや否や、大男から振り下ろされた武器をルーク見逃さなかった。剣の軌道を大男へ向け斬り倒そうとしたが、それよりも相手の動きのほうが素早かった。鋭い痛みが青年の全身を駆け巡る。


 重く素早い斬撃。致命傷は避けたものの腹と腕が切り裂かれ服越しに血が広がっていくのを、彼は感じていた。汗が噴き出し呼吸が乱れ、倒れそうになる身体を必死に支える。

「っああああ!」

「?!」


 ゼーオルグはナハトを守るように彼女の前に立ちふさがるが、重傷の青年はその行動を既に予期していた。

 狙いは少女ではなく、脅威である男の装備している右腕の大砲だった。

 体をひねらせ遠心力もそのまま加えた剣による攻撃は、男と武器を渾身の衝撃で切り離す。重厚な金属音が辺りに響き渡る。

「ぐっ」

「これでもう、ふざけた大砲は撃てない、でしょ」

「……フン。ノアよりも、その他大勢をとったか」


 そのさなか、ナハトがある一点に頭を向けた。

「ノアを探知したわ。ふふ、使ったわね。行くわよゼオン」


 少女から声がかかると、男は彼女を軽々と腕に抱えて進んでいく。

 血まみれの青年は彼らの背後を銃で狙うが焦点が定まらず、今度こそ地面へ倒れ込んだ。

 視界がぼやけていく。意識の遠のいていく中で、聞いたことのある声がした。

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