2-6 ジュリエ・シェリアスタ
精霊機械の発動を察知したノアと疾燕は学術都市へと向かった。
ホートワープでは混乱の声が飛び交っていた。皆口々に体がいうことを聞かなくなったと周囲に叫んでは見えぬ糸で操られているように不自然な動きをはじめる。疾燕は足どりおぼつかぬ子どもが、包丁を母親に向けて走る姿を確認する。彼はその刃を奪うと、手持ちの布で容易く縛った。
読書にふけっていた女性が、突如通行人の男性に銃を向けた。ノアが男性を移動させ、疾燕が女性の持つ銃を払い落とす。単純な命令系統で作動する
縄や手錠を用意していない二人は、とりあえず対象の衣服で縛る。
「きりがないですね」
「だな」
身体の動きが徐々に自分の意図しないものへ変わる感覚を振りほどきながら、疾燕は分担を申し出る。
今も徐々に犠牲は出始めていた。夜になる前に決着をつけねば、崩落の日以降の最悪な結果を迎えるのは明らかであった。
「離脱していいぞ」
「確かにハンデはありますが、半分以上がもう人ではないからでしょうかね。影響はそれほど。それに、二度も故郷を壊される訳にはいかないですから」
疾燕は腕を組みシワがはっきり浮かぶほど服を掴む。
「…………
「今回は町や図書館ん中歩き回るほどの奴じゃねえけど、知ってるに越したことはない。教えてくれ」
疾燕は自由の利かなくなってきた手で、紙に筆を走らせる。ノアに地図とナイブス=ワイズシルトと名前が印字されたカードキーを渡した。少年はその名前を確認して一度疾燕を思わず見やる。
視線を戻したノアはその紙を広げると、それが王立図書館への道を示していると気付いた。
少年は円盤を取り出し、自転車に変形させて移動する。その姿を、同郷の青年に目撃された。
「ノア!」
「よ、ロジェ」
ロジェは、信じられないという表情をしていた。周囲の不穏な空気を彼は感じ取り、人の会話に耳をすませると子供がいなくなったと言うのだ。友人には可哀想なことをしたが、それでもやはり連れて来なくて正解だったと思っていたのに。自分もガンドナも、悪気があって彼を止めた訳じゃない。
青年は焦燥感で叫ぶ。
「ほんとっ仕方ない人ですね貴方は!」
「やらなきゃなんねえことなんだよ」
「俺の、荷物にガンドナの作った万能薬があります。それを早く!」
ロジェの荒げた声に、ノアは彼が既に傀儡に変化し始めていると気付く。円盤を刀に変形させ、同郷の友から振り下ろされる辞書を反りの部分で受け止める。
柄で青年の手から本を落とすと、少年はそのまま彼のベルトに下げられているいくつかの袋から蔓の模様があしらわれたものを選ぶ。開ければ中には丸薬が敷き詰められていた。
「赤です! 一つだけ赤いのがあるでしょうっ」
「これか」
少年は中から一錠取り出すと友人の口に無造作にいれた。
「っはあ、やっと止まりました」
「びびったわ。じじいの薬って精霊機械の術にも効力あんのか」
「? ノア、精霊機械とは」
「それよりロジェ、変なやつ見かけたりしなかったか」
「……変というより、不可解な少女なのですが」
ジュリエ=シェリアスタは普段使わぬ道を通り、帰宅の時間を短縮させる。人通りが少ないから危ないと、母親に言われていたが、どんな人間も意のままに出来る今の彼女は最短の道筋だった。
『知らねえヤツと、アヤシイ契約しちゃ駄目だって、ママに教わらなかったのか。シェリアスタのボンボン』
彼女の前に立ちはだかった兎の形のぬいぐるみが、スピーカーから音を放つ。ジュリエが持っているものと異なり、造形はリアルで少女をゆうに越える身長が彼女を驚かせる。
タキシードを着た紳士的な風貌の兎は、武器を持ってはいない。だがその口はまったく開かず、瞳だけが赤く輝きを放っていた。ジュリエはぬいぐるみを強く握る。兎を無視して、通り過ぎようとしたのだ。しかし、遮られる。そのまま壁際まで追い込まれ、逃げ場を失う。
「……どいてください」
『使えよ。テメーの精霊機械。アタシの機械でねじ伏せてやる』
既にスカーレットはジュリエが契約者であることを理解していた。契約を解除する方法は、契約者を除くことである。脅しつけられると、少女は混乱からその場を動けなくなった。
パニックの原因は、今も声の主が自分の傀儡となっていないことである。
今日、彼女は精霊機械をもちいてホートワープ全域に対してある力を使った。
――汝愛する隣人を殺せ。
愛する隣人とは、彼女の傀儡と化した人間にとっての身近な人物を指す。
親や兄弟友人……が声の主に攻撃するかあるいは逆に殺しにいく。
モニター画面を見ていたスカーレットは少女の表情を眺めて笑い出した。
「名に契約を。理に制約を。魂に盟約を。汝愛する隣人を殺せ。かしずけ傀儡達! …………なんでっ、どうして」
『はっは! なるほど、操作か。テメーさあ、アタシがホートワープにいる訳ねーだろが』
「そ、そこにいるじゃないですかっ」
『てんで素人か、話になんねえ』
兎からの機械の稼動音を聞いた少女は、目の前の存在にオートマタを連想する。一体で小さな村なら簡単に滅ぼせる噂の殺戮兵器なら自分に命はない。筋肉が思うように動かず、少女は何度も歯を噛み合わせた。兎がジュリエに手を伸ばして来る。その手には銃が握られていた。少女はぬいぐるみを握りしめ、目を瞑りながら言葉を紡ぐ。
「私はずっと我慢してました。でも誰も助けてもくれなかった! もういいんです、堪えるのはやめたんですっ全部壊れたらいいんです。どうして邪魔するんですかっなにがいけないんですか!」
「あ? 迷い羊に手を差し伸べるのは聖職者の仕事だ。こちとらテメーの敵やってんだぜ!?」
兎を取り囲む影が現れた。少女が操る傀儡化した子ども達の目は虚ろで、なにかを映す様子はない。中にはジュリエが知っている子供もいたが、気付く余裕もない彼女はとにかく兎から走って逃げた。
子供達が力の限りに兎を押さえ込もうとするも、獣の機械は一際大きい駆動音をならすと、彼女を追いかけた。
幼い契約者はもつれそうになりながらも全力で走ったが、黒の革靴は運動に適さずつまづいた。後ろから規則的な足音が聞こえる。
観念しまぶたを緩く閉じかけたジュリエは、目にも止まらぬ素早い動きで通り過ぎた人間が、なにかを破壊するさまを目撃した。
彼女は金の髪を後ろで束ね、白の外套を被る様にして覆った下には緑の制服を着ていた。
女性騎士はレイピアで敵の急所を一突きにして停止させると、それを鞘に納める。
その技は素早く華麗で、なにより、強かった。
「ジュリエ=シェリアスタさん。ですか?」
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