2-9 いつかにあった話
ひと月前。
ジュリエ・シェリアスタは大人しく空想にふける趣味をもった少女であった。幻獣や精霊や神といった題材を扱った神話やお伽噺を特に好み、部屋はそれらをモチーフにしたぬいぐるみがところ狭しと並んでいる。
特に彼女は天使を好んだ。少女の趣味を理解していた今は亡き祖父が、可愛らしくデフォルメした天馬のぬいぐるみをプレゼントした所、飛びはねて喜んだのである。
家庭ではそんな表情を見せる少女も、自分をからかう学校の級友の前では仏頂面だった。彼女は精霊の存在を心の底から信じている訳ではなく、ましてや考えを他に押しつけたことなどない。いるなら素敵だなと思っていただけだ。
その気持ちを無神経に他の人間に、土足で踏み荒らされたと感じれば相手を睨みつけたくもなる。だが、その態度が気に入らなかった彼らは少女が大切にしていた人形を奪った。
声をあげて怒る彼女が面白くてさらにからかってやろうと、それを王立図書館の立ち入り禁止区画に隠したのだ。
灯りを点けたら、誰かに気付かれてしまうかもしれない。そう思った彼女は、薄暗い空間で無我夢中に人形を探した。すると扉が突然閉ざされ、暗闇が訪れたのだ。それがあの級友達の仕業であることすぐに理解した。今自分が何処にいるかも分からない彼女は焦った。
声を出したら大人が来て情けない自分を見られてしまうし、人形も見つけられない。可愛がってくれている祖父は、孫がいじめられていると知ったら悲しむのだろうか、考える内に彼女はとうとう涙を流した。
『やあどうしたの、泣き虫なお嬢さん』
『そんなに泣かないで。図書館に湖が出来ちゃうよ』
闇に響く言の葉が泣きじゃくる彼女を驚かせる。扉が開く音もしないのに、人の声がしたのだ。 その音にジュリエは自分と同じの年頃の、二人の子供を連想させた。
しゃっくりを残しながらも、ジュリエは伝える。
「ぬいっ……ぐるみ。なくして、しまって」
『さっき男の子達が置いていった、あの可愛い奴かな? 年季は入ってるけど、とても綺麗に扱ってるみたいだ。大事にされている』
『お嬢さん、安心して。そのまま前に進んだら、右の方に手を伸ばすんだ』
少女は、言われるままに移動し、手を伸ばす。こんな暗闇で、彼らがなにをしているのかなど、彼女は考える余裕はない。そして、慣れた手触りがそこにはあった。
「あった……っ」
『ホラホラ、折角見つけたのにまたそんなに顔をしわくちゃにしてちゃあ』
『お嬢さん、お名前は?』
「ジュリエ……ジュリエ・シェリアスタです。ありがとうございます。あの、お二人は?」
『僕らは精霊だよ。ジュリエ』
「精霊なんていませんっ」
『頑張り屋なジュリエ。もしかして精霊はいや?』
寂しそうな響きを聞くと、ジュリエは自分の発言に後悔した。また、からかわれているのだと思い強く否定してしまったのだ。彼女は彼らを精霊だと信用した訳ではないが、窮地を救ってくれた恩人には違いないのに。
「精霊、は。好きです」
『嬉しいなあ、じゃあ僕らは好き同士だ。ジュリエが好きっていってくれると、嬉しいなあ』
『ずるいや、僕に好きだって言ったんだよね。ジュリエ』
「名前も、いっぱい知ってます」
ジュリエは笑顔をほころばせた。彼らの正体は分からない。けれど、二人といるとすごく楽しいのだ。
『ねえ、ジュリエ。どうして君は泣いていたの?』
ジュリエは黙る。今はその話をしたい気持ちにはならなかった。
だが、もう一つの声がさらに彼女へ囁く。
『いじめられたんだろう。あの子達に』
『なんだって! ジュリエをいじめるなんて、酷い奴らだ!』
精霊の怒気に、彼女は彼らが自分の痛みを知り、そんな風に怒ってくれるだけで充分だった。
「もういいんです」
『良くないよ。ねえジュリエ。君は彼らに嫌がらせでもしたの? 悪口を言ったの? 自分がされて嫌なことをしたの?』
そんな訳ない。言いかけたが彼女は黙った。
「…………私の態度が、良くなかったんです」
『優しいジュリエ。でも彼らはまた同じことを君にするよ。もっともっと酷いことだって、するに決まってる』
「そんな」
『誰も止めない、省みない。ジュリエが従わないから。彼らは君のせいだけにする。なにも痛みを感じないんだ』
精霊の話に彼女の気持ちがなびく。そんな気はしていた。けれども、これからも続くその何年かを、耐えねば。
暴力を彼らに働くことで、親まで巻き込む真似は少女には出来なかった。
『ジュリエ。少しだけこらしめてみない?』
「え……」
『その願い、僕らが叶えようか』
ジュリエは首を振る。
「お友達に、そんなことさせられません」
『友達と言ってくれてありがとうジュリエ。僕らも、そんな友達を助けたい。君を助けたいんだ』
会って間もない自分のことを、友達と呼ぶ精霊の言葉に、少女は感動する。最悪だった気分からの、最高の出逢いに。
もしも、どうにかしてくれるというのなら。
少女は、無意識に人形を握りしめる。
彼らの意向を尊重し、自分は友好的な関係を築きたい。それを示す為に、彼らの望む願いを伝えれば良いのだ。そして、友達として受け入れてもらう為の過程と思えば。
『ねえ、ジュリエ。僕は大好きな君の理解者でいたい。知りたいって思うんだ』
「ありがとうございます。嬉しいです。なら、ちょ、ちょっとだけ…………は、はい。こらしめましょう。私達で」
『音声認識完了、契約者ジュリエ・シェリアスタ。詠唱コード名に契約を。理に制約を。魂に盟約を。僕らの名前は傀儡師マリオトラート』
図書館から出ると、彼女は自分にしたことを忘れてふざけあいながら帰宅する学友達を見つけた。
ジュリエはその場で凍りつくように固まってしまったが、人形を強く抱きしめると前を見据える。
『今だよやっちゃおうジュリエ』
「で、出来ません。今は悪いことしてないです」
『だめだよ。彼らはすでに悪いことをした。だから君は傷ついて、僕らはここに居るんだ』
『ジュリエには報復する権利がある。君は己の境遇を憐れみ涙を流していいんだ。さ、呪文を』
せかす精霊の音を胸の内に響かせながらも、少女は顔を上げて足早に前へ進んだ。
最初に気づいたのは、学友達の中でもリーダー格でありジュリエによくちょっかいをかけてくる少年であった。
「あっちいけよぬいぐるみ女」
「あ……謝ってください」
「はあ? もっと大きな声で喋れよ。会話できねーの」
「人の物を盗ったらっ泥棒なんです。勝手に捨てて、わっ私を閉じ込めて」
「証拠あんのかよ。なあお前らさあ、こんなきったねえぬいぐるみなんて触るか?」
ジュリエの抱えていたぬいぐるみを無理やりぶんどった少年は、振り回しながらそれを友達に見せつける。
彼の周りの子供達は笑いながらぬいぐるみ から逃げて、追いかけっこが始まりだした。
「おいやめろよ菌が移るだろ」
「てか触ってるじゃん。うぇーこっち来ないでってば」
「返してくださいっ」
声を張り上げジュリエは少年に飛びかかり、無我夢中になってぬいぐるみを取り返そうとした。
彼女の反応が気に入った彼はそれをでたらめな方向に放り投げる。
もつれながらも走って拾いにいくジュリエを少年は力いっぱいに蹴り飛ばした。
その動きの滑稽さに辺りから笑いが巻き起こる。
ジュリエは擦りむいた膝から血が滲んでいくのを感じた。倒れながらも、ぬいぐるみを腕の中へと抱き寄せる。
なにかを、期待したのだ。気持ちを伝えればなにかが変わり、よい流れに向かうのだと。
臆病な人間でも踏み出す勇気を身につければ、世界はそんなには辛いものではないと。
「精霊さんのおかげで、勇気……出せました。でも、なにも変わらない。ですね」
『いいんだよジュリエ。君は優しく、勇敢だった』
『困難を、一緒に乗り越えよう。呪文を』
「名に契約を。理に制約を。魂に盟約を。――かしずけ傀儡」
少女がいにしえの歌を唱えたとたん、周りに変化が起きた。子供達がそれぞれに互いへ攻撃を始めたのだ。ある子は他の子の髪に掴みかかり、別の子は少年を殴りかかる。意識がはっきりしている為表情には驚きと恐怖がにじんでいた。
「ってえな、なにすんだよやめろよ!」
「僕じゃないよ体が勝手に」
「ま、マリオトラートさんもういいです!」
目の前で起こっている起因は自らと感じたジュリエはとっさに制止を呼び掛けた。すると、操り糸が切れたかのように皆が蛮行をやめる。
今の幻のような出来事をジュリエは、夢ではないのだと自覚しはじめた。
おそろしい、なんてことを、ごめんなさい。
「おいっぬいぐるみ女なにしたんだよ」
「あなた達で勝手に暴れていただけなのに、なぜ私のせいになるんですか?」
ジュリエの声音は普段の物静かな少女の言動とは思えない冷たさをはらむ。
彼女自身も不思議な心地であった。謝って許されたい気持ちと、裏腹に吐いた言葉もまた本心に違いなかったのだ。
約束の唄を口にすれば、子供達が悲鳴をあげながら、肉体は少女が敵意を向ける少年へ不自然に曲がった。
「みなさんどうしたんですか?私をいじめないんですか?」
はやる鼓動を抑えられず、ジュリエはぬいぐるみに顔を埋める。
僅かな優越感と万能感が血流として駆け巡り、先ほどまで確かにあった良心の呵責はほどけた。
「私のことを大人も子どもも町の人も、誰も助けてなんてくれなかった」
自らに言い聞かせ、今歩きださんとする明かりのない道を確かめるようにささやく。
「なら私が皆さんを助ける必要なんてないですよね」
その日、ジュリエ・シェリアスタは友の名を冠した兵器を得る。
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